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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

テバルディ デッカ初録音シリーズ(2)

スタジオ録音 アリア集

さて、今回はテバルディのデッカへの初録音6曲のうち残り3曲をご紹介します。

録音データを繰り返しますが、収録日、1949年11月23日、指揮、アルベルト・エレーデで、演奏のオーケストラは不明です。

4. プッチーニ蝶々夫人』から"Un bel dì vedremo"

 

この曲のテバルディの歌唱はもう聞き飽きました、という方々が多いのではないかと思います。有名なセラフィン盤での抜粋や、YouTube上の、Bell Telephone Hourでの映像付きの動画などで。

だから、この録音の意義は、やはり、若いテバルディの声でこの曲が聴ける、というところにあると思います。

プッチーニが使うパターンとして、このアリアも比較的高い音域からスタートし、だんだん下がっていくというコースを取ります。この場合、2点ト♭が歌い出し。実はキツいのです。強弱記号は全くありませんが、テバルディは極力穏やかに、抑えめに歌い出すのが常でした。熱愛する人が帰ってくるところを想像しているのですから、半ば夢を見ているような感覚を出しているのです。絶妙です。"fumo, sull’ e stremo"では"fumo"の上でデクレッシェンドの指示があり、"sull’"と"e"にはテヌートの指示。テバルディはこの"sull’" "e"を微妙に、本当に微妙に延ばし気味にして、スコアの指示に従っています。"E poi la nave appare"では"poco rallentando"の指示。指揮者にも左右されてしまうのですが、テバルディはここでせかせか歌うようなことはありませんでした。

"Poi la nave bianca,"は逆に"un poco mosso"。どっちなの???プッチーニって結構テンポの指示がくるくる変わるのです。さっきまで「だんだんゆっくり」と指示しておきながら、今度は「少し速めて」。"entra nel porto"は"ritenuto"「そこから遅く」。またゆっくりに戻る・・・。おまけに"entra"にはテヌート記号がついています。だから、テバルディはじっくり「エーーーントラーーー」と歌っているのですね。次から同じパターンが。"romba il suo saluto"は"un poco mosso"で"Vedi?"は"ritenuto"かつ"con passione(情熱を込めて)"です。強弱記号はないですが、ここでテバルディが声を張るのは、「情熱を込めきっているから」なのです。"È venuto! Io non gli scendo incontro, io no." "È"はテヌートです。そして、"venuto!"を歌い終えるまでにデクレッシェンドの指示。テバルディの歌はスコアが見えるようです・・・。"Io non gli scendo incontro"では"dolcemente(甘美の限りに)"です。こういう指示が守れない全盛期のテバルディって、ちょっと想像つきません。彼女は"Io no."までも、ごく優しく、温かく歌っています。"scendo"の上には"rallentando"の指示もありますから、だんだん遅くするのですね。

次、もうピンカートンが来たのはわかっている。では、彼をどう迎えるのか、それを物語る部分ですが、"Mi metto là sul ciglio del colle"で"a Tempo" "con semplicità"ですから、変にテンポをいじったり、妙なひねりを入れるのはいけません。ごく普通に歌うのですね。それでいて、"la lunga attesa"では"la lunga"が"ritardando"なのに"attesa"が"a tempo"です。「長く待つ」のですから、そこをゆっくり歌え、というのです。やかましいプッチーニ・・・。"E uscito dalla folla cittadina"では"animando un poco(少々活気を込めて)"そりゃ、ピンカートンが来るのが見えてくるくだりだから、ヒロインもエキサイトします。こんな指示必要?"s’ avvia per la collina"は"rallentando un poco"だんだんゆっくりしていく、微妙に、です。

とうとうピンカートンが帰って来る、「そうしたらどうなるかしら?」彼女の期待が溢れる一節。"Chi sarà? Chi sarà?"には"sostenendo molto""lo stesso movimento"の指示が。最初の方は、「じっくり歌いなさい」と言いたいのでしょう。次のは、ここから8分の4拍子になるけれど、前とあまり変わらないように歌いなさい」ということです。とにかく、ここのテバルディの歌い方は、どのソプラノ歌手よりも期待で胸が一杯、という表情がついているのです。"Chiamerà, Butterfly dalla lontana, io senza dar risposta me ne starò nascosta."は"rallentando"から"Lento"になっていきます。どんどんゆっくりになるのですね。そして、"un po’ per celia, e un po,"は"rallentando molto"です。ここまでくると、相当スロー・ダウンすることになります。こうするのは、次の台詞の効果を一気に高めるためだというのはよくわかります。

"per non morire, al primo incontro"で蝶々夫人の本音が爆発。昔の日本人って、相当繊細な動物(?!)と思われていたようで、「恋しい人といきなり再会したら死んじゃうだろうから」なんて趣旨の歌詞を歌わせるのですね。"per non"はテヌートなので、テバルディもしっかり歌います。そして、ここは"con molta passione(大変情熱を込めて)"なので、フォルテ記号なんかなくても、テバルディは目一杯声を張ります。"morire"の"rire"にはさらに"con forza(力を込めて)"とありますから、尚更です。その後はクレッシェンド記号などが部分的についていますが、プッチーニさんもやかまし屋をいったん閉業。

スズキの方に向き直って宣言する節に移ります。"Tutta questa avverrà, te lo prometto"ここは最後の"metto"あたりからクレッシェンドして、"Tienti la tua paura, io con sicura fede"でやっと頭にフォルテ記号が。テバルディも持ち前の強力な声を張ります。"fede"からはさらにクレッシェンドして、(かつ、rallentando)"l’ aspetto"でフォルティッシモに持って行け、と。テバルディの力の見せ所です。ここでは・・・この最後の"l’ aspetto"がものすごく長い。

非力な歌手だと、こういう所でヴィブラートしたり、ウォブルしたりして、なめらかなフレーズのまま音を維持することができません。2点ロ♭はテバルディとしては楽とは言えない音でしたが、全盛期の彼女の場合、こういう所で声が揺れて耳障りに聞こえることはほとんどなかったと言っていいと思います。

最初のレコーディングから、完璧な出来映えです・・・。これ以上の歌を、どう歌えと?


5. プッチーニマノン・レスコー』から"In quelle trine morbide"

この歌もテバルディの十八番です。かつて私が一時同様のブログと動画チャンネルを持っていたときに、この動画の人気は半端じゃありませんでした。

まぁ、当然かな、と。テバルディ以上に女性らしさのエッセンスを声に込めてこの歌を歌うことは不可能なのでは、と思われるような、「温度」と「華」のある歌。そして、とても短いアリアの中に、彼女はきちんとドラマを作っていますから。

このアリアは冒頭からピアノの指示があります。"morbide"の「モールビデー」のテバルディの声!「柔らかい」をこれ以上「柔らかく」「優美に」歌うことが可能でしょうか?!とにかく、どうやったらこういう声が出るのか、というほどの美声です。"nell’ alcova dorata"はちょっと悩ましげな"morbide"より清澄に、素直に歌われていますが、"a"が皆綺麗に開いていて、明るい響きが、「金色のアルコーヴ」そのものを描き出しています。そりゃあ、確かに綺麗だわ、でもね、が次の彼女の本音部分。"v’ è un silenzio gelido mortal"はクレッシェンドの指示。テバルディは音量を上げるだけではなく、「死のような冷たさ」で暗いトーンを入れる巧みさ。打って変わって"v’ e un silenzio, un freddo che m’ agghiaccia." は冒頭にまたピアノの指示。だから、急に彼女の声量が落ちるのです。それにしても、デリケートなここの入り方!それだけ、静まりかえっているのですね。"un freddo che m’ agghiaccia"は本当に「ゾッとする」というトーンを入れています。

その次の節には特に注文はありません。でも、テバルディは無表情には歌いません"Ed io che mi ero avvezza, a una carezza voluttuosa"最初のフレーズは特にひねらず、ひたすら美声を生かして歌い継ぎ、"voluttuosa"の"tu"で音高が上がるのを生かして強調を加え、「官能的な」愛撫に熱を込めているのです。(私の字幕では「悩ましい」にしてありますが・・・。「官能の愛撫」ではチト・・・。あからさますぎてムードがないと思いましたので。ちなみに、昔の動画では"carezza"を「抱擁」と訳していましたが、あれは英語の知識が邪魔したので、イタリア語の"carezza"には英語の"caress"のような「抱擁」の意味はどこを見ても探せませんでした。今回から訂正しました。)"di labbra ardenti e d’ infuocate braccia, or ho"では"ho"がフォルテで、そこまでクレッシェンドで盛り上げないといけません。テバルディはその通り歌っています。底力の入った、立派な声で。これが、今の彼女が欲しくても得られないものなのですから。"tutto altra cosa"にピアニッシモにしろ、などという指示はありません。ですが、テバルディはここで、ガックリと気落ちしたように、一気に声量を落とします。上手すぎる!「過去のものなのよ・・・」これ以上残念な気持ちをどうやって表せるでしょう?

"O mia dimora umile, tu mi ritorni innanzi,"の冒頭に"pensierosa"という指示とも、ト書きともつかない言葉が。「思いにふけるように」でしょうかね。兄のレスコーにとってはボロ屋でも、マノンにとっては懐かしい愛の家なのです。"gaia, isolata, bianca"は強弱記号はないです。2点ハ音以上の高音域で歌われる、という特徴があるだけです。ですが、それに合わせて、テバルディは声を張って、愛に満ちた家をたたえます。「金色のアルコーヴ」が寒々したお化け屋敷のようだったのと相当な違いです。最後の"come un sogno gentil e di pace, e d’ amor!"にはデクレッシェンドの指示しかないですが、テバルディの歌には表情が。優しく、慈しむようなトーンがついているのです。

極上の美声で、これだけ艶っぽい内容の歌を、ドラマを込めて歌っているのですから・・・沢山の男性方が惹きつけられても無理はないですね。なお、この曲と次の曲については、また、比較動画を作りました。是非、ご鑑賞を。
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6. プッチーニ『トスカ』から "Vissi d' arte”

 

『トスカ』は「ステージへの出演回数」の記事でも触れましたが、テバルディがステージで最も頻繁に歌った役でした。彼女の日本公演のフィルムばかり記憶している方々は今ひとつ、とお思いなのではないでしょうか。

テバルディの場合、演技が見えるのは却って邪魔になってしまうのだと私個人は思います。声だけで歌の内容が確実に伝えられる人だったし、伝記の記載の中でも触れましたが、幼少期5年間も動けなかった上、運動が好きなタイプの人ではなかったので、動作が敏捷でもないし、的確でもありません。だから、演技する姿で判断すると彼女の長所をとらえ損ねてしまうのです。

私が最高だと思っている彼女の『トスカ』は1956年にメトロポリタンで収録されたライブ録音のものですが、それまでの彼女の『トスカ』がダメだったかというと、そんなことは全くありません。これを聞いただけでも、もう十分完成しているのがわかります。

ご存じの通り、このアリアは、オケがデクレッシェンドし、静まりかえったところで歌い始められるのですよね。私だったら緊張のあまり逃げ出すでしょう!自分の声だけが響き始めるんですよ?!170回も舞台で歌ったテバルディの度胸には感服します…。"Vissi d’ arte, vissi d’ amore,"は"dolcissimo con grande sentimento"の指示が。(この上なく甘美に【あるいは優しく】、そして大いに情感を込めて)です。テバルディの声・発声はこの要求を満たすのに理想的なのです。"non feci mai male ad anima viva"は特に指示はないですが、テバルディは独特の、涙の潤いが混じったトーンで歌います。「悪いことをして何かを苦しめた覚えもないのに」、ですから。"quante miserie conobbi aiutai"の"quante miserie"をフォルテにしろとは書いてありません。"poco allargando" "con anima(活気を込めて)"とあり、テヌート記号がついているだけです。しかし、テバルディはここで声を張ります。もうやり場のない苦しみを、精一杯、訴えるかのように。デクレッシェンドの指示はヴォーカルの方にはついていませんが、彼女はフレーズの最後を静かに締めます。

"Sempre con fé sincera, la mia preghiera ai santi tabernacoli salì, sempre con fé sincera,"は特に指示がありません。とにかく、テバルディの"la mia preghiera ai santi tabernacoli salì"は比較的早口で歌われるのですが、見事な滑舌で、これ以上美しく歌えるのか、というくらい美しい。祈りの気持ちを歌うときのテバルディの歌は清浄感に溢れているのです。"diedi fiori agl’ altar."は"con anima"の指示があり、"tar"がフォルテです。その通り、底力のあるテバルディの声。

"nell’ ora del dolore, perché, perché, Signore, perché me ne rimuneri così?"には涙の潤いが混じり、苦悩の限りを表現。これを聞いてじーんとこないほうが難しいです。こちらまで、「なぜ彼女を助けてあげないんですか?」と言いたくなったり。

"Diedi gioielli della Madonna al manto, e diedi il canto agli astri, al ciel, che ne ridean più belli"ここも何も指示はないですが、テバルディは"e diedi il canto"を強めにするのが常でした。何と言っても、トスカは歌手ですから。自分にとって大事な歌を捧げてきたのです、と、訴えるのです。

山場の"Perché, perché, Signor! Ah! perché me ne rimuneri così?"では二度目の"perché"から、"crescendo molto"の指示があり、例の"Signor!"の2点ロ音に到達。テバルディ、声を目一杯張ります。「神様!」天まで届け、といわんばかりに。その次の"Ah!"にデクレッシェンドの指示はないのですが、可能なときは、テバルディはここでスッと、違和感なくピアノに持って行ってそれで延々と歌うということをやっていました。それが成功したときの美しさたるや、筆舌に尽くしがたいものがありました。これはまた、最後の"perché me ne rimuneri così"("singhiozzando(すすり泣きつつ)"の指示があります。)を静かに締めるのに無理のないコースだったのです。

歌の中で「声で」ドラマを演じながらも、わざとらしさを感じさせず、自然に聞き手の心にしみいるような歌が歌えた歌手、それが、テバルディでした。

 

次回は一休みして、"In quelle trine morbide" と "Vissi d’ arte"の比較を。以前は、ブログでむやみに比較をするのは慎んでいました。今回も同じ方針です。ですが、実は比較することでその歌手の技量がどれだけ他の歌手に勝っているかが判然とするのであって、特定の歌手だけ聞いているだけでは、どれだけその人が優れているのか、具体的に知ることはできないのです。比較の対象にした歌手を貶める意図は毛頭ありません。ただ、私がどう感じたか、個人的な感想ははばかることなく書かせていただくつもりです。このブログでは限られたスペースでしか比較しませんが、皆様、どうぞ、いろいろな歌手の歌をお聞き比べになって下さい。可能な限り。