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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1951年 ナポリ サン・カルロ劇場での『フェルナンド・コルテツ』(3)

LIVE フェルナンド・コルテツ

1951年、ナポリ サン・カルロ劇場での『フェルナンド・コルテツ』のライブ録音から、第二幕および第三幕の一部をご紹介します。

さて、今回ご紹介するのは、このオペラの中の聞き所らしい、アマジリーのアリア"Ella morì"を含む部分です。この前の部分は、コルテツが、味方の兵士がアステカ側の賄賂(金塊)に籠絡され、戦意を喪失しているという報告を受けているシーンです。コルテツとしては弟とその仲間を早く取り返し、本気で攻撃に出たいところなのですが、そうもいきません。そこにアマジリーが登場するのです。

● スポンティーニ 『フェルナンド・コルテツ』 第二幕 

"Alvaro è in vita ancor."---"Ella morì."


ここの入りにはト書きがあります(con impeto)「勢い込んで」といったところでしょうか。「アルヴァーロがまだ生きている」、というコルテツ側には嬉しい知らせを持ってきたのですから。テバルディの入りの声も表情を極力明るくつけていますね。ここのフレーズはもう2フレーズあるのですが、カットされています。

コルテツの(どうも・・・ジーノ・ペンノの歌い方は単調すぎて、テバルディの相手役としては相応しくなかったと思うのですが。ベルゴンツィくらい、緻密ながら、ロブストな歌が歌える歌手の方が面白さが出ます。デル・モナコも豪快に偏りがちでしたが、彼は彼の、並外れた輝かしい声というメリットがあって、スリリングでした。ペンノは私にとっては、残念な歌手です。)感謝の言葉に対して、アマジリーは、それでも、不吉な予感がする、とおびえているのですね。声は張りっぱなしですが、こちらはトーンが暗めになる。こういう歌い分けができるので、テバルディの歌に退屈することはありません。

その後のコルテツの歌詞は・・・。実際のコルテスの事実を知っている身としては笑うしかないのですが、本物とは真逆のことを言わせています。まぁ、このオペラはナポレオンのお気に入り作曲家の作品ですから。ナポレオンだって、近代民主主義を広めるという名目の元に各国でその軍隊が暴虐を繰り広げましたし。その結果残されたスペインの惨状は、ゴヤの一連のペンシル画で痛烈に批判されています。いわば、「征服」に「犠牲」はやむを得ないというのが軍隊を率いる立場の人たちの暗黙のご了解のようで。私は特に政治的な話題をこのブログで扱いたいと思いませんが、大量虐殺のような行為は決して許されるものではないと思います。

音楽の方に戻ります。しばらく指示はありません。最初は自分をアステカ側が犠牲にしようとすると、途端に神が守ってくれるという趣旨のことを物語ります。深刻な内容ですから、テバルディのトーンも緊張感があります。

"Oh, oh non ricordi?"からは珍しく、"espressivo"「表情豊かに」の指示が。コルテスがアマジリー達をキリスト教に目覚めさせたことを回想して、相手にもそれを促すくだりなので、テバルディはトーンを変え、優しく、感慨にふけっているように入ります。"ad agiuntare movea..."のあたりには"con anima a piacere"と中途半端な指示が。「活気を持って、後はご随意に」って・・・。確かにそのあたりから、テバルディの声はクレッシェンドでもかかっているかのように大きくなっていきますが、最後の"e il Dio, del Dio di vittoria!"の強烈な声は驚愕ものです。この神に今は帰依していて、それが正しい神だというヒロインの信念が嫌でも伝わってきます。

"Il bieco Nume..."になると、こちらは「悪しき神」なので、トーンが暗くなり、更に、「死んだ母」のことを回想するくだりでは声を震わせています。(どうもここの歌詞は聞き取りにくくて、自信がありませんが)。"a prezzo de' suoi dì..."からは強烈な調子に戻ります。自分の方は救われた、「正しい神」に、という趣旨なので、またその神をたたえる気持ちを入れたのでしょう。

"Ebbene...Ella morì,"からはアリアに入ります。が、テンポの指示しかないのです・・・。テバルディは一度目を柔らかく、二度目を声を強めてそれぞれ歌っています。(単調な歌って、全盛期のテバルディにはむしろ、あり得なかったのですね・・・。)両方とも、最後は消え入らせています。次も"sui giorni fieri deserti"の繰り返しですが、二度目の方は"fieri deserti"に強勢を置いて、単調になるのを避けています。何も指示がないのに・・・。

"tu brilli sol, qual astro tutelare!"は昔の信仰であがめていた対象にあたるのですが、特に軽蔑的には言及していません。むしろ、非常に優しく歌っていますね。その後はしばらく太陽に呼びかけていますが、フレーズが進むごとに歌がソフトな調子から強力に盛り上がっていき、また優しい調子に戻っていきます。

そして、聖母のくだりに移るあたり(実は、私がGoogleにお願いして入手したスコアでは延々と太陽への呼びかけが続き、それで最後まで終わってしまうのです。全然歌詞が違うのです・・・)のあたりには、印刷の字がつぶれて読めない指示と、"dolce"の指示がでています。当然、テバルディは、ソフトに、甘美に歌っていますが、"con barbar antico Dio"あたりは非常に強く声を張り、その後の"di poter d' amor"は甘美なトーンに戻っています。訳のわからん、無茶苦茶にに歌詞の変えられたアリアを聞くに堪える、妙味のある歌にしているのは、ひとえにテバルディの巧さ、なのです。

"Ridarti in vita Alvaro..."からの美声!何か神に願うときのテバルディの歌の清澄さが声の音色にきっちり反映されている一つの例です。とにかく美しい!この辺も、オリジナルはむしろ太陽にお願いしてしまっているのですが、改宗した彼女の歌としては相応しくないので、大幅に変えられています。ただ、指示は全然ないので、もう、ほとんどテバルディの裁量で歌われていると考えて間違いありません。「私の命を代償にアルヴァーロを救って下さい」という趣旨の部分も、強くアピールするところと、声量を絞るところを作って、歌を単調にしていません。

その後はまた太陽への呼びかけに戻ります。(オリジナルがそうなのである程度残さざるを得なかったのですね)テバルディは"desio" とか、"piacerti"とか、"il poter"などのキーワードに強勢を置いて、歌に起伏をつけています。

二度目の聖母のくだり。このときも"barbar antico Dio"あたりで張りのある立派な声が聞けます。対照的に"di poter d' amor"は非常にソフトで甘美。何も指示がなくて、繰り返しの多い歌詞の歌をこれだけ聞き応えのあるものにするのは大変なことですが、若干29歳の歌手がそれを成し遂げているのには脱帽です。

最後の"di tu sol..."から少しテンポを速めていますが、"poco più mosso"「少し速めて」の指示(ここに出ているわけではないのです。このアリアもくだくだしいのでカットがあって・・・)を生かして、フィニッシュに向けてエキサイトした気分を出しています。こうした方が断然盛り上がって終れますからね。そして、最後の"Dio di amor!"の熱唱。例の「熱血」が出ています・・・。"Dio di"でさすがに一度ブレスを入れていますが、最後の"amor"は・・・。途中でもの凄い拍手が入ってしまうので正確にはわかりませんが、彼女の目一杯の15秒近く続いています。音高はさほど高くありません。2点イ♭です。ですが、知名度の圧倒的に低いオペラでこれだけの聴衆のリアクションが得られるのは、テバルディが今まで書いてきたようなことをしているからなのです。失礼ながら、下手な歌手なら、パラパラという拍手で終わり、だったでしょうね。

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第三幕は、どう上手くやったのか不明ですが、スペイン軍がアステカ軍を破り、テラスコが父祖の眠る墓地で敗戦の嘆きに沈むところから始まります。

そこへコルテツとアマジリー。アマジリーは兄に、和解を勧めますが、すげなく断られた上、コルテツが彼女と婚礼を、と思っている間に、(やけに素早い・・・さっきコルテツ達と話あったばかりなのに、もう武装を整えたの?)テラスコ達がアルヴァーロの命を脅かすので、婚礼ムードはぶちこわしになります。コルテツは板挟み状態ですが、モラレツにも突き上げを食らうので、これ以上ためらってもいられず、戦ってアルヴァーロを救うしかない、と心に決めます。(合唱団だけが場違いに祝婚歌を歌っています。聞き取りにくいので、オリジナルのままの歌詞を拝借しました。)アマジリーは自分が犠牲となり、アルヴァーロを救おう、という決意を語ります。

その場面の動画です。

● スポンティーニ 『フェルナンド・コルテツ』 第三幕 "Ahi! Dunque invano"

 


まぁ、とにかくテンポ以外指示らしい指示がない、といって良いスコア。ヴェルディプッチーニのやかましいほど指示の書き込まれたスコアを見慣れた後では、すっきりしすぎていて却って不安になるくらいです。

アマジリーの入りは、コルテツへ愛を捧げても、和睦は叶わなかったのかという落胆半分、取りすがるような気持ち半分の歌で始まります。2度目の"invan ti grido: t'amo"が強烈かつ悲痛で、歌詞の内容も相まって、これじゃあ、コルテツもぐらぐらするんじゃ、と。最後の"sovvien"は涙混じりで締めています。

コルテツは何とかテラスコを軟化させようとしますが、テラスコの方は聞く耳を持たない。彼のパートには指示があるのです(別に必要ないような・・・)(con furore)「怒って」というト書きが。プロッティ、当然怒ってますね。

兄に拒絶されて、テバルディのアマジリーはすすり泣き。(「熱血」モードですので。でも、このくらいは彼女としてはそれほどのものでもありません。)ト書きは何にもないのです・・・。

コルテツに「祭壇に向かおう」と慰められて、気を取り直した彼女はちょっと危なっかしいくらいコルテツに自分を捧げきっています・・・。オリジナルより熱烈です。若いテバルディの声の音色は明るく、かつ例のように華やかで、これだけ美しく歌われると(メロディーラインはプッチーニのように甘ったるくないので残念ながら最大限の効果はあげにくいのですが)どんなコルテツも腰を抜かしそうです。

その後急にアルヴァーロの話題になるのも強引だとは思いますが、結局、非常にまずいことになっているのですね。テバルディの"Vacillo e fremo"はお聞きの通り、さっきまでとは全く調子が変わって、本当に声を震わせています。

モラレツの話から、王はアルヴァーロを返して和睦するのもやぶさかではないのだけれど、テラスコと祭司が頑強に反対し、アマジリーを犠牲に捧げる(ヒロインを意地でも苦境にさらそうという無理矢理感が半端じゃありませんが・・・)のが条件だと主張してやまないのですね。民衆も扇動に乗っていると。

そこに場違いな祝婚歌。場違いなだけに、3人の苦悩は増します。テバルディ、"Tristi presagi miei..."からを、強烈に、この上なく悲痛に歌います。コルテツのペンノは・・・テバルディと比べるとやはり表現力不足です。

場面は3重唱に発展。モラレツは名誉に訴え、コルテツに戦闘を促すし、アマジリーは犠牲になりに行く覚悟を語るし、コルテツは板挟みで苦しい。これはこれで盛り上がりますね。でも重唱の最後のあたりを聞くと、まるでモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を聞いているような気分で。ここがロマン派の音楽との違いの顕著なところです。どこか、作りがかっちりしていて、行き過ぎがない分、少々杓子定規かなと。

ここに、更に場違いな内容の合唱が加わってきます。ヴェルディのアンサンブル部分などもそうですが、字幕のフォントを小さくせざるを得ません。大画面モードでご覧頂くしかないかと・・・。

この間にコルテツは、もはや戦うしかない、と心を決めるのですね。アンサンブルが終わると、彼は軍勢に出陣の準備を呼びかけます。その後は景気の良い2重唱。ただ、アマジリーの方は内容が微妙です。表向きはコルテツに愛を捧げているのですが、密かに犠牲になる覚悟をしているので、矛盾した中身になっているのです。"Alvaro, a te sì torna ancor"と彼女が断言するのは、結局自分が犠牲になって彼を返すのよ、という彼女の真意の表れなので。

テンポは速め→緩め→速めになって、最後の盛り上がりをつけるようになっています。とにかく、歌詞は滅茶苦茶に変えられているので、「聞々はやえもん」というフリーソフトで何度も聞いて、何とか起こしました。全部正確だという保証はありません。お詫びします。

ともかく、最後の"gloria e pace fanno rendere a te, a te!"(アマジリーの歌詞)でテバルディは、強烈に声を張っていますね。実は、またスコアに書かれていない高音を張らされているのです!"rendere a te"の"te"はハイCです!結構長めに維持しています。しかも彼女は「ザ・リリコ・スピント」の声のまま高音を張るので、レッジェーロなソプラノが軽く高音を出すのよりキツい。ですが、決まったときの効果は絶大なのです。凄い迫力。

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結末を書くと、この後結局テラスコはスペイン軍と戦いますが、負けて、王はアルヴァーロの釈放を認めます。でも、テラスコは譲りません。そこに現れたコルテツは和睦をもちかけ、ようやくめでたしめでたしで終わります・・・。(頑固なテラスコさん、なんで急に軟化するの???ですが。負けたから?)

この頃のオペラ(ナポレオン時代のオペラ)はめでたく終わらせた方が喜ばれたようなのです。

なんだかなぁ、な内容のうえに、歌詞が変にいじられていて余計こんがらがっていますが、これだけテバルディが熱唱しているのですから、聞かないのは勿体ないのです。是非、ご鑑賞を。実際に使われたリブレットが手に入らない(これはネット中確認したので間違いありません。)のがつくづく、残念です。

 

今回で、私がご紹介できる1951年のテバルディの音源は尽きました。次回からは1952年の音源のご紹介に入ります。最初は『椿姫』のラジオ放送用録音です。