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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

略伝(4) 声楽への道、師カルメン・メリス

テバルディ 略伝

1935年、(レナータ13歳)彼女は初等教育を終えました。進路として母が示したのは、一族の店を手伝うか、ピアノを続けるか、でした。レナータはピアノ演奏を学び続けることを選びました。彼女はパルマのアリゴ・ボーイト音楽院に、ピアノ科の生徒として入学しました。

何と、将来、オペラ界において世界のプリマ・ドンナとなるべきレナータ・テバルディはコンサート・ピアニストになることを夢としていたのです。それが叶わなければ、せめてピアノ教師にでもなろう、というのが彼女と母の一致した考えでした。

転機は彼女が17歳になったとき訪れました。彼女のピアノ担当の講師が偶然彼女の歌うのを聞き、その驚くべき才能を発見したのです。彼女は直ちに、名高い声楽教師エットレ・カンポガッリアーニのクラスに編入されました。続く2年間は、彼女はピアノと声楽の両方を学んでいました。次第に、レナータは、ピアノの前に腰掛けていることが横隔膜への負担になるように感じ始め、声楽の方に力を入れ始めました。母ジュゼッピーナは娘がコンサート・ピアニストになることのほうが好ましいと思っていましたから、これを多少気にかけはしましたが、1940年、娘がペーザロの、父方のおばのもとを訪れ、カルメン・メリスのオーディションを受けることに反対はしませんでした。母は娘と共に、ペーザロへ向かいました。

カルメン・メリスはペーザロのロッシーニ音楽院で声楽講師をしていました。プッチーニの生前に現役歌手としてイタリアで名高く、コヴェント・ガーデンやスカラ座で歌ったプリマであった彼女は、プッチーニその人から、『西部の娘』のミニーの役作りの指導を受けたという経歴を持っていました。(写真:トスカに扮した現役時代のメリス)

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レナータの父方のおばは、菓子パンの販売をしており、メリスは店の常連の一人でした。メリスはめいの声を聞いてみて欲しいという店主の要望に気軽に応じてくれたのです。

メリスと出会ったとき、レナータはかなり強いパルマ地方のなまりで応答したので、メリスははじめ、それをからかったとのことです。しかし、レナータが歌い始めると、メリスの態度は一変しました。師匠は弟子の驚異的な才能を直ちに悟ったのです。レナータがペーザロにいる間、二人は2,3のスコアを一緒にレッスンしました。

こうなると、カンポガッリアーニとメリス、どちらを師匠とするかでよく考える必要が出てきました。レナータは結局、メリスの指導が自分に合っていると感じ、パルマからペーザロに移ることにしました。その決断を後押ししたのは、当時ロッシーニ音楽院の院長であった、作曲家のリッカルド・ザンドナイの言葉でした。カタラーニの『ラ・ヴァッリー』から"Ebben? Ne andrò lontana"「それでは私は遠くへ参りましょう」をレナータが歌うのを聞いたザンドナイは、ジュゼッピーナに、「これほどの才能を埋もれさせるのは悲劇と言うしかない」と告げたのです。コンサート・ピアニストになるという夢は、オペラ歌手になるという夢に取って代わられました。これほど高名な人々を驚嘆させた娘の才能を、ジュゼッピーナももはや疑いようがなく、ピアニストになりなさいとは強要しませんでした。

なお、テバルディのプロフィール紹介などで、彼女が、「アリゴ・ボーイト学院」の卒業と書かれているものがありますが、これはパルマの、カンポガッリアーニの指導していた学校の方で、レナータ自身は、自分の師匠はカルメン・メリス、と断言していました。ボーイト音楽院のホームページに彼女の名前はありますが、ボーイト音楽院のページ "Altrettanto prestigiosa fu la scuola di canto che vanta insegnanti come Giulio Silva, Fiorello Giraud, Ettore Campogalliani, che formarono cantanti destinati a grandi carriere: Adele Bianchi Montaldo, Italo Campanini, Adalgisa Gabbi, Italo Gardoni, Flaviano Labò, Carlo Negrini Villa, Aldo Protti, Renata Tebaldi.")ロッシーニ音楽院のホームページを確認すると、ロッシーニ音楽院のページ "Il soprano Renata Tebaldi, il tenore Mario Del Monaco, il compositore Riz Ortolani sono solo alcuni degli allievi storici più celebri del Conservatorio Rossini, artisti le cui straordinarie carriere internazionali hanno nel tempo dato lustro alla loro scuola di provenienza.")こちらにも彼女の名前が出てきます。(二つの学校がテバルディを取り合っているのは・・・何か面白く感じてしまうのは私だけでしょうか?)メリスやザンドナイが在籍していたのはこちらなので、本人の認識に従えば、ロッシーニ音楽院の学生だという方が妥当でしょう。ただし、次回に回しますが、第二次世界大戦の戦火が広がる中で、きちんとした学業を受け、卒業する、などということは不可能でした。