読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1951年 『ジョヴァンナ・ダルコ』のラジオ放送用録音(4)

スタジオ録音 ジョヴァンナ・ダルコ

第二幕に入ると、まず、自分の娘が悪魔に取り憑かれていると信じて疑わないジャコモが、儀式の終わりと共に出てきた王カルロとジョヴァンナ、人々の前に現れ、そもそも森にいたときに自分の娘は悪魔に魂を売り渡したのだ、と告発します。

その後の尋問シーン。まるで尋問されるラダメス。ジョヴァンナも一言も答えなかったため、罪を認めたと見なされ、群衆の歓呼は一転して彼女への呪いに変わります。

1. ヴェルディ 『ジョヴァンナ・ダルコ』 第二幕 アンサンブル 

"No, forme d'angelo"

 

ここは、カルロ王の歌い出しに早速デクレッシェンドの指示があります。その後はしばらく指示がありません。"Qual sulla misera"がフォルティッシモで、一転して "grave periglio!"がピアニッシモ、というところまでは。私は彼のパートを代表させて書いていますが、同時に重唱している人たちにも同じ指示が出ています。その後はパートによって微妙に違うのですが、特に注目すべき点以外は、テバルディのパートであるジョヴァンナのスコアの指示を中心に書いていきます。

"L’ amaro calice, sommessa io bevo,né mando un gemito, né un detto elevo..."ストーリー展開としてはひどい台本ですが、このジョヴァンナの歌詞はグッときます。まさに、聖女の言いそうな台詞ですから。指示としては"cantabile con semplicità"テバルディの持ち声としたら、難しくない指示です。"sommessa io"にはクレッシェンド。

次の"ch’ ei sia dell’ anima, vital lavacro!"の頭にはピアノ。"Sia fatto il sacro, voler, voler del ciel."は最後の最後にきて、"ciel"がフォルティシモです。

テバルディの歌は、カンタービレのお手本のようです・・・。録音さえもっと良ければ・・・。とにかく、又しても、素晴らしい美声を聞かせてくれています。が、強弱の付け方は必ずしもスコア通りではありません。クレッシェンドするところは、実際そうなっていますね。

"vital lavacro"には何も指示がありませんが、彼女は強めに歌っています。このヒロインの願いだということを強調したかったのでしょう。"Sia fatto..."ではむしろ、"sacro"や二度目の"voler"が強めに歌われていて、最後の"ciel"はフォルティッシモにしていません。このタイミングで全員が入ってくるから必然的にフォルティッシモになるからであって、テバルディとしては"sacro"や"voler"の方をより強調したかったのかもしれません。「罪が清められ、聖なる、神のお望みが叶えば、それでいい」自分が無実かどうかとか、弁明とか、そんなことは、このヒロインにとってはどうでも良いこと。「神の意志」が、彼女にとって最も重要なのです。しかし、この声で歌われないと、この「聖女」の言葉の説得力が断然違ってしまう・・・ということに、想いを致して下さいますよう。

そこからはアンサンブルに入ってしまいますが、ここもキツい。2点ハ以上の音が何度も出てきます。が、若いテバルディには特に苦ではなかった様子。そして、カルロ王、ジャコモと3人だけになる"voler del ciel, sia fatto sacro voler del ciel"の頭にピアニッシモの指示。

そして、また"L' amaro calice..."から繰り返します。今度は重唱なので、その意味できつい。また"cantabile"の指示で、最初のフレーズはクレッシェンド。次は"sommessa"を山に、クレッシェンド、デクレッシェンドで山を作る。"né mando gemito..."でまたクレッシェンド。次は"detto ele-(vo)"を頂点にクレッシェンドとデクレシェンドで山を作ります。"sia fatto il sacro voler, voler del ciel"は"sa-(cro)"を頂点にクレッシェンドとデクレシェンドで山を作る。ここは指示が細かいですね。テバルディ、これだけ音が悪いにもかかわらず、ちゃんと聞こえてくる上、スコアの指示通り歌っているのがわかります。

いったん彼女が抜けて、また重唱に入る時は、"Sia fatto il sacro voler, voler del ciel"を2度繰り返します。他のパートも歌ってはいますが、休符で切れ切れなので、彼女の歌が目立って聞こえる仕掛けになっています。"Sia fatto..."の入りはフォルティッシモですが、"sacro voler, voler del ciel"はピアニッシモで歌えと。2度目の同じ歌詞の部分には複雑な装飾がついていますが、これはテバルディにはちょっと無理なスコア。

もうちょっと音が良ければ・・・。と、つくづく残念な部分です。ちょうどピアニッシモになるあたりでテバルディはほぼソロ状態になりますが、(可能な限りで装飾を歌ってはいるのです)とにかく、2点イ以上の高音域で繰り出されるピアニッシモの美しさはたとえようもありません・・・。

このアンサンブルが一度終了してからは、ケッタイな父親がわが娘を尋問するというキテレツな場面。この人、何でこんなに偉そうなの???これにはジョヴァンナは無言で通しますから、テバルディも一休み。

次の彼女の第一声は"Oh genitor!"オヤジさんが神様でもあるまいに・・・。変な親子ですが、彼女のパートにはト書きしかありません。(piangendo)「泣きながら」です。その通り、彼女は涙声になります。

この後のアンサンブルは、かなりカットされています。とにかく、テバルディが"Ah!"で一人で出てくるときまた美声に圧倒されます。しかも・・・息継ぎの形跡が・・・ない。

ただ、締めの部分は2点ロ♭を何度も連続で歌わなければならないという・・・無茶なスコア。この頃のテバルディにはさして苦労はなかったかと。

************************

第三幕。舞台はイギリスの陣営に移ります。ジョヴァンナはイギリス軍が築いた砦につながれていますが、その心はまた戦いに参加したいという思いにはやっています。

そこで彼女は神に訴えます。自分の心が迷ったのは一瞬だけだったと。後はずっと神に捧げられているのだと。その独白を物陰から聞いたジャコモは自分の過ちを悟ります。(これでわからなかったら・・・手の施しようのない人ですね・・・)。

そして彼は娘の鎖を解き、戦場に行く彼女を見送ります。彼女の活躍でフランス軍は瞬く間に勢いを取り戻し、勝利を収めます。そのシーン。

2. ヴェルディ 『ジョヴァンナ・ダルコ』 第三幕 

"Allarmi"---"Amai, ma un solo istante"---"Ecco! Ella vola"

 

ここは、アリアに入るまでは何の指示もありません。テバルディの歌はまた、プロローグのジョヴァンナの気分に戻りかけています。戦闘に参加したくてうずうずしているからですね。"Di catene cinta nell’ abborrito io sto campo nemico!"など、相当な勢いです。"Chi dell’ orrendo luogo mi dischiude le porte?"や"Deh ch’ io voli sui campi!"のものすごい声。戦闘モードに戻っています。が、声を張っているばかりではなく、カルロ王(だらしないですね・・・)が負けそうなのを見ているときは、ちゃんと不安そうなトーンを入れています。女優で言ったら、棒読み状態の人とはまるで違うのです。何の指示を受けなくても、歌詞の気分に相応しい歌が歌える人です。どこが「凡庸」なのか、そういう感想をお持ちになる方の感性の方が不思議でならないのですが。

"O dio clemente m’ abbandoni or tu così?..."ここも何の指示もないのです。ですが、「こんなに祖国のために戦いたいのに、お見捨てになったままになさるのですか?」と神に呼びかけるときは、最初は強力に声を張って、「私に気づいて下さい」と言わんばかり。締めのあたりではかすかに涙声を混ぜて、今の不本意な状況の悲しさを十二分に表現しています。

"A te fidente apro il cor siccome un dì!"はこれ以上声に含めるのは不可能ではないかというほどの哀調がこもっています・・・。ここに語られていないのは、「ですから、少なくとも今の私は、悔い改めて、潔白なのですから、ここから何とか解放して下さい」ということですね。

その後、アリアに入ります。頭に"con espressione"「表情を付けて」ですね。書かれていない部分でも十分表情がついていましたから・・・。今更言われる必要もないかと。問題は、表情より、このアリアにもベタベタついている装飾です。・・・まぁ、できるところは付けて、後は無視、で行くしかなかったかと。

まず、"ma un solo istante"でクレッシェンド。"nel tuo sembiante"でまたクレッシェンド。"queto ogni desio"でまた、クレッシェンド。"pura" "ancor" "queto" "ogni"などについているちょっとした装飾は、彼女も几帳面に歌っています。ただ、最後の"palpito, che non sia volto a te"のあたりの、6連符を含む装飾は・・・省いています。しかし・・・ここ、そんなにコロコロ声を上下させることに何の意義が?むしろそちらの方が奇妙です。やはり、初期のヴェルディは、まだ、プリマのアリアには華麗な装飾をつけないと、という「お約束」に縛られていたのですね。

ジャコモが一人で歌った後、重唱になります。そこはむしろ、抑えめにする傾向の指示が多いです。"pensier non ho non ho, non palpito non ho non ho"というところが何度も出てきますが、これは皆デクレッシェンドしろと。オヤジ殿より、控えめに歌うのですね。テバルディ、全て実践しています。"che non sia volto a te"あたりは強めに歌うような指示になっていますから、ここで声を張っています。最後の締めの1小節前の小節は、出た!1小節に恐ろしい数の装飾音が詰め込まれた、楽譜の一行を使う、先生方の得意技。しょうがないと言えば言えますが、テバルディはその通り歌っていません。完全無視。

"Tu che all' eletto Sauro..."からは、しばらく指示がありません。第一声は強力。"Tu che all’ eletto Saulo, hai le catene infranto, spezza or le mie...."です。このオヤジのせいでこうなったのに、頼まないといけないの???それどころか、"Ciel! Fia ver?...Dimentico già, già d’ ogni duolo, già d' ogni duolo è il cor."の彼女の歌ときたら!何の指示もなくて、彼女は新進歌手ですよ?どうしてこんなに詰めの細かい歌を?!"Ciel! Fia ver!"は強烈に、"Dimentico già"はクレッシェンドをかけ、"gia, d' ogni duolo..."からはデクレッシェンドをかけて、最後の"il cor"あたりに来ると、非常に優しく、柔らかい調子を出しています。こういうことができる歌手は他にいないことくらい、確かめなくてももう、想像がつきます・・・。

"O padre benedicimi"からの二重唱は、相当カットされていますが、ここもやたらと高音が要求されています。2点イは当たり前、2点ロも。こんなに高音だらけの曲を何の苦もなく歌えたのに、「テバルディは高音が苦手」とかいう謬説が定着したのは、このような初期の録音が丁寧に聞かれていないせいでしょう。私の考える「全盛期」の彼女は母親が生きていた1957年くらいまでですが、その間は、こういうきついスコアの曲でも特に苦労の跡もなく歌えていたのです!

その後、彼女はあっという間に(いくら聖女でも・・・)戦場に着いてしまうので、しばらく登場しません。

結局彼女は戦いのさなかに戦死したことが伝えられ、遺体が運ばれてくるのですが、「遺体」のはずの彼女は目を開けて軍旗を求めます(!)。ここ・・・台本が・・・いかにもまずいですね。

 3. ヴェルディ 『ジョヴァンナ・ダルコ』 第三幕 "Che mai fu?"

 

"Che mai fu?"からは「レチタティーヴォ」となっています。アクセント記号などはついていたりしますが、特に目立った指示はありません。ですが、ここもテバルディが巧さを発揮しているところです。

"Oh padre!... Oh re!...Miei prodi!...Ben vi ravviso!"では、"Miei prodi!"「私の戦士達!」で声を高め、そのまま"Ben vi ravviso"を続けて、今度はデクレッシェンドしていく。"ecco le franche insegne..."も静かなまま。ところが、"la mia dov' è"は強烈。このヒロインにとって重要なのは生死をかけた戦いを共にした「戦友」と、勝利のシンボル、「軍旗」が大事なのだ、ということが嫌でもわかるように、彼女の歌は工夫されているのです。指示がないのですよ?!こういう風に歌えない歌手を現に知っていますから・・・。

"Oh la mia bandiera"にはト書きの通り、本当に恍惚としている様子が現れていますし、14秒近く、息継ぎなし。(ただの4分音譜ですが・・・。こう歌われると感慨が全く違います。どれだけ軍旗をいとおしんでいるか、4分音譜ひとつでは表せないのです。)

"S' apre il ciel"でいったんクレッシェンドし、"discende la Pia"はピアニッシモ。"che parlar mi solea dalla balza"ここもピアニッシモで、最後は"morendo"なので、消え入らせないといけません。"Mi sorride"は"-ride"でクレッシェンド。"m' addita una via"は"leggero"「軽やかに」という指示。"par che accen-(ni)"には音節ごとにスタッカート記号。ここで2点ロ♭まで上がります。テバルディの歌は、ピアニッシモの長いフレーズに敢えて起伏を付けているのと、"(ac)-cen-(ni)"の"cen"にまたベタベタついた装飾を無視している以外は、スコア通りです。

その後はしばらく彼女はお休みで、周りの連中が「行かないでくれ」と、愁嘆場。

"Ecco...nube...dorata...m'insegna"あたりからは指示がないです。彼女は一語ごとに強めています。"Oh!...l’ usbergo tramutasi in ale!..."は何の指示もありませんが、彼女はクレッシェンドをかけて盛り上げています。

その後が・・・テバルディがすでに亡き人だということを思い出してしまうと、余計に胸が締め付けられるような歌詞なのですが、"Addio, terra!...Addio, gloria mortale...alto io volo...già brillo nel sol!""Addio, terra!...Addio, gloria mortale..."には、"terra"の"-ra"にアクセント記号が付いていて、2点ト音だという特徴しかありません。むしろ、"alto io volo...già brillo nel sol!"が大変。"brillo"で、出ました、ハイC、2点ロ♭、2点ハ♭と下がってくるのです。「輝き」ですから、当然ですが、テバルディ、ここでハイCを出しているのです。だから、輝かしく聞こえるのですね。しかも、例によって、薄っぺらくない、フル・ヴォイスで。

これはもう一回繰り返されますが、ここでも彼女はハイCを決めています。「テバルディはハイCが歌えなかった」とかいうホラ話を平気でネット上に書いているお馬鹿さんがいらっしゃるのを知っていますが、そういうことは、全部の録音を確かめてから書いていただきたいものです。

彼女は「人の栄光」の世界から、本当に去ってしまいました。今は、「太陽の輝きの中」にいらっしゃるのでしょう・・・。悪意に満ちたこの頃の地上より、彼女にはそこが相応しいと思います。


次回からは、また同じ演目になりますが、スタジオ録音の『ラ・ボエーム』のシリーズに入ります。