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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

アリア聞き比べ ”In quelle trine morbide"

スタジオ録音 アリア集

予告させていただいたとおり、二回に分けてアリアの聞き比べをしてみたいと思います。最初はプッチーニマノン・レスコー』の”In quelle trine morbide”。

比較の対象はモンセラート・カバリエミレッラ・フレーニです。どちらも「美声」の歌手に入れていい人たちだと思います。なぜそういう人選をするのか、というと、ただ「美しく」歌うだけの歌手と、適切な「表現」を加える力のある歌手ではどう違うのか、はっきりさせるためです。

今回も、テバルディの歌と比較対象の歌手の歌を交互につなげた動画を作成しました。最初はカバリエとの動画ですが、カバリエの音源は1971年のEMI録音のものです。彼女のデビューは1957年ですから、もうこの頃は十分経験を積んだ後ですね。テバルディのデビューも録音よりは5年前ですが、伝記の項で書いたとおり、戦争中にデビューしましたから、はじめの数年は殆ど歌うチャンスがなかったと言って良かったのです。

●テバルディ カバリエ "In quelle trine morbide"

 

この曲はピアノで入るんでしたね。はじめから、テバルディの声のあまりの美しさには鳥肌が立つくらいです。彼女の声は本当に女性的で、「華」があるのです。"morbide"で何とも言えないひねりを加えているのが妙に色っぽい。最初の"v’è un silenzio gelido mortal"クレッシェンドなので堂々たる声が出ていて、次はピアノなので、極上のピアニッシモ(実際はピアニッシモくらいに落としていますよね)であまりにも美しく"silenzio"を歌い、"freddo"と"m’ agghiaccia" を「ゾッとする」という風に歌っています。

さて、カバリエさん。美声が売りなはずですが・・・。鳥肌、立ちます?私には何とも思えませんでした。"v’ è un silenzio gelido mortal"はクレッシェンドなのに、ずっと同じ調子で歌っていますよね。この方、ピアニッシモの美しさも売りだったのに、テバルディの"silenzio"に負けていると思いませんか?"freddo" や"m’ agghiaccia"は前と全く同じ調子で歌っており、何の変哲もありません。

次、テバルディに戻ります。またピアノではいるという指示。にしてはちとデカいですが、歌い出すとまた鳥肌ものの美声。"voluttuosa"で"tu"を強調してこれまた妙に色っぽい。"di labbro ardenti e d’ infuocate braccia"は歌詞が歌詞なので、彼女の歌も熱い。"or ho"がフォルテなので一杯に声を張り、"tutt’ altra cosa"でがっくりと意気消沈。できすぎているくらい上手い歌です。

その辺のカバリエさんは・・・。最初の"Ed"、綺麗に歌いたかったのはわかるんですが、発音がくっきり聞こえないのはいただけません。彼女も"voluttuosa"にひねりがついていますが、テバルディのがそこはかとない可愛らしさを秘めているのに対し・・・。これ、色気を感じますか?"di labbro ardenti e d’ infuocate braccia"は彼女もクレッシェンドしていますが、テバルディほどのダイナミズムを感じないのはなぜなのか。彼女は子音が綺麗に引っかかっていないので、だらだらした歌に聞こえるのです。"di""bb""d’""f" "te""b""cc"などがくっきり聞こえるのと聞こえないのでは、歌の引き締まり方が違います。"tutt’"もコンパクトに「トゥット」というのと、カバリエのように「トゥーート」(結局、ここでも二重子音で詰まり切れていないのです)と歌うのでは、締まりが違う。だらしない歌に聞こえるのです。しかも、彼女は"or ho"のあと、テバルディほど派手に音量を落とせていませんから、「今は・・・過去のことなのよ」というガッカリ感の伝わり具合がまるで足らないのです。

次、テバルディに戻ります。ここもピアノから入る指示。彼女の声のトーンはひたすら明るい。貧しくても心は満ち足りていた住まいをたたえる部分だからです。"gaia, isolata, bianca"の輪郭のくっきりした発声と、輝かしい声、"bianca"で少しだけ入る装飾を歌いつつ、例の「底力」を入れていることでここが浮き立つように聞こえますね。

では、カバリエさんは?"umile"で"m"が強すぎ、逆にもたついて聞こえます。"innanzi"の"zi"は「ツィ」と言ったつもりなのでしょうが、何だか曖昧に聞こえます。でも、ここは美しいと言えば美しい。問題は"gaia, isolata, bianca"。"isolata"の"ta"がちゃんと発音できておらず、「イゾラーーアーーー」のように聞こえる。とどめに、"bianca"の"bi"も発音が抜けていて、「アアアアアーーンカーーー」のように聞こえています。これだと、「え、何て言ったんですか?」になってしまいますね。そして、なぜか彼女は"bianca"の最後でデクレッシェンドをかけています。ここ、気落ちするところでしょうか?

次、テバルディ。秘密の話をするかのように"come un sogno gentil"をごく静かに、インティメートに歌った後、またしても美しすぎる"pace"。"d’ amor"ではわざとため息交じりに大きく息を入れてから、くっきりと「ダーーモーーーーーーール」。これだから、男性ファンの方々はPCの前で卒倒するのですね。

では、カバリエさん。"come un sogno gentil"は何の、何の変哲もない。"pace"は"ce"の発音が妙で、「パーーチエーーー」(チがもたつきすぎ、エが大きすぎて、「チェ」と聞こえないのです。)になっています。"d’ amor"にも何の感慨も入っていません。女の私が聞いても、「つまんない歌」としか、言いようがないのです。


●テバルディ フレーニ "In quelle trine morbide"

 

フレーニの音源は有名なDeccaやDGのではなく、1966年にEMIに収録したものを持ってきました。彼女が本格的に劇場に出るようになったのは1958年からですから、キャリアとしてはテバルディのこの初録音とさほど違いはありません。最初から仕事がばんばん舞い込むわけではありませんから。だから、対等な比較です。

最初はまたテバルディです。今度は、必要最小限しか、彼女の歌いぶりには言及しません。フレーニの歌を専ら追っていきます。出だしから、彼女はコケています。"In"の「イ」がはっきり発声できていない!はじめからこれでは、聞く方がガックリ。"morbide"には何のひねりもないですね。"v’è un silenzio un gelido mortal"も何の変哲もないし、"gelido"の前の"un"は痕跡すら聞き取れません。"v’è un silenzio un freddo che m’ agghiaccia" では別に"silenzio"が美しくもなんともなく、"freddo"はわずかに強勢がついていますが"che m’ agghiaccia"は教科書でも読んでいるかのように冷静です。そして、"freddo"と"che"の間に妙な間が開いています。ここには休符も何もありませんから、続けて歌うのが正しいのですが・・・。むしろ、"freddo che m’a"まで、一音節ごとにテヌート記号がついているので、丁寧の伸ばし気味に歌わないといけないのです。

次の節。ここはしっかり歌えているのですが、やはり"voluttuosa"にひねりを加えても、テバルディのと出来映えが違います。強すぎて、可愛くないのですね。"di labbro ardenti e d’ infuocate braccia"はテバルディほどの巨声ではないので迫力は不足していますが、彼女も頑張ってクレッシェンドし、"or ho"で盛り上げています。ここはさほど不満はありません。"tutt’altra cosa"は彼女の場合、"tutt’altra"はむしろ大きいままで、"cosa"で声量を落としています。これはこれで一つの表現方法でしょう。ただ、意味のつながりからして、"tutt' altra"と"cosa"で分割してしまう意図が?私には今ひとつわかりませんでした。

"O mia dimora umile, tu mi ritorni innanzi"は何だか疲れているような歌い方で、テバルディの明るい発声の歌から感じ取れる懐かしい家へのあこがれが伝わってきません。「目の前に戻ってくる」のだから、ここは気落ちするところではないでしょう。"gaia, isolata, bianca"では、ここでも"isolata"と"bianca"の前に妙な間が開いています。途中でブレスでも入れる必要があったのでしょうか?

最後に、奇っ怪な場面が。"come un sogno gentil"に何の変哲もないのはカバリエと同じですが、"pace e"が異様に暗い発声になっていて、「ポーチェエエエ」のようになっているのです。しかも、最後の方で声がぶるぶる揺れている。コワいです。これは・・・明らかに失敗でしょう。"d’ amor"は逆に、いやに堂々と復活。彼女が何を考えて歌っていたのか、さっぱりわからないのです。

テバルディは特にアリアの歌い方についてコメントを残していませんから、私の推測でしかありませんが、スコアを読み込んだ後は、歌い方に何らかの一貫したプランを立てて、アリアの中に一つのストーリーを作っていたと思います。それだけ、彼女の歌い方は歌詞や歌の気分にふさわしく流れていき、どこかが変に突出するとか、場違いで不可解な歌い方が挟まる、ということがないのです。ですから、聞き手の胸に、自然に染みいるような歌に聞こえます。

そうでない歌手は、時々、「エッ?ここで何でそういうことを?」と躓きながら聞かなければならない。あるいは、まるで無感動だと、聞いたのが損だったような気分になります。

テバルディが「凡庸」呼ばわりされるのだったら、他の幾多の歌手をどう形容したらいいのでしょうね?思い出していただきたいのは、テバルディはこの録音が初録音で、デビューから5年しか経っていなかったのです。誰がこれだけ完成度の高い歌を、そんなに短期間で歌えるようになるのでしょう?

 

次回は同じメンバーで『トスカ』の"Vissi d’ arte"を比較します。