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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

テバルディ チェトラ初録音シリーズ(2)

スタジオ録音 アリア集

今回は前回に引き続き、チェトラへのテバルディのSP録音から、1950年5月に録音された分をご紹介します。

5. モーツァルトフィガロの結婚』からスザンナのシェーナとアリア

"Giunse alfin il momento...Deh vieni, non tardar" 

 

これはテバルディのレパートリーとしては異色の曲です。彼女はリリコ・スピントという自覚はあったけれど、声を痛めたくなかったから、最初はリリックな役を歌うようにした、とインタヴューにありましたね。

ただ・・・。スザンナを歌うには、テバルディの声は立派すぎるんじゃないかと。スピントが効き過ぎてしまうのです。でも、彼女は精一杯、可愛らしく歌っています。少々、スザンナとしては堂々としていすぎるのはどうしようもないですね。

これは「明」のテバルディ全開です。そして、イタリア人のコメントによると、彼女が歌うと、ドイツ人の歌手が歌うより、モーツァルトのイタリア・オペラがいかにもイタリア・オペラらしく聞こえるのだそうです。比較動画のところで、エディト・マティスが"sussurro"を・・・悲惨な発音で聞かせているエピソードはちょっとご紹介しましたね。実は同じ盤で、伯爵夫人役のグンドゥラ・ヤノヴィッツも"Porgi amor"で"sospir"を「ゾスピール」と歌っているのです・・・。「だめ息」って。。。

ま、外国歌手の変な発音の話はこのくらいにして、テバルディの歌の鑑賞に参りましょう。これは戯れのアリアだというのもありますが、テバルディは美声を生かしてことさらにひねりを加えることなく、すっきりと歌っています。でも、です、この歌、簡単そうに聞こえますよね。それほど簡単ではないんです。特に、最初の"Ritorna vincitor"の比較の時、2点音域以上にならないと楽に声の出せない歌手が現にいることを確認していただきました。そういう歌手がこれを歌うと、こんな風に簡単そうに歌えないのです。"Deh vieni non tardar…"2点ハ音から始まって"ni"で急に2点へに上がり、"non"で急に1点イに下がる。"tar"はまた2点ハで"dar"は1点へに下がる。こういうぎざぎざがかなりの箇所にあるので、1点域が出にくい歌手が歌うと・・・きっと妙な歌に聞こえるに違いないのです。極めつけは"finché non splende in ciel notturna face"です。"notturna"の"tur"が1点ハ音、"na"はその下のロ、"fa"は同じくロ、"ce"はさらに下(!)のイです!ここまで下がれって。。。モーツァルトは結構、きついことを要求するのです。最高音は"incoronar"の"nar"に出てくる2点ロ音ですから、たいしたことはないのですが、ここはまず、"nar"と言ったまま、2点ヘ→2点ロ→2点ハ→2点ヘ→1点イと移行しつつ、レガートで歌い続けないといけないのです。グルベローヴァが歌うような途方もないコロラトゥーラと比べたら、どうということはないです。それでも、あまりにも声のトーンの高いソプラノだと、満足に歌いこなせない恐れは十分あります。テバルディは声が出すぎるくらい出ていますし、何の破綻もありませんが、極力チャーミングに歌おうとしているので、実際、可愛く聞こえますね。音が良ければ・・・もっと良かったのに。

6. ヴェルディ『椿姫』から""Teneste la promessa…Addio del passato"

 

『椿姫』はテバルディ向きではない。私はこう決め込んでいました。しかし、例の"Sempre libera"のようなコロラトゥーラを駆使しなければならない箇所を除いたら、むしろ彼女は立派にヴィオレッタを歌えたのです。それを、私は以前作っていたブログで確認しました。

テバルディは、体調を壊して休養するまでは、どうやら「汚れ役」のようなものはステージで歌うのを避けていたような節があるのです。リリコ・スピント向きのヴェルディの『仮面舞踏会』のアメーリアや『ドン・カルロ』のエリザベッタ・ディ・ヴァロワをなぜ歌おうとしなかったのか。納得できる説明は例の「伝記」にもなく、私が思うに、これらのヒロインには「不倫」のにおいがつきまとっているから、としか説明がつかないのです。

倒れる前の彼女の歌う役は他のキャラクターから「天使」と呼ばれるような台詞の入っている役ばかりでした。ヴィオレッタは高級娼婦でも、「真の愛」に目覚める女であり、ジェルモンから「救いの天使になって下さい」などと言われる役、テバルディの好んだ、自己犠牲の精神に満ちたヒロインです。だから、彼女は99回もステージで歌ったのでしょう。舞台映えのする彼女の容姿が、ヴィオレッタに相応しかったから、劇場側も起用したがった、という現実問題もあったと思われます。

彼女の圧倒的な美声のヴィオレッタは聞き物と思われても不思議はなかったのです。私も、彼女のライブ録音を聞いて、以前の誤った認識をすっかり改めました。

この、手紙の朗唱から入る第三幕のアリアはテバルディにとっても"Sempre libera"より得意、という意識があったようです。とにかく、聞いてみることですね。

実は、手紙の朗唱部分に指示があります。"con voce bassa senza suono ma a tempo"つまり、低めの声で、音は入れず、テンポには合わせろ、というのですね。テンポは♩=88の指定があります。テバルディの地声は、若い頃は、それほど低くありませんでしたし、静かに話すように心がけていたようですから、どっしり響く朗唱の時の声は、「劇場用」だったのでしょうね。朗唱だけでも朗々とした声に聞き惚れることさえあります。この録音の朗唱は少しペースが速いかな、という感じはしますが、聞き物です。マグダ・オリヴェロのような、もとは女優志願だった人とは違うのに、読み方が上手い。歌と同じで、棒のように無感動な読み方をしないからです。特に"Alfredo è in stranio suolo…"の行の声の強弱の付け方。歌っていなくても盛り上がりと沈み込みがあり、明らかに棒読みする人とは違う。更に、"Curatevi..."で声を震わせたり、"È tardi!"で爆発したり。

"Attendo, attendo"からは、ご存じの通り、音符が入りますから、歌になります。"Addio, del passato"に入るまでは、スコアに何の指示もありません。ですが、彼女の歌にはきちんと強弱がついている。"a sperar pure m’ esorta, ah! con tal morbo"あたりは強いですね。「希望を持てとは言われているけれど・・・こんな病気じゃ。」逆に、結論の"ogni speranza è morta!"「希望なんて死んでるのよ」は意気消沈したように音量が落ちます。

"Addio"は"dolente(悲しげに)"でピアニッシモ。"del passato"は"legato e dolce(レガートで、優しく)"。何と、別々の指示が!面白いのは、単語の終わりの音にアクセント記号がついていることです。"passa to" "sog ni" "ro se" "vol to" "so no"私が区切った場所の後ろの音節にアクセント記号があります。うーん、ここまで細かくは対応できていませんね。"ridenti"の"ti"が強くなるのは2点ホ音に上がるからです。ちょっと強すぎたかな、と。他より目立ちすぎてしまいます。

"parenti, l’ amore Alfredo" にくるとクレッシェンドの指示。"con espressione(表情をつけて)"の指示も。この辺の盛り上げはダイナミックです。"conforto, sostegno dell’"までは弱めていますね。何の指示もないですが、次、"anima stanca"でまた盛り上がるので、彼女は指示がなくても波をつけているのです。"perfino mi manca"や"anima stanca"(奇しくも韻を踏んでいます)という苦しい内容の部分は強く訴えるように、"conforto, sostegno"など積極的な内容の部分は静かに、優しく。こういう配慮はさすがです。

次の"conforto, sostegno"は伴奏の方にピアニッシモの指示が。次の"della traviata...sorridi...al desio,"にかけて、長ーいクレッシェンドの指示が。彼女はもう"sostegno"のあたりからクレッシェンドをかけています。"al desio"には"con forza(力を込め)"の指示。内容から言って、当然でしょう。当然テバルディの声は強烈です。問題は"a lei,"がピアニッシモで、また"deh perdona,"までクレッシェンドの指示があるのですが、この辺に強弱の違いが感じられないことです。少々熱唱しすぎている感が。"tu accoglila, o Dio!"は必死に神に呼びかけているので、(かつ、"Dio"は"Di"の2点ハ♯から"o"の2点イ音まで飛び抜けて上がるのです。)これだけ強烈になるのですね。

最後の"Ah, tutto, tutto, finì, or tutto, tutto, finì!"は、"or tutto, tutto, finì!"の方に細かい指示。"tutto, tutto"と進みながら"morendo"なので弱めていかないといけません。最後の"nì!"は今度はまた、音高が2点イに跳躍。ですが、同時に"un fil di voce"とあるので、「か細い声で」歌わないといけないのです。ここも・・・ちょっとまずいんじゃ?morendoになっていませんし、「か細い声」とは真逆です・・・。ヴィオレッタとなると、つい、意気込みすぎてしまった?ただ、彼女はスコア通りに歌ってしまうと却って効果的でないと判断したときは、その通りにしないこともありました。その詳細は、数記事後に。


7. ヴェルディアイーダ』から"O patria mia"

 

アイーダ』の彼女の代表盤はカラヤン指揮のステレオ録音だというのが一般に広がっている理解ですが、私はそうは思いません。カラヤンの『アイーダ』と『オテッロ』のときのテバルディはもう峠を越えていたと思うのです。他のキャスティングは別として、テバルディだけを問題にするのなら、あの2作は決して彼女の代表盤ではないと思います。年を経たから歌が練れている、というわけでもありません。あれはカラヤンウィーン・フィルの演奏を楽しむ盤、とすら思っています。

"Qui Radames verrà…"から始める場合もあり、そうすると、そのあたりには細かい指示があるのですが、なぜか、"O patria mia"に入ってしまうと、指示がない・・・。こういうのも歌手にとってはやっかいなのでは?と。

ここでは、テバルディ、のっけから立派な声で"O patria mia"ときて、"mai più, mai più ti rivedrò!"ですっとピアノに落としていきます。最初に『アイーダ』を歌うようにテバルディに勧め、全曲ピアノ伴奏でさらってくれたのは他ならぬトスカニーニだったので、(この話は後日。)、彼の指導の結果でしょうか?

"O cieli azzurri"にくると、"cantabile"と。テバルディはなめらかに美声で歌っていきます。故郷の風景を回想するくだりなので・・・。あこがれを込め、清らかに。"native"の"ve"に"sfumato"とあるので、音量を絞らないといけません。"dove sereno il mio mattin brillò"はちょっと?低音は響く方だったテバルディですが、"mattin brillò"と続く1点ホ音が聞こえにくいですね。録音の問題でしょうか?

"O verdi colli, o profumate rive"の頭には"dolcissimo"の指示が。うーん、ちょっと強すぎて優しくなっていないようです。"O patria mia, non ti vedrò mai più"は"poco crescendo"なので「少し」大きめになっていっていいのですが、彼女は結構歌いまくっていますね。

その後は何の指示もなし。同じような歌詞ばかりの続く、難しい歌です。感情移入で変化をつけようにも、同じことばかり言っているのですから・・・。こういうとき山や谷を作るのは大変ですが、テバルディは大体は、音高の高低に沿わせるように強弱をつけています。"O patria mia, mai più"で"mia"で一度弱め、"mai più"は目一杯ではありません。次の"o mai più, mai più ti rivedrò"の2度目の"mai"あたりで目一杯にして、また弱める。

次、"O patria mia, o patria, patria"の最後の"patria"の頭がフォルテの指示。(やっと。。。)と、思ったら、すぐ次の"mai più ti rivedrò"はピアニッシモです。大体、そのくらいの落差がついています。これだけ、同じことの繰り返しだと、スコアの指示に頼るくらいしかないかと・・・。

次、"mai più, no, no, mai più, mai più"の頭はピアニッシモです。"parlante"のあと"parlato"の指示も。音程は1点ホ音のまま。だから、歌うと言うより、語るようにいかなければいけないのですが、歌っているように聞こえますね・・・。この日のテバルディの歌は詰めが甘いかもしれません。

"O fresche valli, o queto asil beato"は頭が"cantabile"で"beato"で"dolcissimo"になり、最後は"sfumate"で音量を絞る。これはスコア通りの歌です。

"che un dì promesso dall’ amor mi fu"は指示なし。テバルディの歌は特にひねりはありません。"Or che d’ amore il sogno dileguato"は頭に"dolce"、"guato"あたりから"poco più forte"と。録音のせいもあります。チェトラのSPはデッカと比べものにはならない・・・。音量を大きめに調整しましたから、(そうしないとYouTubeでは十分な音量にならないことがわかったからです)少々ヒステリックに聞こえます。"dolce"とは言えないですね。声量は十分すぎるくらいです。

"O patria mia, non ti vedrò mai più"は最後の方でクレッシェンド。その次が・・・絶句。せっかくクレッシェンドしてきたのに、ピアニッシモにしろ、と!どういう理屈?とにかく、"O mai più, mai, non ti vedrò, non ti vedrò mai più!"の歌い出しはピアニッシモです。最初の"più"を延ばしながらクレッシェンドかつ"dolce"にして、"senza affrettare"(急がないで)って・・・。これも彼女にしては"dolce"になっていないな、と。ピアニッシモではじめる、というのもやっていないです。クレッシェンドはできているので"più"から盛り上がって、だんだん絞ってくるところはこの日の録音としては上出来かなと。

"O patria mia, mai più, non ti rivedrò"ときて、最後の"o"を引っ張るのですが、ここはまたしても最初がピアニッシモ。最初の"O"を歌っている間にクレッシェンド、デクレッシェンドし、しかも"con forza"なので、力を入れるのですね。"mai più"は"diminuendo" で、極めつけは最後の"o"で2点ハ音から2点イまで上げつつ、"smorzando"です。高い音は大声で歌った方が声が出やすいので、これって・・・意地悪。弱めろって言うんですから。この日のこの曲で一番出来がいいのはここかもしれないな、と。ピアニッシモで始まっているとは思いませんが、確かに最初の"O"が強力で、"mai più"あたりからグッと沈みます。そして、最後の"o"は何とも言えない透明感のある響きで、消え入るように終わっていますから。ポルタメントした上にタイで結ばれていますから、切れ目なしできっちり歌いきっています。


思いの他、記事が長くなってしまいましたので、後の二曲は次回に。