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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1950年 サン・フランシスコでのコンサート(2)

LIVE リサイタル

サン・フランシスコでのコンサートの模様の第2回目です。今回ご紹介するのは、11月12日に行われた分。この回にはステファノは参加していません。代わりに、リリー・ポンス、ビドゥ・サヤンといった、主にアメリカで活躍したソプラノも出演しました。彼女たちが何を歌ったのか知りませんが、テバルディの演目を見る限りでは、主役はテバルディになってしまったんじゃないかと想像できます。

テバルディはすでに『アドリアーナ・ルクヴルール』の"Io son l'umile ancella"をイタリアでのコンサートで歌ったことがありますが、録音に残っているのはこれが一番古い音源ではないかと思います。今までも、これからのブログの記述でも確認していくのですが、テバルディは、本当に、スコアや台本に現わされたヒロイン像、その心情を細部まで的確に歌い出せる人でしたし、それを目指していたのだと推察できますので、このアリアに特に思い入れがあったかもしれません。「作品」への「慎ましい(謙遜しすぎ!)奉仕者」として。

「柳の歌~アヴェ・マリア」はスタジオ初録音とかぶりますが、これも、コンサートではどうだったか、という再現のためご紹介します。

最後は『椿姫』から、ジェルモン(ロバート・ウィードというバリトン。知らない・・・。多分現地の座付きの歌手でしょう。声は通っていますが、硬質で、私にはちょっと嫌な声に聞こえました。)との第二幕でのやりとりの大部分を歌っています。前回の『蝶々夫人』もそうでしたが、大サービスですね。

今回は指揮はメローラではなく、カール・クニッツという指揮者です。可もなく不可もないような・・・。

なお、前回の録音とは日にちが違うせいもあって、こちらも録音状態は微妙に違います。また脱線することになりますが、このたびブログの再開に当って、全て、音源から動画を作り直しましたが、音質調整をどうしているか、また別に項目を立ててお知らせします。

では、動画のご紹介に移ります。

1. チレーア 『アドリアーナ・ルクヴルール』 "Io son l'umile ancella"

 

アドリアーナは、テバルディがイタリア時代にさんざん歌った役です。ですが、「伝記」の項でも書いたとおり、メトロポリタンではなかなか総支配人のビングが上演OKをしませんでした。あのカルーゾーがブーイングされたのですから・・・。確かにこのオペラは女の闘いがメインで、マウリツィオは添え物と感じられなくもないので・・・。仕方なかったかもしれないですね。

そして、テバルディがメトでようやく歌えることになったときには、もう彼女の方がダウンしてしまったのです。そのとき不調をおして出演したライブが残っていますが、声が前に出たり、引っ込んだりしていて、明らかに調子が悪そうです。かといって、イタリア時代のライブというのは少なくとも私には入手できていません。ライブで本領を発揮する人ですが、この演目に関してはスタジオ録音が最良の歌唱の記録になってしまっているようです。

例の、「ロクサーヌ」(当日のアドリアーナの演目。ラシーヌの『バジャゼ(Bajazet)』の中のヒロインの役)の台詞をさらう部分はカットされています。"Troppo signori, troppo"(指示なし)から。"respiro appena…"に入ると、ピアニッシモの指示が。"Ecco:"で強めに入ったと思ったら、見事にピアニッシモに落としています。"pe-na"にテヌートの指示がありますが、全体にかなりのばしていますね。そのあとはしばらく特に指示はありません。"Genio creator"のあたりの声の張りときたら・・・。リリコ・スピントのお手本のような歌いぶりです。"io la diffondo ai cor"は"fondo"が頂点で(しかもラレンタンド)クレッシェンド、デクレッシェンドなのですが、ラレンタンドはしていますけど、かろうじてフレーズの終わりで声を落としているほかは、割合大きめのままですね。

その後はしばらく指示がなく、"l’eco del dramma uman"は"con anima"(心を込めて)で、次の"il fragile strumento"がフォルテ。その後は"vassallo"で"stentando"(次第に遅く)"della man"が"poco tenuto"。テバルディの歌は"l’eco"のあたりからもう雄大な歌になっています・・・。"il fragile"は当然強力。最後の締め方は楽譜通りです。

"Mite,"はピアノ、"gioconda,"は"con"で延ばしている間中、"crescendo molto"なので、グイグイ大きくしないといけないですね。"atroce"の"troce"がフォルティッシモ。"mi chiamo"の"chiamo"からディミニュエンド。だから弱音にするのですね。"un soffio è la mia voce"は入りがピアニッシモです。"novo" "dì"は両方ピアニッシッシモで"rallentando molto"相当遅くするんですね。そして、両方グリッサンド(?にしては点線なのは変・・・。よじった針金みたいに書くのが普通ですから)記号がついています。"morrà"の"mor"がテヌートで、"rà"はフォルテ。チレーアも細かい人だったようで・・・。さて、彼女はどう歌ったか?"novo" と"dì"はやはり、グリッサンドではなくて、ポルタメントにしています。"morrà"は頭からフォルテです。前の二つの弱音と絶妙のコントラストがついています。後はほぼ楽譜通りですね。とにかく、"dì"の弱音のポルタメントが鳥肌ものの美しさ!前回のコンサートより、声のコントロールが上手くいっています。これこそ、テバルディらしいコントロール力。超絶技巧だけが歌唱技術ではないのです。


2. ヴェルディ 『オテッロ』 "Piangea cantando---Ave Maria"

 

また、チェトラの録音と曲がかぶりますが、まだ本格スタートしたばかりの歌手としてはレパートリーが限られるのは仕方ないでしょう。(30歳前だし!自分が30歳頃どんな仕事ができていたかを思い起こすと・・・天才とのあまりの落差に愕然とします。)

"Io son l’ umile ancella"は自己紹介のような歌ですから、謙遜しているとは言え、明るいトーンで歌っていましたね。それが当然かと。特に、謙遜しているときは、変にひねると嫌みに聞こえますから、テバルディは、お祈りの歌と同じように清澄に歌って、あとはスコアの指示に従っているのですね。彼女の歌のトーンの決め方には、奇をてらったところがないのです。ある意味非常に健全な理屈に合っていて、意外性はない。意外性を天才の証と思う方は、そこが物足りないのでしょうが、それは歌手としては自分勝手な自己主張であって、本来の仕事の範囲からの逸脱ではないかと思います。意外性を発揮したかったら、創作のほうをすべき、つまり作曲家になるべきでしょう。もう、既に一度創られたものをゆがめるのが、それを再現する人の仕事でしょうか?せいぜい、間違っているところや、どう考えても変な強弱指示(誰のことかはおわかりですね・・・苦笑)を正すくらいが、許容範囲ではないのでしょうか?

ですから、彼女は今度は当然、悲痛なトーンに一転します。スコアの詳しい指示はチェトラの録音の時さんざん書きましたので、今回は必要最小限だけ書くことにします。

こちらの曲は少々音が曇り気味ですが、どうにもなりませんでした。クリアーにしようとするとノイズが耳障りなのです。最初の鬼門は"O Salce! Salce! Salce!"の"come una voce lontana"(遠くから聞こえるような声で)ですね。これは・・・どうすれば良いのか、私にもわかりませんし、テバルディもメリスも困ったでしょう。他の歌手の歌を聞いても、そう聞こえる人は・・・いないような。声量は落としています。次の"Salce"の三連続がむしろ、そういう風に聞こえます。少々うつろな感じを出すと良いのかも知れませんね。その前の"sedea chinando"のところで、"chinando"を少々強調気味にしています。胸につくほど頭を垂れているのですから、その、絶望的な風情を十分描き出したかったのでしょう。

何気なく歌っているようですけれど、"Cantiamo, cantiamo!"では二度目の"Cantiamo"の"più piano"を守っています。一度歌い方をしっかり身につけると、忘れない人だったのですね。(間違いもそのままになってしまうのが難でしたが・・・。)"il salce funebre sarà"の"bre"を頂点にクレッシェンドとデクレッシェンドするところもちゃんと実践。"ghirlanda"が何ともいえなくソフトになっているのは、チェトラの録音の時と同じです。

この日は"gemea quel core affranto"の"core"に強勢と、泣きがついています。これは・・・歌詞を見ながらお聞きになると、おわかりになると思いますが、もらい泣きしそうになるような調子です・・・。その次の"l’ amara onda del pianto"に込められている暗いトーンも、素晴らしい。見事に『アドリアーナ・・・』とは違う世界に入っているのです。

問題は次の"Salce"の三連続。ここはまたしても"come un’ eco"という厄介な指示があるところです。チェトラの時は微妙でした。(録音に変なエコーがかかっていましたから。)実際に聞くと、ちゃんと、最後の"Salce"がうつろな調子になっているのがわかりました。絶妙です。

"Scendean l’augèli a vol dai rami cupi"のレガートをスタッカートで歌う間違いはしばらく修正されていないことはすでに書いたとおりです。うーん、メリスがついていながらどうしてこういう風に覚えてしまったのか?謎です。"verso quel dolce canto"は言葉のまま、甘い調子が入っています。"E gli occhi suoi piangean tanto, tanto, da impietosir le rupi."が楽譜通りなのはチェトラと同じですが、あのときより更に暗いトーンが入っています。「鳥たちが・・・」のフレーズとまるで違う表情。ただ、楽譜通り歌っているだけではこうはいきません。

"Povera Barbara!"が強すぎるのも間違えて覚えたのでしょうかね。メゾ・フォルテには聞こえせん。いくら「可哀想に!」でもここまでやると、行き過ぎかと。"Solea la storia con quest semplice suono finir:"で声を落とすのは実践。こういう、説明的なフレーズには、カラーをつけない。全く、理屈に合った歌いぶりなのです。

今回はエミーリア役が用意されていないのに、本当におびえているように(少々恐怖感が強すぎるかも知れませんが)"Chi batte quella porta?"を歌っているのもさすがです。ドレスを着て、舞台装置のない、コンサート・ホールで歌っているんですが・・・。まるで、舞台の演技中のように聞こえます。動作こそ緩慢でしたけれど、言葉通りの意味で、歌声だけでヒロインの感情を雄弁に伝えられるのがテバルディでした。

"Io per amarlo e per morir."は絶妙(かなり、悲しいトーンが入っています)ですし、楽譜の通りです。"lo"に入る直前までクレッシェンドで急速にデクレッシェンドですから。問題は、最後の"Salce! Salce! Salce!"で、"come una voce lontana"なのに、この日は元気すぎる。特に2つめの"Salce"。これもうつろに歌うように徹して欲しかったですが、一発勝負のコンサートやライブでは、その通り行かないこともあるのでしょうね。

"Emilia addio."からは、彼女の「温度のある」声が生きます。エミーリアに対する温かい思いと悲しみが混じって、他の歌手には出せそうもないトーンが出ているのです。そして、出た!"Ah! Emilia, Emilia, addio! Emilia addio!" ffffffのフォルテ。音量が半端じゃないのは同じですが、この日は、最後の"addio"が涙声になっていて、違った味がついています。ドレスで歌っているのであって、衣装も舞台装置もないのに?!

続いて、例の"Ave Maria"。ヴェルディ様もお間違いの・・・。例によって、削岩機の打ち込みのような単調な歌にはしていません。テバルディ流です。でも、それが、機械には不可能な、人間らしい、歌心のある導入になっていることはすでに書いたとおりです。この日は少々指揮がスローで、相当丁寧に歌っています。

"Prega per chi adorando a te si prostra"のこの日の歌いぶりは・・・いくら"cantabile"で"dolce"だからといっても、これほど美しく歌えるのだろうか???と思ってしまうような歌いぶり。清澄かつ、潤いのある声で、まさに、『天使の声』です。次の"Prega pel peccator, per l’innocente"も"dolce"ですが、これも素晴らしい。彼女には珍しく、こちらは最後声が揺れて聞こえますが、録音のせいでしょうか。次のフレーズは"debole"を柔らかく、"possente"を強力に、"Misero anch’ esso"を声高らかに、最後の"tua pietà dimostra" を静かに、と、きめ細かく歌い分けられていて、それが、やはり、台詞と非常に合理的にマッチしています。

"Prega per chi sotto l'oltraggio piega la fronte e sotto la malvagia sorte."。必ずしもスコア通りではありませんが、"piega la"あたりまでは強めに歌うのが彼女のパターンだったようです。その後は静かに締めていきます。祈ってもらう対象が最初は「非道の下で頭を垂れる者のために」で、終わりは「不正な運命の下にある者のために」ですが、「非道」は誰か人間の所為によるもので、「運命」は人にはどうにもならないものという違いがありますね。推察するに、それを歌い分けているのではないかと。

"per noi, per noi, tu prega"の"dolcissimo"は、これ以上不可能だろう、といいたくなる程「優しく、甘美の極限で」歌われています。"prega sempre, e nell’ ora della morte nostra."は内容としては深刻ですが、彼女は清澄な調子を変えません。この日はやはり、指揮がスローなので、またしても丁寧にじっくり、歌っています。

"prega per noi, prega per noi, prega!"の"prega!"に、"dolcissimo", "allargando", "morendo" ピアニッシモ、デクレッシェンド、と5種の指示が付いていることはチェトラの時に書きました。今回は成功している、と思います。これを全部一度に決めるって・・・。絶句。

聞かせどころの"A------ve!"。聞いていると、「いつまで続けるんですか???」というくらい続いていくのですが・・・。今回は14秒50でした。ここをこのように歌える歌手は他にはいなかったのです。"A----ve!"だけではありません。デスデーモナがいじめられっぱなしの、リリック・ソプラノなら誰でも歌える役だとお思いの方は、この全部の部分のスコアをご覧になって下さい。その通り歌うのも難しければ、"Ave Maria"の導入部のように、その通り歌うとつまらなくなるところもある、という厄介な役です。これほど見事に歌えたのは、テバルディだけでした。私はSP時代の歌手から、彼女の同僚格をはじめ、後輩達の歌も聞きましたが、誰もこの域に達していないのです。


3. ヴェルディ 『椿姫』 "Pura siccome un angelo"

 

第二幕の、父ジェルモンに、息子と別れてくれ、と説得される例のシーン。バリトンは淡々と起伏のない歌を歌っています。"ah non mutate in triboli…"あたりはたとえば、ピアノでポルタートで歌えと書いてありますが、全く前と同じように歌っている・・・などなど。ですが、テバルディは違います。

入りは"animando a poco a poco"ですから、だんだん感情を強めないといけません。"Ah, comprendo…"から"doloroso fora me…pur…"までです。でも、「十分ではない」と言われて、考えが甘かったことに気づくヴィオレッタ。"Cielo! che più cercate, offersi assai"は"acquerellando a poco a poco"なので、だんだんテンポを速めるのですね。相手の意外な返事に興奮していくから、ということでしょう。そして、"Volete che per sempre a lui rinunzi"は"sempre a lui"を最強にして、クレッシェンドとデクレッシェンドで山を作る。"Ah, no! giammai! no mai!"は、"giammai!"に"tutta forza"とあります。強力に否定するのですね。さて、この日のテバルディは?ほぼ、楽譜通りです。さすがに"giammai!"の強力さは凄いものがあります。

次の"Non sapete quale affetto"はピアノですが、同時に"agitato"の指示。ピアノでも、心乱れた調子を出すのですね。"vivo immenso"あたりでクレッシェンドが一回入り、"io non conto"で、またクレッシェンドが入ります。"e che Alfredo m’ ha giurato…"は例の、"a piacere"という、「ご随意に」の指示。。。"Alfredo…"からデクレッシェンドしていきます。次はまた"non sapete…"のパターン。"d’ atro morbo…"でクレッシェンドの指示。テバルディに『椿姫』は不向き、と信じている方は(私もその一人でした)ここを聞いただけでも、「え?」とお思いになるかと。見事に楽譜通りなので、彼女のこの役にかけていた思いは決していい加減なものではなかったのです。

違うパターンが入ってくる"Ah, il supplizio è si spietato, il supplizio è si spietato,"は最初の"si spietato"あたりからだんだんクレッシェンドしていく、という指示。そして、"Ancor più vivo"とも。(さらに活発に)ですから、どんどん強力にしないといけない。"che a morir, a morir preferirò"の繰り返しのあたりは、所々、アクセント記号がついていますが、細かいので書きません。"Ah!"でフォルティッシモ。"morir preferirò, ah, preferirò morir."では最後の"morir"の"mo"にフェルマータがついています。やはり、これも楽譜が見えてくるような・・・。この役は、トスカやデスデーモナに劣らず、彼女にとっては重要な役だったのです!

彼女の興奮ぶりに少々手を焼いたジェルモンは現実を見なさいとばかりに諭し始めるのですね。"Bella voi siete…"あたりは"parlante"なので、あまり歌うようにしてはいけないのですが、このバリトンは前のままです・・・。次のヴィオレッタのフレーズには何も指示がない!ですが、ここがテバルディ流の顕著に表れるところで、"Ah, più non dite, v’intendo…, m’ è impossibile, lui solo amar vogl’ io"ですが、最初は「もうおっしゃらないで」と静かに、涙ぐんでいるかのように、「でも、無理なのです」は少し声を強めて、"lui solo"はこれ以上は無理でしょう、というほど、優しく、温かく、そして"amar vogl’ io"は強烈に歌うのです。この日もほとんどそのように歌っています。これも、歌詞を読むと、理にかなっています。ジェルモンの答えを挟んで"Gran Dio!"というところも指示はありません。テバルディは強烈に入って、デクレッシェンドしています。消え入っていく声とともに、彼女にも現実の厳しさが心に忍び入ってくる、という風です。

次からのジェルモンのお説教は確かにレガートではないですが、アクセントもスタッカートもついていないのにこんなに切れ切れに歌うの???と。強弱はまあ、守っているようですが。"Ah dunque, dunque sperdasi, tal sogno seduttore"は同じパターンのフレーズが歌詞を変えて続きますが、強く入ってデクレッシェンドし、"sperdasi"のあたりからpppです。そこまで落としきれていませんね・・・。どちらにせよ、ヴィオレッタが自分の身の上を悲しげに振り返りつつ入ってくるまで、彼のパートにフォルテ記号は一切ないので、ここでバリトンが歌いまくるのは見当違いなのです。うーん、全然pppが守られていないし、強弱もついていません。この歌手は歌うので精一杯だったようです。明らかにアメリカ人の名前のこの歌手は、ついでに二重子音で詰まる音が出来ていません・・・。

"Così alla misera…"に始まるヴィオレッタの「一度墜ちた女に立ち直りは認められない」という趣旨のくだりは、最初に、歌唱指示ではなく、ト書きで(con estremo dolore)とありますから、「悲しみの極限に落ちて」いる様子をするのですが、結局、歌もそうなりますね。ずっとレガート、レガート、レガート、で、他に特に指示はなく、最後の"l’ uomo imprecabile per lei sarà"で、やっと"a piacere con forza"という指示が。「ご随意に、でも強く」って・・・。フォルテ記号を書くのと何の違いが???作曲家の指示ってつくづくわからないな・・・と。とにかく、テバルディはどうしているか、というと、キー・ワードで強弱を微妙に変えて細かい表情をつけています。"misera"「哀れな」は強く、"caduta"「墜ちた」で弱めに、"più risorgere"は強めに、"è muta"は消えるように、"benefico"「お慈悲」"Iddio"「神様」は強烈に、"implacabil" "sarà"も強く、"sì, per lei sarà"は次が"a piacere con forza"のフレーズなので、準備段階としてフレーズごと強めています。

ジェルモンが主になる次からのフレーズで途中、"l’ uomo implecabil" "per lei sarà"は1点ト♭と、比較的低音なのもありますが、バリトンさんが、べったり同じ調子で、強弱も変えずに歌っているのとは違って、テバルディは"l’ uomo implecabil"は少々恨めしげに、でも"per lei sarà"が終わる頃には透明なトーンに変えています。もう決心がついたからですね。そうすると次の"Ah, dite alla giovine…。"にすんなりつながります。ト書きには(piangendo)となっていますから、本来は涙混じりになるのでしょう。基本的にレガートかポルタートで歌い続け、(途中にクレッシェンドやデクレッシェンドが入るところがありますが)他に指示はなく、最後の"e morrà, e morrà."にだけ、ピアニッシモの指示があります。二度目の"e"はフェルマータ。テバルディは最初から涙声にはなっていません。"della sventura"が強いのは、ここがクレッシェンドの山だからです。その後もクレッシェンドの山の部分は強力に歌い、例のピアニッシモは見事に弱音になっています。最後の"morrà"でようやく泣き崩れていますね。コンサートで余り全編涙混じりにすると聞きづらいと判断したのでしょうか。ポルタートはやはり難しいようで、どちらかというとスタッカート気味に歌っています。

この際、バリトン氏には言及しません・・・。変化に乏しすぎるし、二重子音がことごとくダメ。次のヴィオレッタの入りの"Dite alla giovine…"はバリトン氏とのデュエットになるので厄介ですが、ピアノの指示。"ch’ avvi una vittima"はデクレッシェンドしていくので"ch"あたりは強めに、"vittima"はピアノの指示になっています。ところが、次の"della sventura"では頭にフォルテ。デクレッシェンドし、"cui resta…"が頂点でまたデクレッシェンド。"che a lei sacrifica…"は"che"にアクセントが付いていて、そこからデクレッシェンド。最後の方の"a lei sacrifica e morrà"は二回ありますが、"lei"がフォルテで"cri"からはピアニッシモ。終わり近くの"e che morrà"の繰り返しには、アクセント記号の他は特に強弱の指示はありません。バリトン氏が淡々と同じ音量でべったり歌っているので、テバルディにとっても音量を落とすのは難しいものがあったと思います。"vittima"はピアノにしきれていません。代わりに"della sventura"で強烈な声を張っています。"cui resta…"のフレーズはユニークで、山なのに彼女にしては音量を落としています。なぜか"resta"の"ta"に強調が。"un unico raggio"の"unico"はポルタートですが、彼女はアクセントをつけています。"bene"あたりでは相当音量を落としています。次の"che a lei sacrifica"をダイナミックに決めているので、対照をつけるためでしょう。バリトン氏と全然違う歌いぶりです・・・。フレーズ最後の"morrà"が涙声に。こういうのが、下手な歌手と凄い歌手の違いの見本なのですね。"che a lei sacrifica…"の二回のフレーズは、見事に"lei"がフォルテになっていて、フレーズの最後で消え入っています。最後の4回の"e che morrà"("ah sì"などが入るところもありますが)は一つとして同じではない。最初は強めに、次は弱めに、"ah sì"の入る時はアクセント記号がついているので強めに、最後はごく静かに締めています。

前回のコンサートの出来が今ひとつだったので、リヴェンジの意味もあったのでしょうか。(彼女に自覚がなかったはずはありません)この日の出来は上々でした。


さて、次回は、非常に音質が悪いのですが、リオでのコンサートからの3曲をご紹介します。