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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

略伝(14) 引退後、死

テバルディ 略伝

引退後のテバルディの生活を一言で言うならば、「悠々自適」というのが最も相応しいし、実際そう言われてきました。「伝記」には「いろいろな賞(勲章)を受け続けている」と書かれており、実際、その通りでした。

彼女は現役時代相当な量のレコーディングを残したし、それは彼女の現役時代を知らない世代にも売れ続けました。生活に困ることなどなかったし、歌わない、という生活を始めてみると、それも悪くないことに気づいたのではないかと思われます。

彼女は時折、マスター・クラスなどで教えたようです。インタビューで教えること自体は好きだったというように語ってもいました。しかし、彼女の期待に応えられるような実力を持った生徒などいたのでしょうか?彼女自身が途方もない声の持ち主だったし、彼女の同僚達もそうだったから、生徒達の歌を聴いてもぴんとこなくて当然だったと思います。

彼女の弁によると、教えることに集中しすぎ、疲れてしまう、とか、イタリア語の発音で、二重子音で詰まらず、詰まってはいけないところで詰まったりする生徒の歌唱を直していると気が狂いそうになる、というのがあります。生粋のイタリア人歌手が減る傾向ではそれも無理のない話です。

要するに、テバルディは教えることに向いていなかったのではないでしょうか。教えることについて、きちんとした方針はあったようですが。彼女自身が、あまりにも素質のある人だったので、そういう人が他人に教える場合によくこういったことになるものです。

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やがて、彼女は教えることをやめてしまったようです。アプリーレ・ミッロのように、特に彼女に頼み込んで『アイーダ』をさらってもらったような例もあることはありましたけれども。(写真はテバルディとミッロ。因みに期待たっぷりにミッロの『アイーダ』を聞いたけれど、師匠には遙かに及ばない歌でした・・・。)余生は親しい友人達、親類達が開くパーティーに出席したり、劇場に足を運んだりするほかは、静かに暮らしていたようです。ただ、Cronologiaを見ると、イタリア国内では依然として有名人であったから、相当数のインタビューに答えさせられてもいました。

歳を重ねると、テバルディはミラノから、サン・マリノの別宅に住まいを移しました。サン・マリノは独立国で、イタリアではないですが、ミラノより落ち着いて暮らせる環境を選びたかったこともあるだろうし、サン・マリノの方が気候が穏やかなのだそうです。彼女にとって思い出深いペーザロとも近い場所です。

2002年の2月1日は彼女の80歳の誕生日でした。ミラノ・スカラ座は彼女のために特別なレセプションを開きました。それは同時に、スカラ座改装のための一時的閉幕式典でもあったのです。それまでの旧スカラ座の再開に際して、トスカニーニの指揮下で歌ったのは彼女だったから、これは相応しいことだった、と2008年の2版の「伝記」には書かれています。

彼女はスカラ座の再開に出席したいと願っていましたが、しばらく前から体調を崩していたらしい彼女にはそれはかないませんでした。2004年12月6日、テバルディは支配人のカルロ・フォンタナに電報で祝辞を送りました。

「親愛なるドクター・フォンタナ、私はあなたとご一緒に喜びを分かち合いたかったところですが、私たちのスカラ座の再生のために、あなた様がなされたことすべてに対し私の感謝の念をお送りしたいと思います。」と。

それから程ない2004年12月19日、レナータ・テバルディはサン・マリノで82年の生涯を閉じました。死因は発表されませんでしたが、どうやら癌を患っていたようです。

2004年の12月21日、家族の墓所の鉄のゲートが開かれ、レナータの遺体は、彼女の最愛の母、和解を遂げられた父、戦火の中母子を受け入れてくれたおばのマリアンナと同じ場所に埋葬されました。大理石の祭壇は彼女が愛した花や植物で飾られ、中央には十字架が立っています。

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(写真:右上中央がレナータの墓、その下が母ジュゼッピーナの墓)

レナータの葬儀のミサでは聖アウグスティヌスの言葉をもじった言葉が記念として述べられたそうです。「主よ、我らはなぜあなたが彼女を我らからお取り上げになられたのかとはお尋ねしますまい。しかし、あなたが彼女を我らに授けて下さったことに感謝いたします。」

この不世出の大歌手に相応しい言葉だと思います。

(完)


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次回からはこの「伝記」の巻末に特集されている、主に歌唱上の注意点に関する、テバルディへのインタビュー記事の翻訳をご紹介します。