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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1950年 ナポリ サン・カルロ劇場での『タンホイザー』(1)

この動画の準備は実は大変でした。イタリア語版のワーグナーをご紹介することにしたからです。まず、このリブレットが入手困難なのです。手に入ったことは入りましたが、テバルディ達が使った版とは違うものだったようで、歌詞の合わない箇所が多数あって、聞いて起こすしかありませんでした。(後で思い出したのですが、有名な"Salve d’ amore"と"O Vergin Santa"はTebaldi FestivalというCDの中に、彼女が歌った歌詞が書いてあるブックレットが入っていたのを思い出し、そちらを見て、修正すべき所は修正しましたので、この2曲については問題ありません。ただ、「大全集」をお持ちの方でも、この、彼女のキャリアの終わり近くになされた録音を聞くことはお勧めできません。絶対に。彼女の歌唱の美を作っているひとつの柱である、綺麗なイタリア語が、もう悲惨な状態になっているからです。聞いたときはショックでした。「もしかして、総入れ歯になさいましたか?」という状態なのです。私が彼女の歌をどれ程愛好しているか、今までの記事でおわかりだと思いますが、いくら彼女の歌でも駄目なものはダメ、が私の主義です。)

さらに、キャストのうち、主役のハンス・バイラーだけはドイツ語のまま歌っています。私はドイツ語の方がむしろ得意だし、オペラの世界に入ったのもワーグナーからでしたから、特に問題はなかったのですけれど、イタリア語とドイツ語が混じってくると・・・。とくに例のデュエットの部分は、スコアを参照しながら極力双方が何と歌っているのか聞き分けて、前回より正確を期しました。それでも、完璧とは言えないでしょう。ご了承下さい。

カール・ベームはテバルディのエリーザベト(イタリア語版ではエリザベッタ(!))を評して、「簡潔に言えば、最高のエリーザベトだ」と言ったそうです。ただ、さすがにワーグナーですし、ベームは手加減していませんから、音質が悪いためオケの音と歌手の声の分離がはっきりせず、調整するのに苦労しました。さすがの巨声のテバルディでも、このオケの厚みを乗り越えるのは大変だったことがしのばれます。(それでも、乗り越えていますが・・・)写真はベームとテバルディ。謹厳実直の典型、みたいなジャケット写真のベームしか見たことのなかった私は、この写真を見て「微笑ましい・・・。」と。

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それはともかく、テバルディのエルザはさらに素晴らしいのですが、これもリブレットの問題で、怪しい箇所がいくつか。どうしても、聞こえてくる通りに起こすと、つじつまが合わなかったり、存在しない単語になったり。まぁ、それはその項になったときに詳しくご説明いたします。

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このナポリのサン・カルロでのライブCDは・・・珍品といえば珍品です。(写真)なにしろ、前述の通り、バイラーだけがドイツ語で、他のキャストはイタリア語で歌っているから、ここに動画を入れたエリーザベトとタンホイザーのデュエットなど、「これで意思の疎通ができるんですか???」と言いたくなります・・・。

それでも、某サイトでは中古が1万円近くで売られています。以前は5万円、というのを発見したことも。私はフランスの中古サイトから申し訳ないほどの安値で、新品同様のものを入手できてしまいました。音質は聴いていただけば大体おわかりになると思いますが、決して良いとは言えません。先にも書きましたが、極力ノイズは抑えましたし、歌唱が引き立つよう調性もしました。ですが、これ以上いじると音が割れて聞きづらくなりますので、これが限度だったのだとご了承下さい。ただし、バイラーの出来が今ひとつなので、絶賛できる演奏ではありません。テバルディ目当てで購入するとしても、エリーザベトの出番というのは決して多くはないのですね、実は。アンサンブルで入るところは、当然歌詞が聞き取れなくて???ですし。ここにご紹介する場面が主な出番と言えば出番なのです。無理に万単位の出費をしてまでご購入になるのはどうかと思います。

ご託はこの辺にして、動画のご紹介に移りましょう。

その前に、録音データだけ。音源はHardy ClassicのHCA 6004-2 収録;1950年3月12日、指揮:カール・ベーム、演奏:ナポリ サン・カルロ劇場管弦楽団・合唱団、タンホイザー:ハンス・バイラー、エリザベッタ:レナータ・テバルディ、ヴォルフラーモ:カルロ・タリアブエ、ジェルマーノ(ヘルマン):ボリス・クリストフ、ヴェーネレ(ヴェーヌス):リヴィア・ペリー 他です。

1. ワーグナー 『タンホイザー』 第二幕から "Salve d'amore, recinto eletto"

 

前回は、この部分(ワーグナーの場合、「アリア」とは言わないので・・・。)と次のデュエットをつなげて動画を作りましたが、今回は分けました。その方がご鑑賞しやすいかと思いましたので。音質も部分によって微妙に違うのです。分けた方が調整しやすかったという実際上の理由もあります。

パリ版のようですが、それも、結構ズタズタにカットがあり、これじゃあ、ワーグナー先生が憤慨されるのでは?と。そもそも、イタリア語で歌われるのは我慢ならなかったのではないかと・・・。が、19世紀には各国で輸入すると、その国の言葉に翻訳されることは珍しくなかったようですから、いちいち腹を立ててもいられなかったでしょうね。

一番の違いは、イタリア版のエリーザベトは、はっきりとタンホイザーへの「愛」を表明しているのがわかること。ドイツのオリジナルの方はそこが少々曖昧にぼかされていますよね。やっぱり、イタリア・・・。

私はパリ版のスコアを参照していますが、ヴォーカル・スコアとはいえ、ト書きはあっても、表現上の指示や強弱記号がほとんどありません。これには驚きました。ここはオリジナルではご存じ、"Dich teure Halle"ですが、エンディング近くに"Sei mir gegrüßt, sei mir gegrüßt"と連発するところに"più mosso"(より速めに)とあるだけ。(ドイツ民族至上主義みたいなワーグナーにしてはイタリア語で指示がついています)「このオケに負けずに歌うだけで十分」とでもお考えだったとか?

と、いうわけで、スコアと実際の歌の齟齬にそれほど気にせず鑑賞できる(?のがいいことかどうがわかりませんが)ということに。ここは序奏が長いので、なかなか歌が始まりませんが、ベームの指揮だけにきびきびしています。さすがです。歌唱を際立たせるため少々オケを抑えましたので、ご不満の方もおいでかも知れませんが・・・。演奏も素晴らしい。

入りはあまりオケが分厚くないので歌いやすかったでしょうけれど、さすがに腑抜けた声は出していません。ワーグナーですから。それでも、ずっと声を張りっぱなしというわけではなく、デリケートな歌になっているのは彼女らしいですね。"La gioia a te fuggiva, la pace a questo cor."は、前述のようなわけで、強弱の指示は何もないですが、彼女は極力ピアノに落とした上、悲しげなトーンを入れています。歌い出しと比べると大変な違いです。こういうところが、テバルディのきめの細かいところです。

その後も、べったりした歌にはなっていないのですよね。"Con te balza il core in petto"からはオケが分厚くなるので、弱音を使うのはリスクがあるのですが、彼女は歌に表情をつけるのを絶対に厳守。"mi par che lieto ancor sei tu"の"lieto"の底抜けの明るさ。"non partirà"を強烈に歌ってから、"mai più"でピアノに落とします。「彼は帰ってきてくれて、もう二度と出ていかないのよ!」喜びをかみしめるように。この辺の積極性が(はっきり、タンホイザーを"amato oggetto"なんて言っているし・・・)ドイツのエリーザベトとの違いです。オリジナルの方は、歌の殿堂をたたえることに徹していますから。こちらはまるで違いますよね。
次の"Con te balza il core in petto"以降はオケがずっと、相当鳴りっぱなしですので、彼女も声を張って歌いまくっています。これはこれで、気分が良いのかも?最高音は"eletto"で2点ロを張るところです。若いテバルディには特に、鬼門ではなかっただろうと。

2. ワーグナー 『タンホイザー』 第二幕から "O Fürstin!"



ここだけタイトルがドイツ語なのが・・・何とも。でも、こちらの方がピンときますよね。

ここのスコアも・・・指示なし?みたいな。ないのかな・・・と思っていたら、来ました。"bald drang’s in mich wie jähe Lust"(こちらでは" l’ alma inebriata per te provo!")"drang’s"あたりからクレッシェンドして"jä"にアクセント。クレッシェンドの所は"schnell"の指示。「早く歌え」ですね。イタリア版だと"inebriata"あたりからでしょうかね。そのあと"Verlangen das ich nie gekannt"も"ich nie ge"までクレッシェンド。(こちらだと"gioie ignote appien"のあたりでしょうね。)"Und als Ihr nun von uns gegangen"あたりから"langsam"「遅く」の指示。そりゃ、「彼」がいなくなって、落ち込んでいるところですから。(こちらは"E quando alfine da noi partisti,")"Freude zog aus meinem Herzen"は更に"langsam"もっと「遅く」するんですね。(こちらは"atroci smanie disperate")デュエットに入ってから、また当分指示がない。そのあと、ピアノの指示のあるところがあるんですが、この演奏ではカットされていますので、以上。です。

私は、ヘルデン・テノールで最高なのはラウリッツ・メルヒオールに決まり!ですので、バイラーなんて問題になりません。その次に好きなのはマックス・ローレンツ。メルヒオールよりずっとライトですが、歌い方にヒロイックさがありました。戦後のテノールはライトすぎて、全然ヒロイックに感じません。バイラーは線は太い方かも知れないけれど、輝きがなく、パワー不足だと思います。演技も最悪でしたよね・・・。彼とテバルディは後年ベルリンで放映用の『オテッロ』でまたコンビを組みましたが、彼が張り倒したデスデーモナ(テバルディ)の横で、本国ヴェネツィアから来た通達の羊皮紙をまるめて、ハリセンのようにバンバン地面をひっぱたいていたのにはあきれました。演技のセンス、ゼロです。歌のきめ、なんて、話になりません。

テバルディの歌は、最初の入りで少々うろたえるのは、ドイツのソプラノ達もやっていますから、特に、ということはありません。"No, tu non devi qui prostrate, Enrico, qui ben tu sei il signor..."のあたりは少々ベームのペースにおいて行かれています。"Grata ti son che a noi tornasti ancor!"のあたりに来ると、もう合ってきていますし、"Grata"の"a"がまたしても美しく開いていて、「感謝」とそこに隠されている彼女の喜びがはっきり伝わってきます。これも少々オケとずれ気味ですが、"Il ciel lodato sia, beata è l’alma mia."の前半(うわずってもいます。録音テープの関係かも知れませんが)の立派な張りのある声と、後半の柔らかで音量を落とした歌。これは彼女ならではでしょう。オリジナルだと、"Ich preise dieses Wunder, aus meines Herzens tiefe"ですね。この後半をこれだけソフトに歌えと言っても、無理なのです。ドイツ語の響き「ヘルツェンス・ティーフェ」自体がきついので、相当気を遣わないと無理なのです。"quale in sonni d’ or, commossa, e lieta io son." 「夢の中」にいるときは、忘我の中にいるかのようですし、「動揺」の時は強勢を置いています。「嬉しい」は音程が落ちるので、さほど喜んでいるようには聞こえなくても、オープンでない喜び、もありますから・・・。(ここはオリジナルでは"Im Traum bin ich und tör’ ger als ein Kind"なので、[夢の中にいて、子供のように愚かになっているのです]「子供みたいに」を声高らかに歌うのは見当違いなので低音で、恥ずかしそうに歌うのでしょうね。翻訳がだいぶ違う内容になっているので、テバルディにもどうにもならなかったのです。)次の"di gioia mai m’ inondò al gran portento!"は歌詞通り、喜びを強い声で歌っています。ここもオリジナルとだいぶ違いますが・・・。"machtlos der Macht der Wunder preisgegeben" [なすすべもなく奇跡の力に身を委ねたのです]。次に「やっぱ細かいな・・・」と思うのは"aita tu"。こちらは急速にデクレッシェンドして、ピアニッシモで延ばしていく、という・・・。多分ドイツのソプラノはやらないことをやっています。

"Dei vati i dolci canti…"からは、タンホイザーの歌を聞く前の自分を物語っている部分ですね。穏やかに、優しく歌っていきます。この辺からの声はまさに、ビロードです。"Ma il suon de’ carmi tuoi sovrumani"がタンホイザーの歌を聞いてからの彼女。細かいので書いておきませんでしたが、ここから"accelerando"の指示があるので、テンポが上がります。このあたりからはテバルディは徐々に興奮気味に、フレーズごとに声量を上げていきます。(やっぱり少々うわずり気味のところが・・・テープのせいではないらしいです。例の「熱血」が騒ぎすぎたようで・・・。)そのはず。スコアでクレッシェンドが二回入っているところですから。歌詞が違おうが、スコアの指示は万国共通ですしね。最後の"appien"までにははもう、強烈なほどになっています。

"E quando alfine da noi partisti, la pace a me fuggir dal cor,"からは「遅く」しないといけないのでしたね。この辺はレガート記号も一切ないので、いつもレガートで歌うのが得意の彼女も切れ切れに歌っています。気落ちしきった、悲しいトーンの入り具合はさすが、です。どんどん、落ち込んでいきますね。声の強いところは音程が上がっているところです。調整の結果かも知れませんが、音高が上がるとソプラノはやはり声が響きやすくなりますから、ある程度自然なことでしょう。極めつけは"atroci smanie disperate"最後の"disperate"は「絶望的」ですから、これ以上暗く歌えるのか?というくらい、暗いトーンで歌っています。"O Enrico, Enrico"も後のほうが音高が上がっているのもありますが、明らかに彼女の場合、一度目を弱めに歌っていますし、消え入らせています。こういう"Heinrich, Heinrich"を聞いたことがありますか?

この後、タンホイザーの脳天気な歌が入ってきて、ムードが一変、それが終わってデュエットになると同時に、ソプラノにとってはオケおよびテノールとの格闘が待っています。このときは・・・乗り越え切れていないときもありますね。1点音域に下がるところはどうしても声が響きにくくなるからです。ワーグナーはそういうことは・・・あまり配慮しなかったご様子で。ですが、音高が十分の所はさすがに巨声のテバルディ。音が悪かろうが何だろうが、ちゃんと聞こえてきます。いわゆる「ワーグナー歌い」とはまるで違う声質の人なのですが・・・。

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折角なので、ドイツのソプラノはどういう歌を歌うものか、YouTubeから他の動画主様の動画をお借りしてきました。

●まずは、私が書いたマックス・ローレンツとマリア・ライニングのデュエット。ライニングは戦後もしばらく活躍していました。どちらかというと可憐なリリック・ソプラノでした。


こっちのが音が良いくらいですね?!うらやましい・・・。でも、ライニングさん、最初のうろたえもないですね・・・。普通「困ります、立って。」とおろおろするんですけど?"Herzens Tiefe"と"Verzeiht!"の歌い方なんかは良いですね。"O helfet mir"は、やっぱりテバルディの"aita tu"のようにはいっていません。タンホイザーの歌を知ってからの所はたたみかけるようにどんどん音量を上げないといけないんですけど・・・これで、上げてるつもりですか?落ち込んでるくだりも・・・。落ち込み具合が足らないような・・・。"Heinrich, Heinrich"の違いもありません。音が高いだけ。これはスタジオのようだから、彼女の音量でも聞き取れますけど、ライブでは無理そう・・・。最後は2点イですから、高音苦手の烙印を押されているテバルディも猛烈な声を張ってましたが・・・それしか出ないの?年齢の関係でしょうか。

●私は全然ヘルデン・テノールだと思っていなかったルネ・コロと、なんと、グンドゥラ・ヤノヴィッツモーツァルトR.シュトラウスを歌って一頃活躍してましたよね。『フィデリオ』は聞いてません。彼女じゃ・・・恐ろしくて聞けませんでしたし、買う気がしなかったので。


これは完全、スタジオですね。ヤノヴィッツ、最初はうろたえてますけど・・・。この程度?「立って下さい」のところはテンポが速過ぎるのもありますが、何だか怖い。彼女は、私のいう、"t"の強すぎる人。気になりませんか?「一息に」歌ってない・・・。タンホイザーの歌に出会う前と後。全然歌い方が変わってないので、気づかないうちに過ぎちゃって、戻したくらいです。テンポは指揮者に合わせてれば良いんですから。タンホイザーがいなくなってからの落ち込み方。テバルディと比べると歴然ですが、全然、なってません。最後の高音、出てますけど、ライブで聞こえるかな?

●あまりにも期待外れだったので、もう一つ、バイラーとグレ・ブロウエンスティン


この人は・・・正直、声質が嫌いなのです。ビロードとはほど遠いですよね。それだけではないのです。ぜえんぜん面白くない歌を歌っています。テバルディと比べて下さい・・・。

勿論、エリーザベトを歌った人は沢山いたでしょう。これらはたまたま、悪い例だったのかも知れません。でもこういう人たちを私は「カナリヤ」と呼んでいます。ライブでは多分オケに負ける人たちです。負けないとしても、甲高い周波数で乗り切るのであって、豊かな声量で圧倒するのではない。「ビロードのような、温度のある」歌はまるで歌えないのです。そして、表現もなってない。ベームが言いたくなったのも無理はない・・・「テバルディ=最高のエリーザベト」。

 

記事が長くなってしまったので、後の2つの動画は次回に回します。