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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

はじめに レナータ・テバルディに捧ぐ In omaggio alla Tebaldi

私が特に気に入っているレナータ・テバルディの写真をここにご紹介します。

いつ写された写真なのかはわかりません。ただ、彼女が旧パリ・オペラ(現在は、ご存じの通り、パリのオペラ座はポンピドゥー・センターに移転し、旧パリ・オペラでは専らバレエが上演されています。)の前を散策している途中を捕らえた一枚だということだけがわかっています。

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多少ピンボケ気味なのが、この写真が比較的遠くから写されたものであることを示しています。ただ、彼女の視線はカメラに向かっており、写されていることに気づいていたことは間違いないでしょう。それでも、この写真に捕らえられた彼女には、何のポーズも、気取りも、構えもありません。言わば、「素」のレナータ・テバルディに近いものが捕らえられている、と思えるので、気に入っているのです。

ここに捕らえられた彼女の表情は温かく、優しく、穏やかです。そして、終生彼女が忘れることのなかった、微笑みが浮かんでいます。

彼女の声は『Voce d’ Angelo 天使の声』と評されました。後ほど動画でご紹介する予定ですが、全盛期の彼女の声には、一般の美声のソプラノ歌手とは次元の異なる、ほとんど分析不可能な「華」と「美」があり、紛れもない女性性を帯びていました。ですから、その言葉は全く、その声を語るのに相応しい例えでした。

しかし、同時に彼女の声には、彼女の表情に表れているような「温かさ」「優しさ」だけでなく、そこから直接は読み取れない、「勁さ」がありました。彼女は、リリコ・スピントの王道を歩んだ人でした。

第二次大戦後のイタリア・オペラ界は現在からは想像し難いほどの優秀な人材に溢れており、その中で、プリマ・ドンナと呼ばれるような存在になるためには、「温かさ」や「優しさ」だけではくぐり抜けようのない苛烈な競争を勝ち抜かなければなりませんでした。でも、テバルディの心は折れなかった。失敗や妨害、過密なスケジュール等、ライバル達以外にも戦わなければならない対象には事欠かなかったけれど、それに打ち克って歌うことに人生を捧げました。彼女の声は、彼女の人となりそのものだった、と思うのです。温かく、優しく、そして、勁い。

私が敢えて「強い」と書かず、「勁い」と書くのには理由があります。「勁草」という言葉があります。強い風や嵐に耐え、しなやかにたわみながら、切り抜けた後はまたまっすぐ立ち上がる草、です。ただ力が強いだけのイメージのある「強」という文字より、彼女の「つよさ」には「勁」という文字の方が似合う、という思いを込めているのです。

彼女が『天使の声』の持ち主だったからと言って、彼女自身が「天使」だった、と言い切るつもりはありません。不機嫌なときや、怒りに我を忘れるときが全く無かったとは言い切れないでしょう。プリマとしての奢りがなかったとも言いません。彼女は、偉大な歌手であったことを別とすれば、ごく一般的な女性だったに違いないのです。ですが、他の一般女性が忘れがちなものを、彼女は忘れなかった。それが、この写真に現れているのです。いつも微笑んでいられる懐の深さ、勁さ、です。彼女の微笑みは、知性のない人の笑みとは別種のものでした。高い知性を持ち、品格の高い人柄を持つ人による、人生の苦しみや痛みを超越した微笑みだった、と思います。

彼女はとかく、「声に任せて歌っていた凡庸な歌手」という評価を受けがちでした。それが事実と違うということを示していくことが、ここでの私の使命です。ご本人が、心ない批評家、著名人などのそうした一方的かつ無造作で、深い理解に欠けた不注意な発言に全く気づいておられなかったという証拠はありません。彼女は勿論、深く傷ついたに違いないのです。でも、比較的晩年の写真やインタビュー映像に見る彼女も、上の写真に見られるような、温かい微笑みを絶やしていませんでした。彼女は耐える勁さ、まれに見る寛大さを持った人でした。彼女が誹謗中傷を乗り越えてしまったことで、彼女の品格は却って高まり、誹謗中傷した当の方々のほうが、ご自分達の品位を下げてしまったのです。これほどの品位を持った彼女の人柄が、彼女の歌唱、歌声そのものに劣らず、私を感動させるのです。

この世に生を受けて、彼女の歌に出会い、その素晴らしさに気づくことができた人間は、幸運だ、と私は言い切ります。人の声は、指紋と同じで、同じものは二つとありません。レナータ・テバルディは二度と現れない。ですが、彼女は貴重な遺産を沢山残してくれました。彼女の歌の素晴らしさを知ることなく人生を終えるとしたら、それは、貴重な宝の山を自ら捨てるのと同じ事だと思います。人の好みは十人十色だとしても。

私は、私の人生に幸福なひとときを数え切れないほど与えてくれたこの偉大な歌手を心から称え、感謝の念を捧げたいと思います。そして、この感謝の言葉を、このブログの開始にあたって、まず、記しておきたいと思います。