読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

テバルディの歌声・歌唱の特色とは(2)

テバルディ 歌声と歌唱の特徴

今回は、テバルディとしてみれば、同時期に活躍していた、ライバルに当たる歌手達との比較です。

まずは、スコア上特に注意すべき点のまとめを繰り返しておきます。

・入りには別に、フォルティッシモで叩きつけろ、という指示は、全くありません。
・最初の注目点は"trionfar nel plauso"の"plauso"がフォルテという指示。
・"L' insana parola o Numi sperdete"はピアニッシモで入り、"Numi"を頂点にクレッシェンド、デクレッシェンドの指示。
・2度の"Struggete!"はフォルテ。
・"Ah!"はフォルティッシモ、"questo fervido amore"からクレッシェンドし、"come raggio di sol"でデクレッシェンド。
・"la morte a Radames, a lui ch' amo pur"は"mes"を頂点にクレッシェンド、デクレッシェンド。
・"Ah! non fu terra mai"の入りはフォルテ。
・"I sacri nomi"からは"triste e dolce(悲しげに、優しく)"の指示。
・"né profferir poss’ io, né ricordar"では"né profferir"の1音節ごとにアクセント。次の"né"にもアクセント。
・"io pianger vorrei, vorrei pregar."では"io pian ge"の各音節に強アクセント、"re"に通常のアクセント。
・2度目の"vor"にアクセント。
・"Ma la mia prece"から"con più forza(より力強く)"の指示。
・"Numi, pietà del mio soffrir!"からは"con espressione(情感を込めて)"の指示。
・2度目の同じ歌詞では"poco stringendo(次第に速めて)"の指示。
・その終わりから次へ続いていく、"soffrir, ah! pietà"では"ah!"を頂点にクレッシェンド、デクレッシェンド。
・最後の"Numi, pietà, del mio soffrir."はピアニッシモ

 

2. テバルディ/ステッラ


私にとって一番やっかいなのは・・・このステッラ。何が、とはっきり指摘しようとすると非常に難しいのですが、彼女の歌には味がない、といつも思ってしまうのです。今回は、食い下がって、その辺の原因を追究しようと思います。

まず、彼女の録音にもハンデが。TESTAMENTのアリア集からとったのですが、どうも音が曇って聞こえるのはどうにもできませんでした。でも、それが問題ではないのです。彼女の声には、残念ながら、テバルディほどのパワーがありません。それは、声を張っているときの二人の声量を比較するとわかることです。

彼女の歌に味がなく聞こえる、という以上、その証拠を細かく指摘していく必要があります。まずは、"l' empia parola!"。テバルディは「パローラ!」とキツめのトーンを入れて、「邪悪な言葉」へのヒロインの自省混じりの、呪わしい思いをぶつけているのです。まるで、汚いものを払い落としたいかのように、激しく。非常ーーに細かい違いですが、ステッラはここで、特に何もニュアンス付けをしていません。

次はしばらく、二人とも同じような歌いぶりです(力の付き方に微妙な差がありますが・・・)問題は"per ridonarmi una patria, una reggia, il nome illustre che qui celar m’è forza."です。テバルディは"patria" "reggia" "illustre" "forza"を強調して、本来の自分の輝かしい立場を思い起こしています。特に、"forza"が強いですね。ステッラはこれらの語に特に力を込めていません。最後の"forza"の違いは一番はっきりしています。

次の一節。ステッラさん、どうしたの?です。"Vincitor de’ miei fratelli...ond’ io lo vegga, tinto del sangue amato,"の"fratelli"で妙な音程の揺れがあります。それから、"ond' io gli"と歌っています。"lo"の所を。まぁ、スタジオ録音でも歌詞を間違えることは他の歌手にもありますから、大したことではありませんが、あまりいいことではないですね。問題は、テバルディの歌にある、微妙におどろおどろしげな感覚が、ここにはこもっていないことです。

"egizie coorti"のテバルディがほとんど憎々しげに感じられるのと違って、ステッラの方はむしろ「可愛く」歌っているような・・・。"E dietro il carro, un Re, mio padre, di catene avvinto!"はステッラの歌いぶりも見事です。ただし、やはりパワー不足です。テバルディの"avvinto"は残響が残るくらい強烈ですが、ステッラの方はコンパクトです。

次の一節。"L' insana parola, o Numi, sperdete"の入り、テバルディは「ひどいことを言ってしまった」という恐れのニュアンスが付いていますね。できたら、取り消したい、位の気持ちで。ステッラはニュアンスをつけていません。

"Al seno un padre..."からは特に問題ないと思いますが、これは持ち声の違いなのでどうにもなりません。やはり、こういう所でもともと声に「華」のあるテバルディと、どちらかというと雲がかかっているようなステッラでは聞こえ方が違ってしまいます。

"Struggete, struggete, struggete le squadre dei nostri oppressor! Ah! sventurata! che dissi?"は問題です。ステッラもどちらかというと「ストゥルッジエーーテーー」と"ge"より"gE"のように聞こえるので、パンチが引きずれて聞こえます。"nostri oppressor!"の"oppressor"がコンパクトすぎ、敵に対する憎しみのぶつけ具合が不足して感じられます。そうすると、後に"Ah!"で声を張り上げる意味が微妙に違ってしまうのですね。"sventurata che dissi?"では、"a"が暗いこと、あまりにもお行儀良く歌いすぎていることが感興を割いています。テバルディの"dissi?"がほとんど息も絶え絶えで、「何てことを言ってしまったんでしょう!」という思いに溢れているのと、教科書を前に学生が歌っているのほどの違いがある、と思ってしまうのです。

次の一節。テバルディの"E amor mio?"が極上、ということはポンセルの時に書きました。彼女は"mio"を落としつつ、ためらいがちに歌うことで、自問のニュアンスをつけています。ステッラはむしろ、"mio"をくっきり、はっきり、まっすぐ歌っていますね。ここもニュアンス不足です。

テバルディの"dunque scordar poss' io?"は"u""que""dar""poss"に微妙が山がつくられていて、平坦になっていません。ステッラの場合は"scordar"一語に思いを込めています。これはこれで納得のいく解釈です。

問題は次です。"questo fervido amore, che oppressa e schiava"テバルディが実は、"fervid' amore, che ppressa"のように歌っているのに対し、ステッラは非常に生真面目に、母音を全部くっきり発音しています。それは正しいと言えば正しい。ですが、あまりにも生真面目な歌が、切迫感をそいでいるのです。

"come raggio di sol qui mi beava?"のテバルディが恍惚の域に達しているのに対し、ステッラのは「頑張ってます」、という印象を受けてしまいます。"come"を大きく歌うのはスコアの指示上、あり得る解釈ですが、彼女のここでの声はきしっています。でも、美しさだけが問題ではないのです。テバルディは"sol"を「ソーーーール」とたっぷり歌い、"qui mi beava"でほとんど"be" "ava"と区切るように歌ってリズムをつけていますが、これにはちゃんとした理由があるのです。"sol"と"ava"はスラーでくくられているので、その前後とは区切るべきなのです。ステッラのは・・・全部レガートでつながってしまっています。こういう細かいところで、歌の味わいが違ってしまうのです。

次の一節。"Imprecherò la morte a Radamès, A lui ch’ amo pur tanto!"ここでもステッラの生真面目さが裏目に出ています。まず、"Imprecherò"からの入りの強さが段違いですが、「ラーダーメーース」と比較的几帳面に発声したために、切迫感が消えています。テバルディの方はむしろ「ラ-ダメーーース」と歌っています。これにも訳があるのです。この曲は4分の4拍子で、"Ra" "da"は8分音符、"mès"は付点付きの4分音符です。テバルディのは、明らかに音符の長さが違うように聞こえますね。ステッラの方はそこが、はっきりしないのです。

"A lui ch' amo pur tanto!"ではステッラの"lui"はきしっていますね。"tanto"は後ろの"t"がはっきりしません。ちょっと力みすぎたのかも知れません。

"Ah! non fu in terra mai, da più crudeli angosce un core affranto!"ですが、ステッラは"non"に入る前にわざと息を入れて嘆かわしい状況を演出しています。問題はその後の歌。ポンセルの時に指摘しましたが、ここは3連符で区切られているので、べったり歌うとリズム感が消えます。"Ah!" "non fu in" "ter-ra" "mai da" "più cru" "de---" "-eli an"と区切るのです。非常に微妙ですが、テバルディは区切りの頭の音を少し強めて、(非常に微妙ですし、早いので聞き取りにくいですが)この3連符を実践しています。ステッラのは・・・またレガートでつながっているように聞こえます。"Ah!"のパワーの違いは、どうしようもないでしょう。

次の一節の入りの聞こえ方の違いは・・・こう、という説明がつかないのですが、明らかに違います。テバルディは微妙に、本当に微細な音色のコントロールをして、単調に聞こえるのを避けている、としか言い様がありません。

"né profferir poss’ io, né ricordar;"は冒頭にスコアの指示の説明をしたとおり、2つの"né"と"profferir"にアクセントをつけなければいけませんので、テバルディは強めに歌っています。ステッラはここの強め方が足りません。その後の歌は双方とも非常に微妙な違いしかありません。違って聞こえるのは持ち声の違いだから、これも仕方ない。テバルディの方がやはり「華」が感じられるのです。たとえ、"piangere vorrei, vorrei pregar"で涙混じりにしていても、なおかつ「悲しみの華」ともいうべきものが、彼女の声にはある。

次の一節に入ると、テバルディの詰めの細かさ、振り幅の大きさが生きています。"Ma"からの入りからして強力なのですが、"bestemmia"を特に際立たせている。どちらのために祈っても「冒涜」になってしまうのですから。ステッラはそういうことをしていません。その次のフレーズでは"Delitto"と"colpa"どちらも「罪」に当たる言葉ですが、これをテバルディはくっきりと歌っています。特に彼女の母音の発声の美しさ、輪郭の明確さは特筆すべきものがあって、ここでは"colpa"の"a"がはっきり「ア」と聞こえます。持ち声に「華」があるだけではない、はっきりした発声が、彼女の歌の「美」を作っているのです。ステッラのは"colpa"がせわしなく片付けられていますね。残念ながら"a"ははっきりしていません。

"In notte..."からはテバルディの"mente"は特に強めに歌われています。その前後の部分とのコントラストが強烈です。ステッラの方はそれほどでもない。"e nell' ansia vorrei morir"のテバルディの雄大な歌。特に"vorrei morir"の盛り上げは凄い。特に触れませんでしたが、"rei"を頂点にクレッシェンドとデクレッシェンドの指示があるのです。本当は"morir"は音量を下げないといけないのですが、テバルディの下げ方はさほど顕著ではないです。ただし、"rei"を極度に盛り上げて、楽譜の指示を生かしています。次の"morir"、ここでポルタメントの指示はないのですが、彼女は"morir"の最後を引っ張り上げて、ポルタメントのように歌っています。楽譜通り歌うのが効果的なときはきっちりその通りにするけれど、敢えてそうしないときもあるのがテバルディでした。褒められることだとは思いませんが、生真面目に楽譜通り歌ったステッラは立派、とは言えても、結果は・・・雄大さが・・・違って聞こえますね。

次の一節。雄大だった前のフレーズの終わりから、一転してテバルディの歌は魔法のようなピアニッシモに落ちる。ここの清浄さは絶句もの、とポンセルとの時に書きました。前のフレーズであれだけ盛り上げたので、ここのピアニッシモとのコントラストが非常に生きてくるのです。

"Numi, pietà del mio soffrir! Speme non v’ ha pel mio dolor."テバルディの音色の操り方は殆ど恐るべきもので、"Numi, pietà"はささやくかのような優しさが含まれており、"mio soffrir"はわずかに"mio"を強調し、"soffrir"はまた静かに、消え入るように、しかし、はっきり聞こえるように歌っているのです。"Speme non v'ha"の美しさは本当に何とも言いがたい。女性的な声の極限です。"v' ha"の「ヴ」をくっきり発音して、歌にメリハリをつけています。"pel mio dolor"の前に、息切れなどするわけのないほど息の長かった彼女が、わざとため息交じりの息の音を入れ、感情を表出。さらにまた"mio"と"dolor"の"do"に、涙混じりの悲しみのトーンを入れているのです。これと比べてしまうと、ステッラの歌はまるでうまみがありません。ただ、真面目に歌っているだけで、平坦すぎるのです。特に最後の"dolor"の無感動さは・・・残念としか言い様がありません。

次、"Amor fatal, tremendo amor, spezzami il cor, fammi morir!"テバルディの"tremendo"が大変ダイナミックなのは書きました。ここで特筆すべきは次のフレーズ、"spezzami il cor, fammi morir" "m"が沢山出てきますが、この唇を閉じて発生する音を生かして、暗く、悲しいトーンを入れているのがテバルディ。ステッラの方は"tremenda"はそれなりに大きいのですが、"fatal" "amor"で声が揺れてしまっています。"spezzami"からは"cor"がやたら目立つだけで、特に悲しそうなトーンは入っていません。

次、"Numi, pietà del mio soffrir! Ah, pietà, numi pietà del mio soffrir, Numi, pietà, del mio soffrir." 初期のテバルディの録音を指揮した主な相棒はエレーデで、彼は特に名指揮者とはされていませんが、ここでグイグイ引っ張っていくドライヴ感を出すのには、彼のテンポの取り方も適切なのだと思えます。テバルディの最初の"Numi"と"del"の力の入り方はまさに、リリコ・スピントの女王のなせる技で、腹の底から力の入った歌です。"Ah! pietà"も強烈です。その後の彼女の歌い方の特徴はポンセルの時書きましたので、繰り返しませんが、ドライヴ感を出した後でゆったりとし、だんだんと静かな祈りに沈潜させる持って行き方は・・・上手すぎる。。。

ステッラの方は、"Ah, pietà"で声を張るところで、また揺れがあります。問題は次の"Numi, pietà, del mio soffrir."静かに音量を絞っていくテバルディと違い、彼女は"mio"をほとんど「明るく、くっきりと」歌っており、さらに"soffrir"に泣きを入れるというひねりを加えています。これが効果的な表現なのかどうかは、リスナーの好みの問題です。

一番最後の"Numi, pietà del mio soffrir!"は特に、ということはないです。指揮者のテンポが相当違います。エレーデのはあっさり。だから、テバルディもそれほどのんびり歌えません。"pietà"の「ア」が綺麗に開いていること、彼女特有のくっきりした"i"の独特の美しさに感心するだけです。ステッラの方はやたらと遅く振られているので、じっくり、ゆっくり歌わざるを得なくなっています。ここの彼女は声に悲しみの色が入っていると思います。"soffrir"はテバルディよりきっちりと"r"が巻けていて、これはいいのですが、少々強く巻きすぎ、の感もなきにしもあらず。


3. テバルディ/ニルソン


まだやるの???というお声が聞こえそうですが、何しろ、動画を5本作りましたので・・・。

ある意味、一番面白かったのがこのニルソンのアイーダトスカニーニが嫌った山猫アイーダって、こういうのじゃない?と思ってしまったくらい、彼女の歌は・・・はっきり言ってかみつくような調子。

彼女の場合、まず、イタリア語に難がありますから、それを指摘していくだけでも大変なのですが、とにかく、歌い方が・・・。力強い歌と凶暴な歌では明らかに受ける感慨が違いますね。

聞いていくとわかることをあらかじめ指摘しておきます。調音の問題です。ニルソンはハイ・トーンの声の持ち主だったため、高音部の方が出やすかったのです。それで、どうやらオケを高めに調音してもらった(?)らしい。逆のテバルディは特に低くしてもらってもいなければ、高くもしてもらっていません(当然・・・)ですから、二人の音源をつなぐと、音の高さが違って聞こえます。

入りの強烈さは、テバルディ、負けていないどころか、ニルソンよりトーンが低めの持ち声だったため、底力がついているように聞こえ、ニルソンが薄っぺらく聞こえるくらいです。

ニルソンの"E dal mio labbro uscì l’empia parola!"では"parola"が叩きつけるように、かつ、切り口上で歌われていて、コワい。その前まではひたすら暗く、声は抑えめなのです。"Vincitor del padre mio"では"padre"の"a"がやたらと目立ち、"mio"が強すぎる。

悲惨なのが"per ridonarmi una patria, una reggia il nome illustre che qui celar m’è forza."で"patria"が間延びして「パアトリア」のように聞こえ、"reggia"は「レッジャ」というより「レジャ」に聞こえます。最後の"forza"は途中で消えてしまっています。

次の一節。"Vincitor de' miei fratelli..."からしばらくはまあ、問題ないのですが、ニルソンにテバルディのような細かいニュアンス付けは・・・できていないですね。ただ、"trionfar nel plauso dell’ egizie coorti!" "plauso"の輝かしさはさすがのニルソンですが、問題はその後。"dell' egizie coorti"。「デッレジィッツィエコオルティ」で「ジツィエ」と、詰まりが抜けています。そして、またしても切り口上の上、コワい。かみついてますよね・・・。

"E dietro il carro, un Re, mio padre, di catene avvinto!"では、ニルソン、"carro", "Re", "padre"などを叩きつけるように、切り口上で歌っています。味方の有様にショックを受けた、という調子は表さなければいけないですが、彼女のような歌い方だと、味方にもかみつくんですか?みたいな。

"L’ insana parola, o numi, sperdete! Al seno d’ un padre la figlia rendete;"ではテバルディはうろたえているようなトーンで始めるのに対し、ニルソンは殆ど怒っているように"L' insana parola"を歌っており、"sperdete"がまたしても切り口上。"rendete"も。

"Struggete, struggete"のパンチ力はさすがのニルソン、強烈ですが、残念なのは発音。二重子音で詰まっていないので、「ストゥルッジェーーーテーー」が皆「ストゥルジェーテーーー」になっています・・・。"Ah! sventurata che dissi?"の"Ah!"のパンチ力もさすが。ですが、「リリコ・スピント」であって、「ドランマーティコ」ではなかったテバルディがニルソンと同じくらいのパンチ力を持っていたことに改めて驚嘆。ニルソン、"sventurata che dissi?"ではニルソンもやっと山猫を脱却。ここは悲しげになっていますね。

次の一節。殆ど神がかっているくらい上手いテバルディにはもう、及ぶ人は居ないのでは、と。この"E amor mio?" "mio"の最後がすーっと消え入るような、かつ、震えおののいているような感覚。ニルソンには無理です。それより、問題なのは、"Dunque scordar poss' io?"の方。"scor"が1点ホ音まで下がってから"dar"で急に2点ホ音に上がります。オクターブ上がってくるのですね。ニルソンは高音が強すぎるのです。ですから、ここですっきり、違和感なく"scordar"と歌えていない。"dar"が異常に目立ってしまって、違和感のある歌になっているのです。

"Questo fervido amore, che oppressa e schiava"は各フレーズの終わりがやはり切り口上。せっかく彼女にしては甘美に"amore"を歌い出したのに、切り口上にしたので聞く方はそこで、ガックリ来てしまいます。

"Come raggio di sol qui mi beava"は"come"「コーメ」がきちんと発音できておらず、何だかわからない単語に。勿論、テバルディのように、スラーの頭ごとに微妙な強勢をつけるなどという細かい技は、どこへやら、です。だいたい"beava"も発音がダメ。"v"が綺麗に出ていないので、「ベアーヴァ」ではなく、「ベアーマ」みたいになっています。

次の一節。"Imprecherò la morte a Radamès,"はまあ、特に、なのですが、問題は"A lui ch’ amo pur tanto!"確かに、"lui"はクレッシェンドの頂点ですが、強すぎて、浮いて聞こえます。そして最後の"tanto"の最後の"o"が狭く、暗すぎる。

"Ah! non fu in terra mai da più crudeli angosce un core affranto!" "Ah!"はフォルテなので気持ちよさそうに歌っていますね・・・。強烈です。そして、別にそういう指示はありませんが、あたかもデクレッシェンドしていくように徐々に音量を絞っています。ただ、ここの三連符の連続をきちんと歌に出せているかというと、ダメですね。べったり歌っているだけです。前に書いたとおり、テバルディのように3連符の頭を微妙に強くして、切れ目があることを歌に出すのが正しい歌い方だと思います。他に気になったのは、"terra"と"affranto"の両方の"t"が強すぎて目立つこと。普段ワーグナーなど、ドイツ系のレパートリーを歌うことが多かったニルソンでしたから、どうしてもドイツ語の強めの"t"の癖が出てしまったのかな、と。それから・・・歌詞に現れているような感興はこの歌からは聞き取れないですね。

次の一節の最初の2フレーズ、"I sacri nomi di padre, d’ amante né profferir poss’ io, né ricordar;"ですが、どうもフレーズの終わりの最後の始末がせっかちです。"d' amante"や"ricordar"の終わりがそそくさと切り上げられて、次のフレーズに移っています。どうして、しっかり歌いきってから次のフレーズに移れないのかは、必然性がわからないので、原因不明です。その後ろはしかるべき所にアクセントがついていて、問題ありません。

次の一節。"Ma la mia prece in bestemmia si muta"、"bestemmia"は二人とも強めに歌っていますが、またしても、テバルディの方が強力に聞こえる不思議。"Delitto è il pianto a me, colpa il sospir..."は"delitto"が「デリット」と詰まり切れていないので、だらしなく聞こえます。"pianto a me"は「ピアント」がゆるゆるで、これも締まりがない。そして、テバルディの歌と比べていただくとなぜこのフレーズのニルソンの歌がなんとなく変に聞こえるかがわかるのですが、ニルソンは2度出てくる"il"という定冠詞をしっかり歌いすぎているのです。冠詞や定冠詞、前置詞などには普通強勢を置きませんよね。動詞や名詞や形容詞、副詞などの方が意味上のウエイトが大きいからです。テバルディは「イル」とは歌わず、殆ど「イ」くらいに歌っています。後の"pianto"や"sospir"の方が大事だからです。"In notte cupa la mente è perduta,"ではニルソンの"cupa"は"p"が不明瞭。

次の"Numi, pietà del mio soffrir! Speme non v’ ha pel mio dolor."のテバルディの歌があまりにも美しいことはすでに書いたとおりです。前半の祈りに満ちたピアニッシモ、後半の"speme" "non v'ha " "mio dolor"での微妙な山の作り方、悲しみのトーンの入れ方。

ニルソンの方は・・・祈りの敬虔さのトーンは感じられないですね・・・。"pietà"の音程が妙にうわずっていること、"del"が「ジェル」のように聞こえるのが気になるだけ。"speme non v' ha del mio dolor"も、若干"speme non v'ha"を暗めにしているようですが、悲しみは伝わってきません。最後の"dolor"「悲しみ・苦悩」に聞こえますか?

次の一節。"Amor fatal, tremendo amor, spezzami il cor, fammi morir!"ニルソンのは、確かに"tremendo"が長くて雄大ですが、その前の"amor" "fatal"も強すぎるので、ここを目立たせている効果が十分生きていません。"spezzami"はまた二重子音が詰まり切れていない。「スペーツァーミ」のように聞こえます。テバルディの"cor"は、やり過ぎで、ここは彼女のミスなのですが、このフレーズ全体を聞くと、"m"の響きを生かして、そこに暗いトーンを入れていることは書きました。ニルソンはそれなりに暗いトーンを入れているのですが、全体に暗くなってしまっていて、微細な配慮とは感じづらいです。ニルソンの歌は前半が山猫で、後半はひたすら暗い、という風になっている。歌には山や谷を作らないと妙味が出ません。

次の一節。"Numi, pietà del mio soffrir!"テバルディは歌い出しから底力の入った歌でグイグイ引っ張っていきます。ニルソンは"del mio soffrir"あたりから急に強くなる印象が。無理もない、ここから2点ハ音より上の音域に上がっていくからで、彼女にとっては歌いやすい音域なのです。前半はテバルディほど力が入っていません。中低音では、それほど力が入らないのです。

ですから、"Ah, pietà, numi pietà del mio soffrir, Numi, pietà, del mio soffrir."では、前のフレーズが輝かしくても、後のフレーズは何だか情けない歌になっています。神々にすがっているからというよりは、中低音は音量が出にくいから弱い歌になっている?という印象。"mio"が変に目立っているのは、またしてもこれが2点ハ音だからです。高い音だけ目立てばいい、というわけではないのは今更私が申し上げる必要もないことです。"soffrir"は"f"が強すぎて、気になります。

最後の"Numi, pietà, del mio soffrir."では、テバルディの場合、フレーズ全体に涙の色とぬくもりがこもっています。神にすがっているからですね。ニルソンのは"pietà"に哀れみを乞う調子が入っていますが、それだけですね・・・。またしても"del"が「ジェル」のように聞こえるのも気になります。決定的なのは、テバルディの声にある、「人肌の温もり」のようなものが、彼女の声には欠けていること、です。


またしても異常に長くなってしまいました・・・。でも、細かい分析をする以上、仕方ないのです。次回は後輩に当たる歌手達2人との比較動画をご紹介します。