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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

緊急報告 略伝の重要訂正です!

テバルディ・歌唱の鑑賞に関する情報・その他

私は昨日、理由あって、時々覗くだけの、Fondazione Renata TebaldiのHPを見ていました。(実は、まだ全部じっくり読めていませんし、読んだとしても、それを翻訳してこちらに掲載するのは・・・見送ろうと思っております。先方に許可を得ているわけではありませんので。)HPのアドレスはリンクしない形で貼り付けます(これも、リンクして良いという許可を得ていないからです)ご覧になりたい方は次のアドレスをコピーして、検索エンジンのアドレスバーに貼り付けて下さいますよう。なお、ここに貼るのは英語ヴァージョンの方です。本来のHPは当然、イタリア語ヴァージョンです。http://fondazionerenatatebaldi.org/default.asp?id=450

さて、それで一体どうしたか、というと、私の書いた略伝の記述に重大な誤りがあるのを知ることになったのです。あの略伝の記述は主に、私が「伝記」と呼び慣わしている、Carlamaria Casanova著の"Renata Tebaldi"に依拠している、と書いたとおりですが、部分的には、別の文献などもあたって客観性や、内容の膨らみを持たせるように心がけたのです。

ところが、それが仇になった部分があったのです。テバルディを語るにあたって非常に重要な、例の「天使の声」伝説の来歴の部分です。

私は、その部分については、例の「お粗末大全集」のCDブックレットにある記述の方を参考にしたのです。該当部分をスキャンしたのが下の図です。ここがデタラメだったというだけで「もう沢山!」と思いましたので、後の部分をスキャンしてわざわざ翻訳する必要は感じなくなりました。

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ここに書いてあることを翻訳します(英語のお読みになれる方々には余計なお世話、でしょうけれど)。

『天使の声』

「偉大なるソプラノ、レナータ・テバルディは、1979年に行われたインタビューにおいて、そして、それはランフランコ・ラスポーニによる魅力的一冊、『最後のプリマ・ドンナたち』に掲載されたのだが、「天使の声」という文句が重要に受け取られ過ぎられないように腐心した。その文句は、第二次世界大戦後にミラノのスカラ座が再開するにあたって、アルトゥーロ・トスカニーニの指揮の下、彼女がヴェルディの『テ・デウム』の演奏のほんの一部にソロで参加した際に付けられたものである。彼女はかたくなに主張した。偉大なる指揮者は単にその場面でソプラノ・ソロが、まるで天から聞こえてくる声のように聞こえるべきだと示したかったのに過ぎない、と。

彼女の謙遜は、結局、イタリアのあらゆるソプラノからおそらく得られたであろうこのスコアの中の重要な効果をあげるため特に「彼女を」トスカニーニが選抜したことはおろか、「天使の声」というニックネームが、単に、大多数の聴衆にとって余りにも適切だと思われたが故に、その後のテバルディ伝説の一部になったことについて意見を述べることすら、自身に許さなかったのだった。」

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きっちり直訳しすぎると読みにくいので、多少、読みやすくこなれた訳にしたつもりですが、内容に間違いは無いと思います。とにかく、ここでは、テバルディが謙遜の塊のような人だったということを表したかったように思えますが、やはり、結果的には彼女の伝説に妙な疑念を抱かせるような効果を持っていることには違いなく、いかにも本当のことのように書かれているこの文章を鵜呑みにした私自身、自分に対する憤慨に堪えない思いをすることになりました。なにしろ、FondazioneのHPには真逆のことが書いてあったからです!このライナー・ノートを書いた執筆者はGeorge Hallなる人物ですが、「お粗末大全集」に虚偽の記述を加えるという非道を重ねて、更にこの全集を偉大な歌手に相応しからぬものにした、というわけです!!!

では、FondazioneのHPにはどう書かれていたか?上の文章を読んだ後では呆然とするしかないようなものでした。

そこは、Notesというコーナーの、"Angel voice and evil rumors"(天使の声と邪悪な噂)というショッキングなタイトルで目を引くものでしたから、私は「えっ、何、何???」と思わずここだけを読まざるを得なくなったのです。

こちらは、全文の画像を頂戴(申し訳ないこととは思いますが・・・何しろことがことなので。)して貼り付けます。そして、全文を翻訳いたします。

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以下に、拙訳を記載します。(全文訳)

スカラ座が2002年にレナータ・テバルディに対し扉を大きく開くのをためらわなかったとしても、それは彼女に対する賛辞を呈するものにすぎなかった。1946年5月、スカラ座は他のもう名声を確立した歌手達と共に、トスカニーニによって呼び寄せられた新進の若い歌手によって2度目の落成をした。あがめられていたマエストロ自身が、個人的にテバルディを認めたのである。彼女を、指揮台から「天使の声」と呼んだ時に。そのニックネームは30年に渡る彼女のキャリアの間中ついてまわった。

あらゆる面で天上的に響くその声の持ち主にその名を与えるのは確かに筋の通ったことであった。しかし、テバルディの人格が暗示している他の側面も同等に認識されるべきである。彼女の尋常でない豊かな倍音や壮麗な声量などについては完全な確信を伴って表明されていなかった。そうしたものは天上的な静謐というよりは地に根ざした健康的な、肉感的なものを示唆する。端的に言えば、その声は、金色の幕の前に浮かぶ柔らかな青いほのかな影よりもむしろ豪華なバロック的イメージを思い起こさせるのである。最後の審判の日に、宝石をちりばめ、ビロードのマントのついた武具を着けた大天使によって吹き鳴らされるトランペットのような。

2002年には彼女の栄光の80年の人生に敬意が払われたのであった。感動的で熱狂的な祝祭は更にやってくるべき行事を望むものだった。それは特に伝説的なミラノの一区域で祝われた、まだ壮健だった彼女の70歳の、そして身体的には虚弱になりはしたがまだ輝やいていた75歳の誕生日の後、続いてきた4度目の誕生祝いであるはずだった。

あの時は、リッカルド・ムーティーの計らいによって、彼女は、戦後の建築のままであった劇場のドアを封印するために呼ばれたのであった。劇場は根本的な再設計を進めることも可能だったのである。それは確かに機能的であるから。しかし、もしかすると伝統的な設計、言うなれば、トスカニーニ的スタイルに対しては無礼だったかもしれない。

ともかくも、テバルディはあの運命的な1946年のヴェルディの『テ・デウム』の彼女の歌唱によって後光に包まれたのであった。彼女はソロを歌った。作曲家自身がスコアに指示したように、合唱とミュートをかけたトランペットと共に歌う勝利の凱歌の曲目たる"in te speravi"において。

だから、テバルディの天上性は全くトスカニーニの評価から来るものだったのだ。偶像破壊的な噂話があるにしても。実際、ある者は断言した(そして他の者達もそれに唱和したのである。真実を知ることもなく。)のだ。そのようなお追従的な資格が認定されたのはヴェルディがスコアに残した、(だが、彼らは本当にその指示を見たことがあったのだろうか?)文字通りそのソロのパートが「天からの声」にあてられている、つまり、「天使の声」と結論するには疑わしい推量となる指示以外の根拠はないのだと。

事実、テバルディはこの虚偽の情報を大変不快に思っていた。しかし、私達は信じる。彼女は最後には全て一笑に付したに違いないと。まるで、パトローニ・グリッフィが『プリーマ・デル・スィレンツィオ』で許しを認めたように。「(許しは)認められるべきである、他の、人を惑わすような誘惑的な力を持った、明らかに説得力のある言葉に誤って乗せられた、これら多くの人たちに対し。」と。

とにかく、テバルディは他ならぬマエストロ・トスカニーニによってニックネームを与えられたのであり、彼女は今までも、そしてこれからも永遠に「天使の声」であり続けるに値するのである。

ヴィンツェンツォ・ラモン・ビゾンニ

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というわけで、お読みの通り、トスカニーニは結局、「テバルディ=天使の声」と言った、というのが正しいのです!!!

私までもが安易にCDのライナーなどという、ほとんどは情報として価値がないか、面白くはあっても信用度は非常に低いということがわかったものに引っかかったことに対し、もうこの世にはおいでにならないとしても、テバルディに謝罪して、こうして訂正の記事を載せて己の過ちを正すことに致しました。彼女は謙虚な人には違いありませんでした。でも、ご自分について真実ではないことを語られて、不愉快でないはずはありません。本当にごめんなさい!レナータ!

謝れば済むのなら、この世のあらゆる罪は許されてしまいます。私はもう一手間かけて、問題の『テ・デウム』のソロ・パートを確認しました。

まず、オペラの総譜の場合、最初に役柄の名前と、歌うべき歌手の声種が明示されているものですが、この曲についてはどうかというと、最初のページはご覧の通りです。

 

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ソロのパートがどうとか、という記載は全くありません。

ソリストのパートが入ってくるページはここです。赤で括弧を付けました。

f:id:AkankoMarimo:20170130143907j:plain

単に"Voci Sole"とあるだけで、「天上からの声」などというパートはありません。

そして、問題の、テバルディが一人で歌った場所。非常に短いのです。赤い矢印をつけました。

 

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ここも"Voce Sola"としか書かれていませんから、「天上の声」云々という話は、本当に、本当に、誰が言い始めたのやら、全くのねつ造話だったのです!

下には4人のソリストのパートがあります。が、このとき他に誰が歌ったのかまではCronologiaにも記録がありませんでした。他の演目については歌手名が出ているのですが・・・。

何でも自分で確かめないと何も信用できないなんて・・・この世は何と堕落してしまったのでしょう・・・。それをあっさり信じた自分にもまだ腹が立っています。

このページは、略伝の「トスカニーニのオーディション」の項にリンクを貼っておきます。あちらしか読まなかった方がいたとしたら・・・困りますので。

以上、緊急のご報告でした。誤った情報をお伝えしたことについて、読者の皆様にもお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした!

 (更に追記:このデタラメ情報は・・・現時点で私にも出所が明らかなのは上に貼ったCDのライナーなのですが、他にも、そういう内容の記事を読んだ記憶があったのです。今となってはどこで読んだのか思い出せませんが・・・。多分、彼女が亡くなったときに出た各外国紙の追悼記事の中だったかもしれません。彼女はトスカニーニはそう言ったわけではない、と繰り返し強調していたと。・・・何たることでしょう。それだけではないのです。例の「伝記」にも『テ・デウム』の楽譜に「天上の声」と記された場所があるという記述があるのです。事実は・・・ご覧の通りで、そんなものはありません。)