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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

テバルディ 歌唱論(2)

テバルディ 歌唱に関するコメント

Q: あなたはごくはじめの頃からリリコ・スピントだという認識をされていましたか?それとも、このゴールにはあなたの特異な恵まれた持ち声が発展した結果得られたのでしょうか?初期にお歌いになったどの役柄がこうした特徴を発展させることに役立ち、後に、あなたのお声が成熟されたときにはどの役柄が役に立ったとお考えなのでしょうか?

A: 私はリリコ・スピントとして歌い始めました。それから、年月を経るうちに私の声は成熟し、より暗い音色を帯びるようになりました。音量は増えませんでした。最初からずっとありましたから。暗い音色がよりドラマティックな役柄を歌うのを可能にしてくれましたが、私は真のドラマティック・ソプラノだったことはありません。私は暗い音色を使ってドラマティックな役を沢山歌いましたが、過去のドラマティック・ソプラノが期待されていたような程の暗い音色ではありませんでした私がはじめ『アイーダ』を歌うのをためらったとき、マエストロ・トスカニーニは私に「言葉に乗って歌う」ことを助言して下さいました。マエストロは私は、一つ一つの言葉に合った表現を探さなければならないのだとご説明なさいました。そのことは、私に適正なアクセントを見つける助けになりましたし、私の考える限りではヴェルディのオペラの中でも、最もドラマティックなものとはいえない役柄の、一定の難しい部分を歌いこなす解決策になったと思います。

一つ一つの言葉を理解すること、そして言葉を歌うことは、表現や歌うことを容易にしますし、達成感も大きくなるものです。ごくはじめの頃は私はリリックな役柄しか歌いませんでした。声を痛めないようなものです。ですが、当然、若くて野心がありましたから、トスカなどを引き受けました。それを何度か歌った後、特に経済的余裕ができた後は、芸術的な配慮から、「ノー」と言えるようになりました。私は『ラ・ボエーム』や、『ファウスト』や、『オテッロ』や『・・・シェニエ』に戻って、『トスカ』はもう少し先に延ばしました。『・・・シェニエ』はそれほど頻繁には歌いませんでしたし、歌ったときは自分本来の音色を使うようにし、無理をしたりやり過ぎたりしないようにしました。声を痛める恐れがありましたから。ですが、私は、難しいフレーズや高音が近づいてきたからといって声を出し惜しみしたりして節約しようとは決してしませんでした。私はいつも大いに誠意を持って歌いました。私は私の持っているものを全て出し切りました。一音、一音。私はきちんと歌えないという確信があった場合は、そのような作品は決して歌わなかったのは言うまでもありません。

Q: どなたがあなたに最大のサポートをなさいましたか?お母様ですか?ご家族ですか?

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A: 私は度々言いましたが、私の母は私を止めようとしたのであって、この道へ進むのを奨励しませんでした。母は私がピアニストか、しかるべきピアノ教師になることを望んでいたのです。彼女は歌手としてのキャリアは私に苦い思いをもたらすだけで、大した喜びにはならないのではないかと恐れていました。でも、色々な方からお褒めの言葉を頂戴した後は、母も確信しました。それからはずっと、母は私のキャリアのために人生を捧げてくれました。私は父と暮らしたのはほんの少しの間でしたけれど、彼は私のピアノの練習を手伝ってくれました。私の祖父ははじめの頃、授業料を支払ってくれました。

Q: 声楽教師との経験はいつも恩恵のあるものでしたか?

A: 私の先生、カルメン・メリスは私の師と呼べる人でした。私の一番最初の教師はカンポガッリアーニで、私は彼は私の声を痛めはしなかったと言い切れます。そういうことは初めてレッスンするときに起こりうるのです。ですが、私に魔法のような影響をくれたのはカルメン・メリスでした。最初の、短い期間、たった15日間、ペーザロにいたとき、私は彼女と一緒にいくつかのスコアをレッスンしました。彼女は私の歌を変えました。以前私の歌を聴いた人はもう私の声だと思わなかったほどでした。もし私が彼女の指導で私の歌がそれほど大きく変わるのに影響したことを説明するとしたら、それはレガートと解釈を加えてくれたから、と言わなければならないでしょう。

彼女は自分の考えを伝えるのがとても上手い人でしたから、私は直感的に理解できましたし、彼女が言ってくれたことは皆、大切に覚えておくようにしました。私は彼女と3年間ペーザロでレッスンしました。第二次世界大戦のせいでレッスンをやめなければならなくなるまで。戦争が終わってすぐ、彼女はコモ湖畔に移住したのですが、私はできるだけ頻繁に彼女の助言を仰ぎに行きました。

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もし、新しいスコアを習わなければならなくなったら、私はまずマエストロ・パイスとレッスンしました。彼は素晴らしいコーチでした。それから、デビューする前に、私は習った役をカルメン・メリスの前で歌いました。彼女は悪い癖がついて直らなくなる前に、問題があったら直すのを手伝ってくれました。彼女の死は私にとって大変なショックでした。私は職業上の助言と指導を仰ぎにいける人を失ったのですから。

Q: よい声楽教師を見つけたいと思っている生徒に、あなたは何とアドヴァイスなさいますか?生徒は自分の直感に従うべきなのでしょうか、それとも、完全に声楽教師の手にゆだねるべきなのでしょうか?

A: 私は生徒と教師の関係は、自発的で、誠意のあるものであるべきだと思っています。教師は生徒にはっきり言う責任を感じるべきです。相応の期間を過ぎた後で、もうそれ以上の進歩は不可能だと感じたら、または他の教師の方がもっとその生徒に合うのではないかと感じたら、そう言うべきだと。時には、進歩しないのは肉体的、芸術的、あるいは音楽的に生徒と教師が相容れないからという理由の結果だということもあります。例えば、時にお医者と患者の間でも起こるようなね。生徒は自由に、オープンに話し合えるようであるべきです。もし教師が、過去に偉大な歌手であった場合でも、その人は自分のテクニックを生徒に押しつけてはいけません。教師はただ、助言したり、提案したり、するだけにとどめるべきで、あとは生徒が自分の声で教師の言葉を実現するのを見ているべきです。教師は歌唱の基本を教えなければなりません。息を吸って、はき出すことです。基本的な準備です。包括的な技術を押しつけてはいけないのです。全ての声は個性がありますから。よい教師は、せいぜい、ある一定のゴールに到達するために一番良い道、あるいはいくつかの道を示唆するようにつとめるくらいにすべきでしょう。生徒の声楽的な可能性に準じて。最後に私が強調したいのは、若い歌手に正しい呼吸法を教えることが非常に大切だということです。歌を歌うことを教える以前にね。沢山の歌手が呼吸の仕方を知らないで歌っています。