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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

ソプラノの高音と低音の問題

オペラ鑑賞をめぐる論考その他

さて、前回までは、テバルディの声や歌唱の特色を、他の歌手と比較しながら確認していただきました。今回は、別の視点から彼女の歌唱の長所と弱点についてあらかじめ確認しておきたいと思います。

テバルディの短所として有名なのは、「早いパッセージの歌唱が苦手」ということと、「高音が出ない、出きらない」ということです。このブログを読んでいって、ご紹介する彼女の音源を順に聞いていって頂けばおわかりになりますが、確かに彼女は早いパッセージ(主に装飾音の処理)が苦手でした。これは否定のしようがありません。しかし、高音が出なかった、というのは実は誤解なのです。彼女は初期はハイCでも十分問題なく歌えていました。高音が出ている場合は、今後の記述でその都度指摘いたしますので、特別に動画は作成しません。

ソプラノ歌手、となると、どうしてもキラキラした高音が出せないと、その歌手の欠点と見なされがちです。ですが、高音ばかりに注目するのはいかがなものでしょう?実は、ソプラノ歌手で充実した低音が出ないため、残念な歌を歌ってしまう歌手は結構いる、と思われるのです。「思われる」と書いたのは、私が確認しきる時間的ゆとりを持っていないからです。一応、ニルソンやプライスの例で少しはご確認いただけたかと。こうした歌手は2点ハ以上になると声が出やすいのですが1点音域では非常に歌いにくそうに歌うのです。

スコアで要求されているにもかかわらず、「要求されている高音が出ない」のは、確かに問題でしょう。でも、「低音が出ない」ことが問題にされないのは片手落ちだと思います。「低音が出ない」のも、問題なのです。

ここで問題にするのは、私の比較的好きな歌手の部類に入る、エディタ・グルベローヴァ。彼女はモーツァルトの書いた難曲中の難曲、コンサート・アリアの『テッサーリアの人々よ』をこの上なく見事に歌えた数少ない歌手の一人で、私は彼女の生のリサイタルを2度も聴きに行ったくらいですから、彼女をおとしめようなどという意図は全くありません。

ですが、彼女には決定的な問題があったことは事実だと思うのです。持ち声が非常にハイ・トーンの彼女は、高音域は難なく出せたのですが、低音がまるで駄目なのです。

次の動画は、難曲中の難曲として知られるモーツァルトのコンサート・アリア『テッサーリアの人々よ』"Popoli di Tessaglia"KV316の録音で、グルベローヴァがハイCどころか、そこから、「ド、レ、ミ、ファ、ソ」と、3点ト音まで決めている(それも二回も!!!録音日は書かれていません。音源はDGの日本盤、POCG-1418/21のDIE KONZERT-ARIENからです。)と、反対に、オペラ『後宮からの誘拐』の大アリア"Marten aller Arten"で(Decca 417 402-2 1984,85スタジオ収録)で、低音が出ていない部分をつなげた動画です。さらに、画像で、それぞれのスコアの該当部分が確認できる場所を貼り付けます。

モーツァルト『テッサーリアの人々よ』スコアより(抜粋)

矢印で示したのがハイC以上の部分

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モーツァルト後宮からの誘拐』"Marten aller Arten" スコアより(抜粋)

赤矢印は3点ニ音。緑、青、紫は低音部。オレンジでオクターブ上がると歌声が響いてくる

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テバルディとは比較できません。グルベローヴァは、自分のような持ち声の歌手が、重い声を要求されるような役を歌うリスクを知り尽くしていた、賢明な人です。彼女は声に負担のかかるようなレパートリーは徹底的に避け、『ノルマ』でさえ、キャリアの相当後になってからでないと歌いませんでした。レパートリーでテバルディとはまるで接点がないのです。(『椿姫』だけはかぶっていましたが、この二人では聴かせどころが全く違いますし、印象も違います。)

『コロラトゥーラの女王』と呼ばれていた彼女のことですから(ほとんど人間業とは思えない、見事なコロラトゥーラの歌いぶり!)、コロラトゥーラを駆使した高音域は何の問題もないどころか、これ以上見事に歌えるのだろうか、という感がするくらいですが、そこが、モーツァルト。過酷な難関を用意していたりするのですね。

動画で指摘してありますが、"Marten aller Arten"では、まず、1度目は「中央ハ」と、その半音下の「ロ」が要求され2度目は"Himmels Segen"で1点ニ、1点ハ、その下のロと下がっていき、急にオクターヴ上の1点ロに跳躍する部分があります。ここで、低音部では彼女の声が引っ込んでしまっており、高音になったとたん復活しているのはお聞きの通りです。

ちなみに、この曲ではハイCがコロラトゥーラのパッセージの間2二度、そしてハイCに続いて一音上の「ニ」を出す場所が二カ所あり、とどめにハイCを全音符+四分音符で維持し、(この曲は4分の4拍子)いったん休符を経た後、全音符3三小節分4四分音符の長さまで維持しろ、という要求があります。でも、それで終わりではないのです。またしてもコロラトゥーラを駆使しながら四度ハイCを出す箇所がフィナーレ近くに。いったい何度出せば?とにかく、こういう箇所に関しては、彼女の歌唱には何の問題もありません。余裕でこなしています。(非常に長いアリアですし、ここはテバルディの庭なので、問題の場所しか切り取ってきませんでしたが・・・。)

彼女のコロラトゥーラの処理および、高音の輝かしさと美しさは見事に一言に尽きます。ですが、「低音が出ていない」ことが問題にならなくていいのでしょうか?これだけの難曲をこなしているのにそれくらいでケチをつけるほうがどうかしている、のでしょうか?

テバルディの場合、ハイCの維持は確かにキツそうでした。ですが、声の強さという点ではグルベローヴァは問題にならないのです。そして、テバルディのレパートリーが難曲ではない、とは決して言えません。

たとえば、彼女がごく初期から歌っていた『アンドレア・シェニエ』のマッダレーナですが、この役は、レッジェーロなソプラノの軽い声では到底歌えません。充実した、よく響く、強靱な声が必要なのです。当然のように、低音も要求されています。この有名アリアでは「中央ハ♯」のあたりをずっと続ける箇所があり、テバルディはこうした場合、ライブで聞いてもちゃんと聞き取れる音量で歌えています。音質の重厚さ(しかも、ガサガサしたり、うなったりしないで歌えているのです。)も、聞いているほうの腹部に響くものがあります。

ここでご紹介する動画はもうすぐ記事でも取り上げる予定の、1949年のスカラ座でのライブ録音からです。問題の場所は動画中に指摘してあります。画像は該当箇所のスコア。ライブなのに、これだけ低音が響いてくるのは、実はソプラノとしては凄いことだと思うのです。しかも、歌の内容が内容なだけに、すすり泣き混じりで歌っているのです!

▼ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』より"La mamma morta" (抜粋)

矢印が低音部分

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もっと低音を出す曲もあります。『運命の力』のレオノーラも彼女はさんざん歌いましたが、第二幕に中央ドの下の「シ」「ラ」なども要求されています。当然、しっかり声が出ています。それはまた、後ほどご紹介することになるでしょう。

 

「低音の出る」ソプラノもいたことはいましたね、でも、「美しい響きで」出せた人はまれなのです。それができないことは、高音が出せないことと同じくらい、問題なのでは?と私は思っています。

あと、もう一項、別の話題を書かせていただきます。