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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1951年 リオ・デ・ジャネイロでのコンサートから

LIVE リサイタル

さて、FONO 1040の "My First Concert"にはおまけの音源がついています。1951年のリオ・デ・ジャネイロでのコンサートで歌われた3曲が収録されています。こちらは放送音源なのか何なのか、わかりませんが、音が悪いです。しかし、聞き取れないほどひどくはありません。(そういうライブ録音にも相当当たった私にとっては、このくらいの音の悪さは大したこととは思えないのです。)とにかく、極力ノイズは取り除く努力をし、歌が聞こえるようにレベル調整しました。

テバルディは、他のイタリア人歌手達と南米ツアーに派遣され、8月から10月初めまで滞在しています。ここでご紹介する音源は、9月16日、テバルディ単独(!)で行われたコンサートからの3曲です。これもスタジオ初録音とかぶりますが、『友人フリッツ』からのスゼルのアリアが珍しいですね。伝記のシリーズで書いたとおり、彼女は戦時中、スゼルを歌っていました。テバルディは農場管理人の娘という感じではないのですが、駆け出しの歌手のレパートリーとしてはむしろこちらの方が当たり前で、戦後かなり早くからトスカやアイーダやマッダレーナなどを歌ってしまったテバルディはやはり非凡だったのだと思います。

このコンサートの演目は正確には次のようなものだったようです。

1. プッチーニラ・ボエーム』"Sì. Mi chiamano Mimì"
2. プッチーニマノン・レスコー』 "In quelle trine morbide"
3. チレーア『アドリアーナ・ルクヴルール』 "Io son l'umile ancella"
4. マスカーニ『友人フリッツ』"Son pochi fiori"
5. ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』"La mamma morta"
6. ヴェルディオテッロ』 「柳の歌」~「アヴェ・マリア

要するに、まだまだレパートリーは限られていたのです。しかし、当時は今のようなインターネット時代ではありません。テレビすら普及途上。音楽鑑賞といえば、レコードかラジオに頼るしかなかったのです。本人の生の声を届けるには、本人が現地へ行って、歌うのが一番手っ取り早かったということですね。テバルディの演目が同じようなものばかり、と思うのは早計です。彼女は各地で、生の声を伝える必要があったのです。

ともかく、上記のうち、3曲だけが手元にあります。折角ですから、ご紹介しておきます。

1. プッチーニ 『ラ・ボエーム』  "Sì, Mi chiamano Mimì"


やれやれ、ノイズを極力カットしたら、(それでも、完全に消すというわけにはいきません。必要な音まで消えてしまうので。)結果として伴奏がほとんど聞こえない、という状態に。ですが、やはり大きな雑音入りで歌を聞くのは辛いですから。スコアの指示についてはチェトラの時に書いたとおりです。

入りから聞く限り、絶好調ですね。いつも通り、明るく純真なミミが目の前に浮かんできます。"ed mio svago, far gigli e rose"など、どうということのないフレーズでも"rose"が余りに美しく、刺繍の花と言うよりはまさに生き生きとした大輪の薔薇が浮かんでくるようです。

"Mi piaccion quelle cose,"は"dolcemente(甘美、優しさの限りで)"でしたね。今回も成功ですが、進んで"che parlano d’ amor"で少々気合いが入りすぎていて、声がデカい。(苦笑)一種、全盛期の聞かせどころだった"di primavere"は、これも、結構大きく入っていますが、いつものようにデクレッシェンドしつつ、延ばせるだけ延ばしています。(14秒ちょっと)。

次に魅力的なのは"quelle cose che han nome, poesia."です。弱音で、優しく歌われていて、これを聞いたら確かにロドルフォも感激するだろうな、と。

"Il perché, non so."が照れ混じりになっているのはこの日も同じです。こういう配慮ができるのとできないのでは、聞いたときの感慨が違います。この女性はちょっとシャイなのだな、というのがわかる。

"Sola mi fo il pranzo da me stessa"からのフレーズは全くスコア通り。最後の"e in cielo"だけ、スコアにないポルタメントをつけるのも、もう完全にこの歌の歌い方がしみこんでいるとわかるのです。それも、ただスコアを機械的に再現しているのではないことは言うまでもありません。

"Ma quando vien lo sgelo"から"il primo sole è mio"はいつも通り、圧巻の歌声。「最初の太陽が私のものなんです!」スコアが強く歌えと書いてあるのですから、結核患者がどうとかは関係ありませんが、結局、結核患者だから、春が来るのが待ち遠しいのですね。結核患者がこんな巨声で良いのか、ということより、だから、春が嬉しい、という気持ちが伝わることの方が重要なのです。

"foglia a foglia la spio!"にミミの感激が入っているのもいつも通りです。"cosi gentil il profumo d’ un fior"はちょっと気持ちが入りすぎたかも知れません。最後のデクレッシェンドは忘れていませんが。

"Ma i fior ch’ io faccio, ahimè,"からはピアノですから、例によって軽く、少々悲しげに歌います。「香りがないんです・・・」それは、彼女にとっては残念でしょう。今まで底抜けに明るくて、強力だったから、ここのちょっとした悲しさが生きてきます。

"Altro di me, non le saprei narrare,"からはいつも通り、さらっとこの歌って締めています。

2. プッチーニ 『マノン・レスコー』 "In quelle trine morbide"

 

入りはいつもと同じですね。残念ながらこの日は"morbide"にひねりはないです。"v’ è un silenzio gelido mortal"はスコア通り、強めていき、"v’ e un silenzio, un freddo che m’ agghiaccia."ではピアノの指示を守っています。この日は特にここのフレーズが非常に美しい!ただ、「ゾッとする」感が不足しています。

"Ed io che mi ero avvezza, a una carezza voluttuosa"雑音に邪魔されていても彼女の美声ははっきりそれとわかりますね。ここの入りの何ともいえない透明さ。残念ながらこの日は"voluttuosa"がスタジオの時のようにひねられていませんが、単語全体に強勢がついています。強調したかったのですね。彼女はうら若い女性(29歳)だったのに・・・。さすが、イタリア女性。"di labbra ardenti e d’ infuocate braccia, or ho"では"ho"がフォルテでしたね。その通り盛り上げて、また、何の指示もないのに、"tutto altra cosa"で、ガックリ感を出しています。これも歌い方が身にしみたようですね。

"O mia dimora umile, tu mi ritorni innanzi,"の冒頭の"pensierosa"(思いにふけるように)がここでは良く現れています。"gaia, isolata, bianca"が強烈なのは、デッカの初録音と同じ。最後の"come un sogno gentil e di pace, e d’ amor!"はごく静かに締められています。


3. マスカーニ 『友人フリッツ』 "Son pochi fiori"

 

駆け出しの頃、彼女はこのオペラに出演していました。早期にレパートリーから姿を消してしまうので、貴重な音源です。独身主義の農場主フリッツが、農場監督の娘スゼルと次第に心を通わせ、ついに結婚するというストーリーで、聞き所が結構あるのですが、ほとんど上演されません。テバルディの歌は、ヴェリズモ・レパートリーへの適性を示しています。もうちょっといい録音のものを私が持っていないのが残念ですが、YouTube上には他の動画主様がノイズの少ない動画をアップしておられます。ここで歌詞をご参照の上、そちらもご覧になることをお勧めします。

これはまず、スコアから見ていきましょう。入りはピアノです。"ed è per voi che le ho rapita…"の頭に至ってはピアニッシモ。"se avessero parole le udreste mormorar"は"un poco ravvivando"(少し活気をつけつつ)という指示が頭に、中間でラレンタンドとディミニュエンド。"Noi siamo figlie…"からは、スゼルが、花のささやき、という口実で実は自分の思いを伝える部分ですが、今までが4分の2拍子で、少々語り、というか前置きのようだったのとがらりと変わり、4分の3拍子になり、調性も、変ホ長調から、ト長調に変わります。長調なのに、何だか悲壮感のようなものが漂って、急にヴェリズモらしくなるという、不思議。特に強弱や表現上の指示は出てきません。最初の指示は"siamo le vostre amiche"で"vostre"まで"un poco rubando"とあります。でも、ルバートということなら、「テンポを自由に調節して」ですから、これ、指示?"vi possa dar tutto quel bene"の"bene"が"rallentando molto"なので(ごく遅くしていき)、でかつ最後の"e"がテヌート。"che si può sperar!"で「花のささやき」は終わって、スゼル自身の言葉に戻りますが、同時にまた拍子と調性が最初のものに戻ります。次の指示という指示は"Deh! vogliate gradir"の頭に"sentito"と。(心から)です。それしか・・・指示のない曲。

では、テバルディの歌を聞いてみましょう。確かにピアノで入っています。"Ed è per voi…"は、確かに頭は静かですが、すぐに巨声に。ですが、「あなた様のために持ってきたんです(正確には盗んできたと言っていますけど、これは自嘲的な表現でしょう。)」、つまり、彼女のフリッツへの好意が入っているのですから、強調したかったのでしょう。"Se avessero…"のところはむしろ、前のフレーズより静かに歌っています。活気をつけつつなら、こちらの方を少々大きめにすべきところでしたが、そうはしていません。フレーズの終わりは必ずしもゆっくりになってはいませんが、ディミニュエンドはしています。

"Noi siamo figlie…" からは、リリコ・スピントらしい張りのある歌声が堪能できます。この役でそこまで必要かというと、微妙ですが、これほどの美声で立派に歌われてしまうとつい聞き惚れてしまいます。"timide e pudiche"あたりの声の張りが、つい、つり込まれます。ただ、歌詞からしたら少々強すぎるかもしれません。最後の「自由なテンポ」のところは、スローに落としています。"e saremo felici di dire a voi"も張りのある立派な声で歌われています。こちらは「あなたにお話しできて幸せでしょう」だから、歌詞と釣り合っています。凄いのは、"il ciel vi possa dar, tutto quel bene che si può sperar." "vi possa dar"の立派な声にまた圧倒された後でまた、"tutto quel bene"は強く入ったかと思うと、問題の"bene"を「遅くする」というよりは、デクレッシェンドして、ピアニッシモで延々と延ばしています!これを聞いているだけでフリッツは幸福になるでしょう!"che si può sperar"はそのままだんだん弱音にして、消え入るように終わらせています。ここで、「花のささやき」は終わり、ですから。

また、スゼル自身に戻るので、(という形なので)語りのような調子に戻ります。何の指示もないですが、テバルディはごく静かに入ります。そして、"modesta ma sincera"で強調。ここも歌詞と釣り合っています。"eterna primavera la vostra vita sia, che altri consola…"は、徐々に大きくして"che altri consola"で声を張っています。次の"Deh!"は「心から」でしたね。だから、彼女も一杯に声を張っているのでしょう。しかし・・・半端じゃない長さ!(ただの付点4分音符ですけど・・・)その後はデクレッシェンドしながら締めくくっています。

これだけ音が悪いのに、どうしてこんなにも心が締め付けられるように感動できるのか。テバルディの歌が上手いからです。もうやめよう、と思ってはいたのです。引き合いに出すだけ無駄だから。ですが、このオペラの全曲録音を残した人がいましたね。フレーニです。この人がどう歌ったか?むしろ、農場監督の娘としてはテバルディは立派すぎたから、戦後、表舞台に立つようになってからこのオペラは彼女のレパートリーから消えました。でも、一度くらいはサン・カルロあたりで歌って、ライブ録音がそこそこの音質で残れば良かったのに、と、フレーニの歌を聞き終わって、痛切に感じたのです。

同じアリアをフレーニの、「綺麗な録音」で聞いてご覧下さい。どうでしょう?テバルディの時と同じ感動が心に湧きますか?私には無理でした。

ミレッラ・フレーニ『友人フリッツ』"Son pochi fiori"(こちらでしかご覧になれません。ご了承下さい。)

 

この歌について、感想を書こうとするならば、沢山書けることはあります。ですが、もう、敢えて書きません。私にはどこが気に入らなかったのか、詳しく説明して欲しいとおっしゃる方でもいらっしゃらない限り、もう、書く必要もないかと。一言、書いておこうと思うのは、テバルディが声を失った時から、事実上、19世紀後半のイタリア・オペラの輝かしい伝統は途絶えたのだ、ということです。

 

さて、1951年に入っていくと、テバルディの音源も次第に増えていきます。その前にいくつか記事を書かせて頂きます。