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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

略伝(6) トスカニーニのオーディション

テバルディ 略伝

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テバルディがミラノに拠点を移した頃には、第二次世界大戦は終わっていました。この頃彼女はジュゼッペ・パイスの指導を受けながら、様々な歌劇場で歌い始めていました。

この間、政治的理由でアメリカに亡命していたアルトゥーロ・トスカニーニがイタリアに帰国していました。(写真:トスカニーニ)戦火の中で無残に崩壊したミラノ・スカラ座は再建途中で、まだ完成していませんでしたが、トスカニーニの指揮下で再開記念コンサートが開かれる運びとなっていました。トスカニーニは有望な歌手を選抜すべく、オーディションを始めており、テバルディも白羽の矢を立てられました。

トスカニーニという指揮者がどういう人間かよく知らない方にはおわかりになりにくいかもしれませんが、彼は極端とも言えるくらいの完璧主義者で、彼の理想通りの演奏がなされなかった場合の激怒は、演奏家達の恐怖の的になっていました。実際、指揮棒をたたき折るほどの激怒か、冷たい凝視、あるいは氷のような無視が演奏家達を待っていたそうです。当然、彼のオーディションを受けるのには相当の勇気が必要だったはずです。

テバルディは10時に始まるオーディションなのに、落ち着かないあまり、家を8時に出てしまい、遠回りして歩きましたが、9時30分には歌劇場に着いてしまいました。もう寄り道のしようがなかったのです。当然、彼女が一番乗りでした。ほかの候補者達は後から三々五々集まってきましたが、彼女からすると、彼らは自分よりずっと落ち着いて見えたそうです。10時になると、案内係が受験者の名前を呼びました。「レナート・テバルディ」。男名前で呼ばれたテバルディは、緊張の極限であったにもかかわらず、憤然として、「私はレナータ・テバルディです!何かの間違いですわ!」とくってかかりました。案内係は素知らぬ風で、「赤の部屋」と呼ばれた部屋に彼女を招じ入れました。テバルディは最初に試験を受けたのです。

彼女は走って逃げた方がいいのではないか、と思ったくらいだったそうですが、その力もないくらい緊張して「赤の部屋」に入ったのでした。被験者の向かい側、長いテーブルの向こう端にトスカニーニ、彼の息子のヴァルター、スカラ座総裁のアントーニオ・ギリンゲッリ、ルイジ・オルダーニが座っていました。トスカニーニはテバルディに、出身地と師匠の名を聞きました。テバルディは上がりきっていましたが、マエストロが彼女の返事に、「私もパルマ出身だし、メリスと一緒にレッスンしたよ。」と答えるのを聞いて、彼が自分の返事に喜んだことだけはどうにか理解しました。

テバルディはまず、『アンドレア・シェニエ』から、マッダレーナのアリア"La mamma morta"「亡くなった母を」を歌いました。トスカニーニは、もう一曲を所望しました。一曲で追い払われなかったことで、テバルディはずいぶん安堵したとのことです。そして『オテッロ』のデスデーモナの、「柳の歌」"La canzon del salice"の途中から、「アヴェ・マリア」"Ave Maria"までを歌うと言いました。トスカニーニの表情は懐疑的で、うんざりしているかのように見えたそうですが、彼は特に何も言いませんでした。

彼女が歌い始めると、今度は困ったことが起こりました。トスカニーニは、試験官達に背を向けてピアノを弾いている伴奏者のテンポが気に入らない様子で、テーブルを叩いて拍子を取り始めたのです。テバルディは彼らの方を向いていましたから、すぐにマエストロの拍子に合わせました。当然、伴奏とテバルディの歌はずれ始めました。伴奏者は頑固にテバルディに自分に合わせるようにと合図しましたが、テバルディはテバルディで、必死に目をむいて、伴奏者にトスカニーニの方を見るように合図しました。しばらくこの状態が続きました。ようやく伴奏者はトスカニーニの動作に気づいて、歌手と伴奏者のテンポは合いました。テバルディはほっとしながら歌い終えることができました。

しばらく静寂が続きましたが、それから、トスカニーニは息子に、テバルディの名をメモするように指示しました。そして、何と、「あの」気むずかしいトスカニーニが「ブラーヴァ、ブラーヴァ」と言ったのです。

テバルディは早く母にこのことを知らせたくて飛ぶようにして家に帰りました。2日後、トスカニーニの秘書から、スカラ座の再開記念コンサートで、ロッシーニの『エジプトのモゼ』から「祈り」と、ヴェルディの『テ・デウム』で歌うように、と連絡が来ました。

この時のリハーサルで、後にあまりにも有名になった、テバルディの『天使の声 Voce d'Angelo』のエピソードが生まれました。『テ・デウム』の終盤、トランペットに合わせてソプラノが入る場面があります。トスカニーニは何度かリハーサルを繰り返すうちに、テバルディの演台を合唱団の上にしつらえるように指示しました。そして、「私はこの天使の声が本当に天上から降りてくるようにしたいのだ!」と言ったとのことです。後に、テバルディ自身は口を酸っぱくして、彼がソプラノ・ソロのことを「天使の声」と言ったのであって、「テバルディ=天使の声」という言い方をしなかったことをインタビューで尋ねられる度に説明しましたが、誰も取り合おうとしませんでした。テバルディの声には『天使の声』というキャッチフレーズがあまりにも相応しかったからでした。

(追記:ここの記述には重大な誤りがありました。正しい情報について検証付きの記事を載せましたので、そちらを必ずお読み下さい。その記事にはこちらのリンクから飛べます。緊急報告 略伝の重要訂正です! - Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

 

コンサートは1946年5月11日と14日、開催されました。コンサートは、熱狂のうちに成功に終わりました。どちらの日のものかは不明ですが、この模様はラジオ放送されました。なお、このコンサートの『テ・デウム』の音源を私は持っていません。YouTubeにもアップされていないようようです。非常に残念なことです。

テバルディは1950年の6月にもトスカニーニの指揮下でスカラ座で歌いました。このときはヴェルディの『テ・デウム』と『レクイエム』のソプラノ・ソロを担当しました。その他のメンバーは、メゾ・ソプラノ:クロエ・エルモ、テノール:ジャチント・プランデッリ、バス:チェーザレ・シエピでした。