読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

テバルディの歌声・歌唱の特徴とは(3)

テバルディ 歌声と歌唱の特徴

さて、シリーズ最終回は、テバルディの後輩に当たる歌手2人との比較です。曲は同じ、ヴェルディアイーダ』の"Ritorna vincitor!"です。

スコア上の注意点を繰り返します。

・入りには別に、フォルティッシモで叩きつけろ、という指示は、全くありません。
・最初の注目点は"trionfar nel plauso"の"plauso"がフォルテという指示。
・"L' insana parola o Numi sperdete"はピアニッシモで入り、"Numi"を頂点にクレッシェンド、デクレッシェンドの指示。
・2度の"Struggete!"はフォルテ。
・"Ah!"はフォルティッシモ、"questo fervido amore"からクレッシェンドし、"come raggio di sol"でデクレッシェンド。
・"la morte a Radames, a lui ch' amo pur"は"mes"を頂点にクレッシェンド、デクレッシェンド。
・"Ah! non fu terra mai"の入りはフォルテ。
・"I sacri nomi"からは"triste e dolce(悲しげに、優しく)"の指示。
・"né profferir poss’ io, né ricordar"では"né profferir"の1音節ごとにアクセント。次の"né"にもアクセント。
・"io pianger vorrei, vorrei pregar."では"io pian ge"の各音節に強アクセント、"re"に通常のアクセント。
・2度目の"vor"にアクセント。
・"Ma la mia prece"から"con più forza(より力強く)"の指示。
・"Numi, pietà del mio soffrir!"からは"con espressione(情感を込めて)"の指示。
・2度目の同じ歌詞では"poco stringendo(次第に速めて)"の指示。
・その終わりから次へ続いていく、"soffrir, ah! pietà"では"ah!"を頂点にクレッシェンド、デクレッシェンド。
・最後の"Numi, pietà, del mio soffrir."はピアニッシモ


4. テバルディ/プライス

どの歌手の声が「美声」と感じるかはその人次第。それは私が常に認めていることです。ですから、この5本の比較動画をご覧になって、別の歌手の声の方がテバルディのそれより美しい、とお感じになる方がいらしても何の問題もありません。

プライスは、テバルディには出せない高音域が出せ、早いパッセージもそつなく歌いこなすことができました。ですから、テバルディ・アンチの方の中には彼女を対抗馬に挙げる方が多いのも承知しております。

ですが、私は、彼女を「美声」の持ち主、だと思ったことはありません。私の思うところでは、彼女の声質はどちらかというと「ハスキー」で、「艶」や「輝き」というものは持っていなかったと思います。「温もり」はありますが、私の好みとしては、少々「熱すぎ」る、かな、と。

お断りしておきますが、私は人種差別的発想には否定的です。黒人歌手が肌の色のせいだけで長い間舞台に立てなかったのは非常に遺憾なことでした。そして、私が「美声」と思っている黒人歌手も現にいました。メゾ・ソプラノのシャーリー・ヴァーレット、性格に少々問題があるのにそれが知られていないのが残念な、キャスリーン・バトル、主にウィーンで活躍していたレリ・グリストなどです。特にヴァーレットの歌を初めて聞いたときは(ドニゼッティの『ルクレツィア・ボルジア』でオルシーニを歌っているもの)ヒロインのカバリエより美声だ、と思ったものでした。

そのなかに、プライスは入っていません。マルティナ・アローヨも、ジェシー・ノーマンも私の考える「美声」の範疇には入りません。ですが、白人歌手で「美声」に入れたくない人はもっと沢山、いすぎるくらいいますから、差別感情が私の判断に影響しているのだとはお考え下さいませんように。

さて、動画の鑑賞に入ります。プライスの音源は1959年の録音からです。出だしのパワーは見事です。ただ、アメリカ人の歌手全般に言えることですが、イタリア・オペラを専門に歌うのならば、もう少し発音の矯正に努めるべきだろう、と思わせる場面がしばしば、というか、そればっかり?

プライスの"r"は上手く巻けていません。イタリア語、特にオペラの歌唱では普通出だしや語中の"r"、はできるだけ巻き、特に二重の"rr"は強く巻かないといけません。英語の"r"は口腔内で舌を上にそり上げるだけですから、巻き舌ができない人は苦労するだろうな・・・と。逆に、語尾で"r"を強く巻きすぎると、歌唱が汚くなります。この癖があるのが以前の私のブログで話題にした、生粋のイタリア人、ミレッラ・フレーニ。彼女の動画も作ろうとしましたが、所詮、彼女はアイーダ歌いという柄ではなかったので、"r"の指摘はいくらでもできたのですが、比較の意味がないと感じて、断念しました。

というわけで、出だしの"Ritorna"からして、不満が。次は"che impugna l' armi per me"で"impugna"の「インプンニャ」の"n"音が十分発音できていないこと。"per ridonarmi una patria"では大事な"patria"より"una"のほうが強すぎる。"il nome illustre che qui celar m’è forza."では"illustre"の"l"が目立ちすぎて妙な感じに聞こえ、"che qui"の"qui"が「グイ」のように聞こえます。このフレーズは全体に歯切れが悪く、ダレて聞こえます。

次の節では"trionfar nel plauso dell’ egizie coorti!"の部分で、"plauso"がテバルディに比べると力不足に感じたこと、"dell' egizie coorti!"がそそくさと歌いおわされてしまっていること(多分"plauso"を少々延ばしすぎたから?)が気になる点でした。そそくさ歌ってしまうと、テバルディがそうしているように、敵軍への敵意のトーンを声に込める余裕がありません。

"E dietro il carro, un Re, mio padre, di catene avvinto!"ではまたしても"carro"で"r"が巻けていません。他がダメでも、ここは是非巻いて欲しかった・・・。同じ所のテバルディの歌を聞いてみて下さい。"dietro" "carro" "Re" "padre" 全部、"r"が綺麗に巻けています。プライスの"avvinto!"の迫力は十分。

次の節はもっと締まりがありません。"L’ insana parola, o numi, sperdete! Al seno d’ un padre la figlia rendete;"「パローラ」が「パオーラ」のように発音されている、「スペルデーテ」が何だかはっきりしない発音になっている、「アルセーノ」が「アセーノ」のようになっている、「ドゥン」の"d"音がくっきりせず、流れている、"figlia"で「フィリア」(本来はフィッリアくらいでしょうか?歌の中なので、テバルディもフィーリアというように発音しています。)のように綺麗に「リ」"gli"が発音できていない。

何だ、発音にケチをつけているだけじゃないか、とお思いでしょう。ですが、歌詞は主人公の心情を伝えるためにあるだけではないのです。使われている言葉の音も、音楽の一部を構成している以上、できるだけ明瞭に、正しく発音されるべきもの、と私は思います。とにかく、子音できちんと「適度な」(強すぎる子音は耳障りです)引っかかりを作らないと、歌の締まりがなくなり、母音(a,e,i,o,u)が明るく、明瞭でないと、曇ったような響きの歌になります。発音も、声楽では立派な音楽の要素なのです!

問題は"Struggete, struggete, struggete le squadre dei nostri oppressor!"。明らかに"struggete"がパワー不足です。そしてまたですが、"oppressor"の"sor"の"o"が狭すぎて、響きがはっきりと暗くなっています。殆ど"a"に近いくらい"o"を開ける傾向のあったテバルディの歌と相当違う印象を受けます。

"Ah! sventurata! che dissi?"も"Ah!"が今ひとつパワーに欠けます。今までの所、テバルディに匹敵したのはポンセルとニルソンだけですね・・・。"sventurata"の発音もまた問題が。「スヴェトラータ」のようになっていて、「ン」が入っていないので、妙な感じに聞こえます。

"E l'amor mio?"の2人の声の響きの違いを聞くと、プライスをテバルディの対抗馬に持ってくるのがいかに見当違いかわかるというものです。テバルディの声の潤いをプライスの声に求めても、無理なのです。表現についても、このテバルディのためらいと悲しみと、自問のトーンの入った微妙な歌い口は求むべくもありません。"Dunque scordar poss' io?"では"scordar"が「スコダール」のように発音されています。一音節分欠けてしまうので、曲としてバランスが崩れるのです。

"che oppressa e schiava"では、細かすぎるといわれそうですが、"e"が狭すぎます。英語の母音が5つではなく、"e"は日本語やイタリア語の"e"より狭い傾向なのは、英語を学習した方々はご存じかと。でも、英語の"e"のままイタリア語の歌唱をしてしまうと、「気持ち悪い」の域に達するのです・・・。

"come raggio di sol qui mi beava?"はプライスも美しく歌おうと頑張っているのはわかりますが、買えるのはその努力の姿勢だけです。"raggio"でまたしても問題。"gg"の二重子音が詰まっておらず、良く聞こえても来ません。こういうところで引っかかりがないと、ダレた歌になります。

"Imprecherò la morte a Radamès,"は大変。まず、"Imprecherò" の"pre"が全く聞き取れません。「プレ」とちゃんと歌ってもらえないと。"Radamès,"の箇所は、ステッラの時指摘したのと同じ問題が、さらに深刻な形で露呈。"ra" "da"は8分音符、"mès"は付点4分音符です。もっと、長さの違いがくっきりわかるように歌わなければいけないはずなのに。

"Ah! non fu in terra mai da più crudeli angosce un core affranto!"は・・・。私には聞くのが辛かった。です。まず、"Ah!"はフォルテの指示があるのですが、彼女は見落としたのでしょうか?全く力が入っていません。"terra"は英語の強すぎる"t"がそのまま使われており、「テッラ」というより「チェ」と聞こえます。その後が問題なのです。"crudeli angosce un core affranto!"は殆ど1点ホ音のあたりをすれすれに上下する、低音域が長く続くフレーズです。ここの彼女の声は・・・。「美声」と言えるとお思いになりますか?

次の節。2点ホ音になるので復活。"né profferir poss’ io, né ricordar;"は"poss'io"でのんびりしすぎたためか、"né ricordar"があたふたと片付けられています。"io piangere vorrei, vorrei pregar."は意地悪なくらい"r"責めのフレーズですが、見事に全部、"r"が巻けていません。

"Ma la mia prece in bestemmia si muta..."に至っては、彼女は歌うので精一杯で、表現はそっちのけだったのか?と。いろいろな歌手が"bestemmia"に強調を置いているのに、彼女は前後と全く同じ調子で歌っているだけです。

次は妙な現象が。"Delitto è il pianto a me, colpa il sospir..."イタリア語の巻き舌"r"とは違うのですが、最後の"sospir"で妙に「ル」と強く発音しているのです。語尾の"r"はむしろ軽く発音した方がいいくらいなのに、わざわざこうした意味が不明。

"In notte cupa la mente è perduta,"では"perduta"でまたしても"per"がはっきり発音できず、「ペドゥータ」のように。"e nell’ ansia crudel vorrei morir."の"r"が全滅なのはもう、指摘するのも疲れました。。。

"Numi, pietà del mio soffrir!"は始めてまともな"r"が。ただ、"pietà"の発音が妙ですが。彼女の歌も彼女にできる限り透明で清浄な感覚を出していますから、それは素晴らしいと言うべきでしょう。残念なのは次の"Speme non v’ ha pel mio dolor."2点ハ音以上が得意だったらしい彼女は、ここで1点ト♭から1点域に下がっていくフレーズを綺麗に歌えておらず、またしても聞いているのが辛くなりました。

"Amor fatal, tremendo amor,"全音符や2分音符が多く、"a"という音が多いこのフレーズでは、彼女の細かいヴィブラートが気になり、十分開いていない暗い"a"が歌唱の美を損なっています。"tremendo"でせっかく頑張っているのですが・・・。

2度目の"Numi, pietà del mio soffrir! Ah, pietà, numi pietà del mio soffrir,"のあたりは、最初に"poco stringendo"の指示がある、と前回書きました。だから、テンポを速めなければいけないのですが、全部同じ調子で歌われていますよね・・・。これは指揮の問題でもあります。そして、またしても、次の"Numi, pietà, del mio soffrir."が1点音域で歌われるため、声が荒れています。

最後の最後、"Numi, pietà, del mio soffrir."は2点音域と1点音域のすれすれを上下するという感じなので、無難に歌えています。

殆ど発音の問題に終始したようにお感じになったかも知れませんが、表現について云々するのはこの場合、意味が無いと感じたからです。なぜか。よく二人の歌をお聴き返しになるとおわかりになりますが、どうやらプライスはテバルディの歌唱の効果を極力まねようと努めたらしいのです。何せ、テバルディの録音は、プライスの録音のちょうど10年前のものですから。比べながら聴くと、似通っているので、彼女の歌いぶりはテバルディのそれに似せようという努力の産物だということがわかります。ただ、声質と正しくない発音、パワー不足、細かい声への色づけの不足はどうにもならなかった。"Radamès"で音の長さの違いにまで配慮できなかったところもありましたね。

個性の付け方もいろいろあります。ニルソンみたいな付け方が適当だとは思いませんが、どこかで聞いたような?歌い方で歌われてしまうと、面白みがありません。同じスコアで歌ったとしても、微妙な表現の違いをつければ、十分、「これは面白い!」という歌になるはずなのに・・・。


5. テバルディ/カバリエ

カバリエの音源は、1974年のEMIのもので、ムーティー指揮の有名な盤です。以前の私のブログで、『アイーダ』というと、私は長いこと、この盤の方を聴いていた、と書きました。でも、激越なムーティーの指揮、コッソットのはまりすぎているくらいのアムネリス、ギャウロフ、まあまあのカップッチッリとドミンゴを聴くのが主な目的で、カバリエのアイーダがこの盤の一番残念な点だと思っていた、ということも書かせていただきました。

ただ、上のプライスよりカバリエの方が評価できる、と思ったのは、彼女は彼女の歌を歌っている、と明らかにわかるからです。そして、今回良く聞き返してみて、彼女は彼女なりにいい歌を歌っていたのだと気づきました。絶賛できるかというと、そうではないですが・・・。

最初の第一声はパワー不足です。次、"E dal mio labbro uscì l’empia parola!"彼女は"parola"を叩きつけるように歌っています。明らかにテバルディとは違う。それが素晴らしいとは思わないですけれど。どうせ強調したいのなら、前の語も強調すべきだったと思うのです。

"Vincitor del padre mio"では締めに向かって微妙に音量を下げて、独特の雰囲気を作っています。これはこれで面白いです。

"per ridonarmi una patria, una reggia il nome illustre che qui celar m’è forza."問題はここ、カバリエさんも二重子音が苦手だったご様子。"reggia"が「レッジャ」ではなく「レージャ」になっています。ここはムーティーの血気盛んなテンポもあって、忙しく歌われています。指揮者の考えも歌のできばえには大きく影響します・・・。ここでは特にカバリエを苦労させているとは思いませんが。

"Vincitor de’ miei fratelli..."では"fratelli"が「フラテッリ」ではなく「フラデッリ」のように聞こえます。テバルディは背景音楽のウェーブに合わせるように自分の歌の盛り上げを持って行き、恐ろしげな効果をあげているのですが、カバリエは"Vincitor"をため息交じりに歌って、それが恐ろしいことだということをあらわそうとしているようです。

そこが面白かったので、期待したのですが、次は残念。"ond’ io lo vegga, tinto del sangue amato,"ここは特に工夫が感じられない上、"tinto del" の"del"がちゃんと発音できていません。スペイン語とイタリア語は似ているので、習得しやすいはずなのですが、カバリエはあまり注意深い方ではなかったようです。

"trionfar nel plauso dell’ egizie coorti!"ここも"dell'"が抜けています。"plauso"で頑張りすぎて、余裕がなかった?その"plauso"は迫力満点ですが、"egizie coorti"をどう思っているのか、この歌唱からは伝わってきません。

"E dietro il carro, un Re, mio padre, di catene avvinto!"では"E dietro il carro, un Re, mio padre"まで、何だか熱でもあるんですか?というようなダルそうな調子を入れています。これは、彼女にとっては「辛さの極致」の表現なのかも知れませんが・・・。私にしてみると、ピントが外れているような表現の仕方です。"avvinto"の強力さは立派です。

次の一節。"L’ insana parola, o numi, sperdete!"からですが、ムーティーの強力なテンポに追いまくられているような歌いぶりで、少々気の毒な・・・。"struggete"の迫力は十分です。"Ah!"は頑張って声を張ったようですが、最初の部分はムーティーのオケの大音響にかき消されています。それでかどうか、相当長く引っ張ってますね。"sventurata che dissi?"はあまり魅力的な響きではないです。不幸を嘆いているというより、叱られていじけているような調子に聞こえるのです。

カバリエの"E amor mio?"は「可愛く」はあるけれど、「悲しい、自己矛盾」という感覚がありません。"Dunque scordar poss' io"はテバルディと比べていただくとわかりますが、カバリエの歌は強すぎ、恋する女性という感じではありません。

"questo fervido amore, che oppressa e schiava"はまた「可愛く」歌われています。ささやくかのように。"fervido"や"oppressa"があるのに、どうして???よくわからない解釈です。"come raggio di sol qui mi beava"は、声を裏返すように入るテバルディとは真逆で、堂々たる大声で"COME"(大文字にしたくなりました)と始まって、デクレッシェンド。それはスコアと合っていますから、問題ありません。でも、こういう歌から「陽光の中にいるように幸せにしてくれたのに」という気分を受け取るのは難しいです。私には。

"Imprecherò la morte a Radamès,"では彼女は最初を特に強くしていません。それでいいのです。フォルテの指示はありませんので。 "A lui ch’ amo pur tanto!"ここは"A lui"で頂点を作ってクレッシェンド、デクレッシェンドですので、正しい歌なのです。ですが、"A lui ch' amo"が強すぎて、ちとコワい。"pur tanto"はソフトで、優しく、理想的な歌い方です。ここはテバルディより上手いくらいです。

問題は、"Ah! non fu in terra mai da più crudeli angosce un core affranto!"前に出てきた歌手達の項でも問題にしましたが、ここはまずい。彼女はスコアの3連符を歌に反映できていません。ベターーっとレガートで歌っている。"non fu in" "ter-ra" "mai da" "più cru" "de---" "-eli an"という塊を作っていかないといけないのです。それも、ぶつ切りにするのではなく、「微妙にここは区切れています」と感じさせる程度に。 カバリエの歌を聞く限り、ムーティーのテンポが急に落ちたので、さりげなく区切ろうとしても、区切りがはっきりできそうになってしまうので、やめた?という感じがします。

次の節。"I sacri nomi di padre, d’ amante"からまた、ムーティーのテンポが急速に。忙しいからか、今ひとつ、"io piangere vorrei, vorrei pregar."などで苦悩や悲しみを表し切れていません。彼女も"bestemmia"は強調していますが、テバルディほど強力ではないですね。最後の"vorrei morir"の"morir"は全音符ですが、ずいぶん延ばすなぁ・・・。テバルディはここでポルタメントしていますが、しない方がスコア通りです。だから、カバリエは正しい。

次の節。"Numi, pietà del mio soffrir! Speme non v’ ha pel mio dolor."別にピアニッシモにしろとは書かれていませんが、テバルディもカバリエもピアニッシモを駆使。ふたりともそれぞれ美しいので、どちらを好むかはリスナー次第でしょう。"Amor fatal, tremendo amor,"に行くと、話は違ってきます。カバリエの"Amor"の"a"は暗すぎる。"tremendo amor"は小さなクレッシェンドがついていますから、強めるのはいいのですが、美しいというよりはコワい。"fatal" と"amor"の全音符を聴いていると、ウォブルが気になります。実は彼女は長い音を安定して、維持できなかったのですね。意外でした。

次の節。"Numi, pietà del mio soffrir! Ah, pietà, numi pietà del mio soffrir,"最初で腹に力の入った声で踏ん張ってグイグイ盛り上げているのは二人とも同じですが、"Ah"で頂点に来たとき、またカバリエはウォブルしています。こういうとき、テバルディは鉄壁です。。。それから、ムーティーさんもうっかり?ここは"poco stringendo"ですから、テンポを速めなければならないのですが、彼がそのまんまなので、カバリエもそのままのテンポ。これは困りますね。

最後のとどめの"Numi, pietà, del mio soffrir."ここはピアニッシモ。そして、今まで言及しませんでしたが、"perdendosi(消え入るように)"という指示がありますので、このカバリエの歌は一番正確です。

彼女はそれなりに立派に歌っている・・・のですが、やはり、いろいろ書いた欠点が足を引っ張っているので、絶賛は出来ないのです。


ポンセル、ステッラ、ニルソン、プライス、カバリエのファンの皆様は憤慨なさるでしょう。ですから、もうここにおいでにならないようにお勧めします。私が作っていくのはレナータ・テバルディの庭です・・・。

次回はもう一項、別の趣向の特集動画をご紹介いたします。