読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1951年 『ラ・ボエーム』 スタジオ録音(4)

スタジオ録音 ラ・ボエーム

1951年スタジオ録音の『ラ・ボエーム』の音源から、第四幕の、テバルディの登場場面の音源をご紹介します。

1. プッチーニ 『ラ・ボエーム』 第四幕 "C’ è Mimì! C’ è Mimì che mi segue"


今度も主にミミのパートを追っていきます。第一声の"Rodolfo!"にはト書きで(con grande passione)「大いに情熱を込めて」という指示。テバルディは、情熱を込めなければいけないから、"-dol"あたりは声を少し大きめにしていますが、最後を消え入らせ、もう衰弱しきっているのを十分、表現しています。本当に、この役を歌うときは、1,2幕、3幕、4幕、彼女の歌はその場に応じて相応しく歌い分けられているのです。この幕のテバルディの歌は、声を張るところ以外は、「衰弱」のトーンを通しています。

次は"O mio Rodolfo! Mi vuoi qui con te?" 入りは弱めに、二つ目のフレーズは盛り上げています。「一緒に居ていい?」は、ミミが是非とも確認したい、最後の最後の願いですから。

"Mi sento assai meglio"は特に指示なし。その前のギューデンの細々しい声と、このビロードの声の違い、おわかりになりますよね?しかも、ちゃんと抑え気味に歌われています。"Lascia ch' io guardi intorno"は途中までラレンタンドで"intorno"だけ"a tempo"遅くしてきて。最後に元のテンポに戻る。うーん、ちょっと違いますね。"Lascia"はかなりたっぷり歌われていますが、後は割合早めです。

"Ah, come si sta bene qui!"にはト書きで(con dolce sorriso)「優しい微笑みと共に」とあるだけ。ですが、テバルディはやはり、見当違いに明るい声は出しません。それでも、フレーズの最後にクレッシェンドを付けています。次の"Si rinasce, si rinasce, ancor sento la vita qui..."を盛り上げたいから、その方がスムーズに移れるのですね。次にどういう歌を歌うか、先に考え抜いた上で歌われるのもテバルディの歌の特徴で、だから、聞いたとき、ぎくしゃくしないのです。その"Si rinasce, si rinasce, ancor sento la vita qui!"は大変な盛り上がりで、最後の最後で消え入ります。「命がよみがえるようだわ」だし、デュエットになるので、ここまでも弱々しく歌うのは、歌詞と矛盾してしまう上、相手に消されます。最後に消え入らせているのは、やはり次のフレーズになめらかに移行するためです。

"No, tu non mi lasci più!"は重唱ですが音高が高く書かれているので、弱音でも聞こえるのでしたね。(これでも弱音なのです。前の"Si rinasce"と比べればわかりますね。)ここで弱音にするから、前のフレーズを消え入らせたのです。本当に、考え抜かれた歌なのです。

"Ho tanto freddo!" "Se avessi un manicotto!"は、ライブのように声を震わせてこそいませんが、「寒い」というニュアンスが十分伝わるようなトーンを付けています。次の"Queste mie mani riscaldare non si portanno mai?"はピアノ。ずっと2点ニ音のまま"potra-"まで歌うのでした。このときは"riscaldare"と"si potranno mai"を強めに歌って、単調な歌になるのを回避。極力、音価の長く与えられた単語に強調をつけて、スコアから外れすぎず、それでも単調にならないように工夫されているのです。

前のフレーズの後で咳き込むミミ。なので、次は"Ho un po' di tosse. Ci sono avvezza."には指示なしですが、ここをあっさり歌うのはライブの時と同じです。「大したことないわ、慣れてるから」と安心させようとすることで、このヒロインの健気さが伝わって、聞き手は更に痛ましく感じる・・・。何の配慮もない歌手だったら、こうは聞こえないはずです。

次は一同に"Buon giorno"と挨拶するところ。また声がはっきり「衰弱」を表していながら、その範囲内で極力明るめに歌って、愛する人の友人達に親しみをこめて接する。これがまた、健気で痛ましいのですね。

"Tutti qui, tutti qui, sorridenti a Mimì"ここの見事さは、特筆に値する、と思います。彼女は意図的に最初の"Tutti qui,"を大きめに歌います。(指示のないところです)次の"tutti qui,"でガックリ弱くなり、 そして、"sorridenti a Mimì"に入る前に、本来恐ろしいくらい息の長いテバルディは、意図的に大きく息を吸って、苦しげな様子を表し、最後のフレーズは非常に弱々しい。こう歌うことによって何が現われるか。このヒロインは、もう長いことない、ということです。重篤な病気の人が、すたすたと歩けないように、彼女の歌からは、まるで、よろめきながら歩いてきて、ついに座り込んでしまった瀕死の人が見えてくるようなのです。最初は大きく踏み出すけれど、力が抜け、壁にもたれ、やがて、座り込む。そんな調子です。こんなに緻密な歌を他の誰が歌えるのでしょう?

"Parlo pian. Non temere."は、これも意図的に音程をわずかだけ不安定にして、衰弱が極限に来ていることを表しています。ここまでしているのに、「テバルディはただ美声で歌っていただけ」なのでしょうか???

ムゼッタと喧嘩中のマルチェッロに、ムゼッタが親切にしてくれたことを是非とも伝えようという"Marcello, date retta, è assai buona Musetta." "buona"が強調気味に聞こえるのは音高が上がっているからです。ただ、"Marcello date"まではラレンタンド、"buona Musetta"から"poco rallentando"。少々指揮のテンポがせっかちなので、たっぷり歌えていませんが、"date retta" "buona"を強調して、ムゼッタがいかに親切で、本来善良な女性か、どうしても伝えておきたい、というミミの気持ちが明確に伝わってきます。ですが、テバルディは声の調子で、同時に、疲労しているのもわかるようにしています。次のフレーズと比べるとはっきりします。

"Tu non mi lasci?"(指示なし)。割合強いです。「最後の望み」なのだとムゼッタにもわかるくらいに聞こえなければいけないから、これまで弱々しくてはまずいからです。

ここも名場面である、と言いきって良いと思います。

2. プッチーニ 『ラ・ボエーム』 第四幕 "Sono andati"

 

"Sono andati?"は"con grande espressione"「大いに表情を込めて」。巨声のテバルディが、極力静かに歌っているのがわかります。"Fingevo di dormire"と"Perché volli con te sola restare"は透明に、やはり、極力静かに歌われています。

"Ho tante cose che ti voglio dire"の"tante"が強調気味なのは音高が上がるからでした。でも、ただ高くしただけではこうは聞こえないでしょう。テバルディは強勢も付けて、強調しているのです。「(言いたいことが)沢山」あるからです。"o una sola, ma grande come il mare"は逆にずっと低音域のフレーズ。指揮のテンポもありますが、ゆっくり、じっくり、一言一言かみしめるように歌われています。低音が良く響くテバルディですから、聞きづらい思いをすることなく、聞くことができます。

"Come il mare profonda ed infinita"1点ハから始まって、急に2点音域すれすれの所を歌うという所です。"profonda ed infinita"が強めに聞こえるのは音が上がるにつれ、彼女が声を強めているからです。歌詞の意味も重要ですし、これも、次になめらかに続けるための工夫です。"Sei mio amor e tutta la mia vita"ではオケがフォルテで、"amor"は2点ト音に上がり、"mia vita"は"mia"が2点ロに上がります。ヴォーカルスコアに強弱記号がなくても、テバルディはここでは声を張ります。このときの録音の特筆すべき所は、「目一杯声を張っているけれど、衰弱しているから、無理をしている」という感じまで入っていることです。その前の幕までは高音も難なく出していましたから、(私は運転しないので余り詳しくないですが)ギアを落としつつ、そこで目一杯スピードを上げているような感覚なのです。これは、今回初めて気がつきました。ここで声を張るのは、いわば、これがミミの「遺言」だからですね。

次は同じ歌詞の繰り返しですが、こちらはピアノで"dolcissimo" "sostenendo"の指示。弱めて、優しく、丁寧に延ばして歌う。その通り、弱音に落ちて、(ピアノかどうかは・・・微妙ですが)"Sei mia amor"あたりに甘いトーンが入っています。"tutta" "vita"はキーワードなので強調。テンポはかなりゆったりしています。

ライブの時聞き取りづらかった"Son bella ancora?"の明るいトーンは、スタジオだけにはっきりわかりますね。なぜそうするかはライブの時書きましたが、テバルディくらいの世代の女性にとって、「美しい」と言われることは、女としてはとても嬉しいことだから、という自然な反応を示しているのです。でも、これができない「女性」歌手は現にいるのです・・・。

"Hai sbagliato il raffronto, volevi dir bella come un tramonto." "volevi dir"は"poco animando"。「少し活気づいて」。瀕死の女性に活気づけというのも変な感じがしますが、ちょっと冗談交じりに「あなたは間違えたわよ」とお咎め、するからですね。テバルディも少々強めに歌っています。でも、このお咎めの内容は痛ましいのですよね・・・。もう自分は終わりだとわかっているのだ、とはっきり言っているのですから。"bella come un tramonto"は"poco rallentando"。「少々遅くしつつ」。この辺全体、テンポが遅いので、特にテンポの変化は目立ってはいません。悲痛な歌詞を、テバルディは悲しげなトーンを入れて、消え入るように締めます。

その後の、初めての出会いの時の回想部分。"Mi chiamano Mimì"自分の自己紹介の文句を思い出す彼女。一度目はメゾ・フォルテで、"più sostenuto"「極力音価を保って」、更に"chiamano Mi"までクレッシェンドでその後デクレッシェンド。彼女としてはこのくらいがメゾフォルテなのでしょうね。フォルテが途方もない声ですから・・・(苦笑)。強弱の変化はスコア通りです。

もう一度同じ歌詞。厄介な"come eco"「こだまのように」が出ます。そしてピアニッシモ。"Mimì"は"molto rallentando"「かなり遅くして」。同時に"Mi"を頂点にクレッシェンドとデクレシェンドの指示も。こだまのようかどうかは微妙ながら、テバルディはしっかり弱音に落とし、クレッシェンドとデクレシェンドを実践。ここはブレスなしですが、12秒ちょっとなので、テバルディにとっては余裕なのです。(最長15秒というのがある、と何度か書きましたね。)ですから、歌い終わりに大きく息を吸うのは、「効果音」です。本当は弱っていて、苦しい、というのを出しているのですね。

"il perché non so" "non"はスタッカート。ここはライブの時もそうでしたが、テバルディは意図的に不安定に歌っています。もう命の終わりが近いのだということが、嫌でもわかります。

次の"La mia cuffietta, la mia cuffietta!"はト書きで(gaiamente)「非常に陽気に」。思い出のボンネットを発見した喜びを、このときもテバルディは雄弁に歌い出します。ちゃんと、弱っているという抑制をつけた上で。弱っているのに、声に喜びのトーンを入れる。これだけ微細な表現は、実力不足の歌手にはなかなかできないのです。

"Ah"(ポルタメントではないけれど、彼女はポルタメント気味にするのが常でした。)を維持してから、(何と美しい!)"Te lo rammenti quando sono entrata prima volta, là?"このあたりは指示なし。ここも弱っているけれど、明るいトーンが入っています。スタジオなので、はっきり聞こえます。

"il lume s' era spento. E a cercarla tastoni ti sei messo"はライブの時と同じで、明るいというより懐かしげなトーンを入れています。

"Mio bel signorino, posso ben dirlo adesso"はト書きで(graziosamente)「愛らしく」。更に"Mio bel signo-"までリタルダンドで、"-rino"で"a tempo"。ここまでは弱っている様子ながら、本当に日没の明るさが感じられるようです。次の"lei la trovò assai presto"は"con grazia"「優しさを込め」とラレンタンドの指示。むしろ、ここでは、少々悲しげです。

"Era buio, e il mio rossor non si vedeva"は指示なし。ここも最後の二音以外は4分音符の連続ですので、テバルディはライブの時と同じで、"buio" "mio rossor" "si vedeva"などに独特のリズムを付けて、機関銃にはしていません。

ロドルフォの言葉を回想する次のフレーズ。"Che gelida manina, se la lasci riscaldar"には"dolcissimo"の指示。最初の"Che gelida manina"はごく、ごく弱く、次は少し声を強めて、甘美なトーンを入れています。次"Era buio, e la man tu mi prendevi"最後の"-devi"がラレンタンド。非常にゆっくり、たっぷりと歌われています。思い出にゆったりと浸るように。最後の最後は消え入らせます。

一度咳き込んでからの、"Nulla, sto bene"は"rallentando molto"で"quasi a piacere"テンポを遅くし、あとは「大体随意に」。テンポはやはり、ゆったりのままです。ライブの時のように、"Nulla"を強めに歌って、周りの人を安心させようとするのが・・・健気で哀しい。

"Sì, sì perdona. Or sarò buona"は"poco rallentando"「少々遅くして」。ここはむしろ、早まっていますね。ただ、2度目の"sì" と"perdona"を非常に弱音にしています。「衰弱」の調子を通すのを忘れるどころか、極力それを表すべき箇所で表しているのです。

ムゼッタに綺麗なマフをもらうところ。"Oh! come è bello e morbido, non più, non più, le mani allividite, Il tepore le abbellirà. Sei tu che me lo doni?"全体としては頭にラレンタンドの指示のみですが、フレーズごとに休符が入っていて、途切れがちに聞こえるようなスコア。

"Chi parla?"は指示なし。、テバルディはライブの時と同じように、少々だるそうに、そして、このときはうつろな感じも入れて、ゆっくり歌っています。"Oh! come e bello e morbido"は、このときは、"Oh"に感激がこもっています。"morbido"には本当に「柔らかくて心地良いわ」というトーンが入っています。"non più, non più, le mani allividite, Il tepore le abbellirà"では"mani allividite"と"tepore"が強調されています。とにかく、「温かくて」、今の彼女にはありがたいのですね。

"Sei tu che me lo doni?"にはテヌート記号がついています。ですから、じっくり歌われています。"Tu! Spensierato! Grazie. Ma costerà."では最後の歌詞に苦しげな調子がついています。

"Piangi? Sto bene. Pianger così, perché?"。"Pianger così..."はラレンタンド。その通り、かなりテンポが落ちています。やっと話しかけている、という調子です。

"Qui, amor...sempre con te! Le mani"までは"con voce debolissima...sempre più affievolendosi"(弱り切った声で...どんどん弱めながら)。 今までも相当弱々しく(本来、こういう声の人ではないのは言うまでもありません)歌ってきたので、ここで更にそうしているという感じはあまりないですね。最後の"al caldo... e... dormire..."は"molto rallentando"「大変遅くしていきながら」。更に休符でほとんど単語ごとに切れ切れになっています。テバルディの場合「音譜にすがりつくように」終わるんでしたね(苦笑)。このときもそうしています。

わざとなめらかに歌わない、ただ、弱音で通すわけではない、テバルディは考え抜いた上で、それであげられる最大の効果をあげているのです。それが、このヒロインの最後の姿を彷彿とさせる。歌声だけで場面を描き出せる歌手・・・。まだ30歳前なのに・・・。テバルディは間違いなく、天才だったのです。


これでミミのパートは終わりなので、他のパートの方々には・・・申し訳ないですが、これでこの録音の鑑賞録も打ち止めに致します。

セラフィン盤のテバルディは何度となく聞きましたが、ここまで細かく聞いていません。あの時点でこれだけのことをする余力が残っていたかどうか・・・。もしかしたら、できなくなっていることもあるかもしれません。このモノラル盤には確かにキャスティングなどでステレオ盤に劣る部分がありますが、じっくり聞かないのは勿体ない、若きテバルディの名唱の貴重な記録です。


次回はすんなり、同日収録(!)の『蝶々夫人』に進もうか、と思いましたが、ちょっとだけ、微細に鑑賞して確認したい歌手がいますので、ある歌手のミミの歌唱を。