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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

『ラ・ボエーム』 聞き比べ(2)

スタジオ録音 ラ・ボエーム

始めにご連絡★ 最近、YouTubeの動画投稿者が増えているらしく、処理に時間がかかっているようです。私はスタート画面(サムネイルといいます)に必ず歌っている歌手の写真(なるべく写りの良い物)を選んで、それを指定しているのですが、反映まで2日から3日かかるようになっているのが現状です。こちらに字幕スーパーの画面で表示されていても、しばらく経てば変更が反映されるはずですので、ご了承下さい。

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さて、テバルディとヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスのミミの比較シリーズ第二弾です。こういうのは面白くないという方も、これで終わりですので、ご辛抱を。

今回比べるのは第四幕の二つのシーンです。今回も、ミミ以外のパートの人が長めに歌うところは極力削除して動画を作りました。

1. プッチーニ 『ラ・ボエーム』 第四幕 "Rodolfo!"


まず、ムゼッタが来るところから始まるのですが、ばっさりカットしました。ロドルフォが水を求めた後の、ミミの第一声から。

"Rodolfo!"にはト書きで(con grande passione)「大いに情熱を込めて」という指示。テバルディが"-dol"あたりは強くするけれど、最後を消え入らせていること、今までの幕とは別人になったように弱々しい調子で歌っていることは既に書いたとおりです。

次は"O mio Rodolfo! Mi vuoi qui con te?" テバルディの場合、入りは弱めに、(声を震わせてさえいます)が、"Mi vuoi qui con te?"は強力に歌うのでした。

では、ロス・アンヘレス。ちょっと「情熱」が入りすぎて、「元気」の域に達していると思いませんか?テバルディがブレーキをかけながら、その中で目一杯を成し遂げているのとは違うのです。

次のフレーズも強力なままです(!)「階段も上りきれないほど弱っている」のに???彼女の声が震えているのは、意図してそうしているからではなくて、「リリコ・スピント」ではないからです・・・。「リリック・ソプラノ」はどうしても非力で、テバルディのような声が張れないのです・・・。

"Mi sento assai meglio"は特に指示なし。テバルディは抑え気味に歌い、"Lascia ch' io guardi intorno"は途中までラレンタンドで"intorno"だけ"a tempo"遅くしてきて。最後に元のテンポに戻る。その通りにはなっていません。"Lascia"がたっぷり歌われ、後は割合早めなのでした。

ロス・アンヘレスも同じような調子ですね。ただ、"Lascia ch' io guardi intorno"のテンポは、ロス・アンヘレスの方が適切だと思います。

"Ah, come si sta bene qui!"にはト書きで(con dolce sorriso)「優しい微笑みと共に」とあるだけ。テバルディは敢えて明るい声は出さない。(第一幕とは違うのです。)そして、最後に少しクレッシェンドをかけて、次の"Si rinasce, si rinasce, ancor sento la vita qui..."につなげるのでした。そこは強力に盛り上げ、最後の最後で消え入らせ、次の"No, tu non mi lasci più!"を弱音に。

ロス・アンヘレス。ここはどのソプラノも声を張るようですね。力の差はもう、指摘するまでもないかと。"Rinaaaaaaaaaasce"と歌うとき、声が震えてしまうのです。他の表現はほぼテバルディと同じです。

"Ho tanto freddo!" "Se avessi un manicotto!"。テバルディは、はじめの二つのフレーズに「寒い」というトーンを付け、次の"Queste mie mani riscaldare non si portanno mai?"はピアノでずっと2点ニ音のまま"potra-"まで歌うので、"riscaldare"と"non si potranno mai"を強めに歌って、単調な歌になるのを回避していました。"Taci! parlar ti stanca"とロドルフォが歌っている間、彼女が咳き込んでいるのは、ト書きにそうあるし、次の歌詞に無理なくつなげるためです。"Ho un po' di tosse. Ci sono avvezza."には指示なしですが、ここをあっさり歌って「大したことないわ、慣れてるから」と安心させようとするのでした。

ロス・アンヘレス。ここはテバルディと大いに違います。"Ho tanto freddo!"は寒そうではないです。"Se avessi un manicotto!"はむしろ、「手に入らないかしら?」という懸念が表われている調子。寒い、というのとは違いますね。"Questo mie mani riscaldare non si potranno mai?"は"non"まで一本調子です。"si potranno mai?"は気持ちが入っていますが、前半が寒そうではなかったせいで、「是非ともマフを手に入れたい人」のように聞こえてしまうのですが・・・。咳は、この幕は特に、彼女は極力しないようにしています。そこが、また、全力投球のテバルディと違って聞こえます。"Ho un po' di tosse. Ci sono avvezza"は綺麗に、ゆっくり歌われています。テバルディがわざと素っ気なく歌っているのと違って。素っ気ない方が、「気にするようなことじゃないのよ」という風に聞こえませんか?べったり歌っているので、そういう感覚が伝わりません。

次は一同に"Buon giorno"と挨拶するところ。テバルディの場合、また声がはっきり「衰弱」を表していながら、その範囲内で極力明るめに歌って、愛する人の友人達に親しみをこめて接する。これがまた、健気で痛ましいのですね。

"Tutti qui, tutti qui, sorridenti a Mimì"は最初の"Tutti qui,"を強めに(指示なし)次の"tutti qui,"はずっと弱く落とし、"sorridenti a Mimì"に入る前に、大きく息を吸って、苦しげな様子を出していたのでした。"Parlo pian. Non temere."は、意図的に音程をわずかに不安定にして、「衰弱」を表現。これだけコントラストを付けると、どういう効果が生まれるかについては、鑑賞録の方で書きましたので、繰り返しません。このヒロインはもう長くない、と、わかるような歌だ、ということです。

ロス・アンヘレスの"Buon giorno, Marcello,..."は余りにもなめらかに、綺麗に歌われていて、瀕死の人だという悲壮感がまるでありません。それと、この方の特徴ですが、"k"の音が時々濁って、"g"のように聞こえるのです。ですから、ここも「コッリーネ」が「ゴッリーネ」のように聞こえます・・・。

"Tutti qui, tutti qui, sorridenti a Mimì"は、最初の「トゥッティ」の二重子音が抜ける、彼女には珍しいミス。全体になめらかすぎ、最後は可愛くさえある・・・。もうすぐ死ぬという悲痛な感覚がない歌なのです。とにかく、この幕の彼女は明るすぎて、これが悲劇のヒロインなのだろうか?と首をかしげたくなるのです。"Parlo pian. Non temere"も可愛すぎるのでは?

本来のムゼッタが善人だとはっきり言いたい"Marcello, date retta, è assai buona Musetta." "buona"が強調気味に聞こえるのは音高が上がっているからです。ただ、"Marcello date"まではラレンタンド、"buona Musetta"から"poco rallentando"。テバルディは"date retta" "buona"を強調した上、疲労のトーンを入れているのでしたね。

ロス・アンヘレス。"date"が「ダーテ」ではなくて、「ダテ」になってしまっています・・・。こういう所で、イタリア語のミスが入ると、歌の印象が台無しになるのですが・・・。彼女の"buona"はそこだけがくっきり目立つように特に強く歌われています。これは好みの問題でしょう。

"Tu non mi lasci?"(指示なし)。テバルディの場合強めに歌われていましたね。「最後の望み」なのだとムゼッタにもわかるように、です。ロス・アンヘレスは強くはしていませんが、指揮のテンポもあり、ゆっくり、じっくり歌っています。それも一つの強調法ではあるでしょう。これも好みの問題です。

 

2. プッチーニ 『ラ・ボエーム』 第四幕 "Sono andati"


"Sono andati?"は"con grande espressione"「大いに表情を込めて」。テバルディは"Fingevo di dormire""Perché volli con te sola restare"まで、本当に力の抜けた、静かな声で歌います。

"Ho tante cose che ti voglio dire"の"tante"は音高が上がるのに合わせ、強調。"o una sola, ma grande come il mare"は逆にずっと低音域のフレーズ。ゆっくり、丁寧に歌う。

ロス・アンヘレス。最初から・・・。"andati"が「アンダーティ」ではなく、「アンダーディ」になっています・・・。彼女の歌を聞くと、悲しげには聞こえますが、「衰弱」というニュアンスが聞き取れないのです。また、"con" "che" "come"の"k"の音が濁って聞こえます。

"Come il mare profonda ed infinita"1点ハから始まって、急に2点音域すれすれの所を歌うという所です。テバルディは"profonda ed infinita"で音が上がるにつれ、声を強め、"Sei mio amor e tutta la mia vita"ではオケがフォルテで、"amor"は2点ト音に上がり、"mia vita"は"mia"が2点ロに上がるので、ここも声を張ります。ただし、抑制をかけた上で、でした。

同じ歌詞の繰り返し部分はピアノで"dolcissimo" "sostenendo"の指示があり、弱めて、優しく、丁寧に延ばして歌わなければならない。テバルディはピアノかどうかは微妙ながら、弱音に落とし、"Sei mia amor"を甘口に歌います。"tutta" "vita"は強調気味。

ロス・アンヘレスの場合、"Come il mare"の歌い方はほとんどテバルディと同じです。テバルディの方が"infinita"をもう少し強く歌ってはいますが。次の声を張る部分。"Sei mio amor e tutta la mia vita"ですが、これは・・・。別にレガートで続けろとはスコアに書かれていませんので、構わないのですが、テバルディは、"Sei mio amor"の後に一度ブレスを入れただけで、後は一息で歌っています。ロス・アンヘレスは、"Sei mio amor" "e tutta" "la mia vita"と二度、ブレスを入れているのです。表現でそうしたのかどうかはわかりませんが、"tutta"のあとで歌がブッツリ切れているのは、私にはあまり好もしく聞こえなかったのですが・・・。

同じ歌詞をもう一度。"tutta"を強調している(ほとんど、しすぎているくらいの)テバルディと比べると、余りにもロス・アンヘレスの歌は平坦で、綺麗すぎる。テバルディがここをわざとでこぼこさせて歌うのは、苦しいのをこらえているという表現の一つだったことが、アンヘレスと比べると、はっきりわかったのです。なめらかに歌いすぎると、瀕死の人らしい不安定さが出せない。改めてテバルディの巧さに呆然としました。

次、"Son bella ancora?"テバルディは、「美しい」と言われて嬉しいという、明るいトーンを、衰弱した声の中に混ぜる。("Son"は良く聞くと、震えが入っているのです。)

"Hai sbagliato il raffronto, volevi dir bella come un tramonto." "volevi dir"は"poco animando"。「少し活気づいて」ですが、テバルディは、特に活気づいているという感じは入れず、もう自分は終わりなのだ、という自覚を、悲しげなトーンで通して、歌い出すのでした。

ロス・アンヘレス。彼女もさすがで、ちゃんと"Son bella ancora?"という歌詞に反応して、嬉しさを出してはいますが、"ancora"がまた「アンゴーラ」のように聞こえるのでがっくり。"Hai sbagliato raffronto"は彼女も活気づいてはいませんね。"bella come un tramonto" は彼女も声を消え入らせる、ということをやっています。ただ・・・悲痛な感覚、悲壮感がないのはなぜなのでしょう???微妙な声色の入れ方の違い、としか言いようがありません。

その後は初めての出会いの時の回想部分。"Mi chiamano Mimì"一度目はメゾ・フォルテで、"più sostenuto"「極力音価を保って」、更に"chiamano Mi"までクレッシェンドでその後デクレッシェンド。テバルディはメゾ・フォルテにしては大きめに歌っていましたが、このシーンをでこぼこに歌うのが意図したことだとわかったので、納得。弱っているので、テバルディはわざと、なめらかに歌わないのです。

もう一度同じ歌詞。"come eco"「こだまのように」の指示。そしてピアニッシモ。"Mimì"は"molto rallentando"「かなり遅くして」。同時に"Mi"を頂点にクレッシェンドとデクレシェンド。テバルディはしっかり弱音に落とし、クレッシェンドとデクレシェンドを実践。わざと歌い終わりに大きく息を吸って、「苦しい」、というのを出していました。"il perchè non so" "non"はスタッカート。テバルディは意図的に不安定に、声を震わせながら歌います。「衰弱」の極限を表現するために。

ロス・アンヘレス。彼女の方が、2度の"Mi chiamano Mimì"の強さはスコアに忠実です。ですが、「キアーマノー」で又しても「ギアーマノー」に聞こえるのはいただけません。更に???なのは、"Il perchè, non so."でほとんど嬉しそうに歌っていること。弱音にしているのはわかります。ですが、もうすぐ死ぬのを自覚している人の歌にしては、お気楽すぎないでしょうか?

次の"La mia cuffietta, la mia cuffietta!"はト書きで(gaiamente)「非常に陽気に」。思い出のボンネットを発見したので、テバルディはフレーズの前に"Ah!"という声さえ入れています。ちゃんと、弱っているという抑制をつけた上で、声に喜びのトーンを入れています。

"Ah"(ポルタメントではないけれど、彼女はポルタメント気味にするのが常でした。)を非常に弱音にして十分維持してから、"Te lo rammenti quando sono entrata prima volta, là?"「衰弱」の調子を通しつつ、明るいトーンを入れています。

"il lume s' era spento. E a cercarla tastoni ti sei messo""-stoni ti sei"まで"poco rallentando"で"messo"が"a tempo"。"Mio bel signorino, posso ben dirlo adesso"はト書きで(graziosamente)「愛らしく」。更に"Mio bel signo-"までリタルダンドで、"-rino"で"a tempo"。"lei la trovò assai presto"は"con grazia"「優しさを込め」とラレンタンドの指示。テバルディは、少し明るめに、しかし、極力弱音で、しかも、各フレーズの終わりを消え入らせています。これが、悲しげで、弱って聞こえます。

残念ですが、ここのロス・アンヘレスは喜びすぎです。全体に余りにも明るくて、活気がありすぎる。勿論、ト書きはそうなっていますが、これだけやってしまうと、元気な女性が静かに歌っているだけ、に聞こえてしまうのです。そして、"la mia cuffietta, Ah---"の"Ah---"の歌い方で2人の違いが歴然。テバルディはこれ以上は無理、というほど弱音に落としてそのまま維持。アンヘレスは「クレッシェンド」をかけて、手短に終わらせているのです!ト書きを守りすぎて、瀕死の女性を表現するのを忘れているのです・・・。

"Era buio, e il mio rossor non si vedeva"は指示なし。ここも最後の二音以外は4分音符の連続ですので、テバルディは、"buio" "mio rossor" にリズムを付けて、つまらなくならないよう配慮。最後の"vedeva"はやはり消え入らせています。

ロス・アンヘレス。彼女もさすがに、"buio" や "rossor"をたっぷり歌って、単調になるのは避けています。もともと、詰めの甘い歌手ではないはずだから、比較の対象として選んだのですから。しかし、"vedeva"を消え入らせよう、とまでは配慮できなかった・・・。

次はロドルフォの言葉の回想。"Che gelida manina, se la lasci riscaldar"には"dolcissimo"の指示。テバルディの歌。"Che gelida manina"は非常に、非常に弱いです。次の"se la lasci riscaldar"で声を強め、しかも、甘いトーンを入れている。次"Era buio, e la man tu mi prendevi"最後の"-devi"がラレンタンド。ゆっくり、懐かしげに歌いつつ、ここでも最後を消え入らせます。

次はかなり本気モードで咳き込んで、ロドルフォが"Oh dio!"と慌てるのが当然と思えるように聞かせています。本当に見上げた歌手魂。"Nulla, sto bene"は"rallentando molto"で"quasi a piacere"テンポを遅くし、あとは「大体随意に」。"Nulla"を少々強めて、「心配要らないから」と強いて安心させようとする。

"Sì, sì perdona. Or sarò buona"は"poco rallentando"「少々遅くして」。遅くはなっていませんが、テバルディは二度目の"sì" と"perdona"をごく弱く歌って、実は心配要らないどころではないのを表現。

ロス・アンヘレス。前までのフレーズで元気になりすぎたけれど、ここからは弱っている調子を出しています。ただ・・・彼女は咳き込むところで息を大きく吸い込む音を入れているだけ。「声は痛めたくありません!」じゃ聞いている方も「あ、その程度の職業意識?」と思ってしまいます。

それから、ここの部分も、他の部分もそうなのですが、この幕の彼女の声はほとんどが、綺麗に、むしろ明るいトーンで歌われているのです。声が楽しそうに聞こえませんか?とびきり陽気、というのとは違いますが、もうすぐ自分が死ぬのを自覚している人にしては悲しみの調子が圧倒的に不足しています。そうすると、聞いている方も「可哀想」という気持ちが湧かなくなってしまうのです。

ムゼッタにマフをもらうところ。"Oh! come è bello e morbido, non più, non più, le mani allividite, Il tepore le abbellirà. Sei tu che me lo doni?"全体としては頭にラレンタンドの指示のみですが、フレーズごとに休符が入っていて、途切れがちに聞こえるようなスコア。

"Chi parla?"は指示なし。テバルディはだるそうに、うつろな感じも入れているのでした。もう、誰が話しているのかわからないくらい、感覚が麻痺してきているのです・・・。"Oh! come e bello e morbido"は、このときは、"Oh"と"come bello"を強調。"morbido"には柔らかくて心地良いというトーンを入れ、"non più, non più, le mani allividite, Il tepore le abbellirà"では"mani allividite"と"tepore"を強調。"Sei tu che me lo doni?"にはテヌート記号がついているので、極力弱いながらしっかり歌う。

ロス・アンヘレス。"Chi parla?"は弱いですが、特に何かトーンは入っていません。その後のフレーズは、ほとんど単調です。"Oh"は感嘆詞なので強いのは当たり前。そのほかの語に強調を入れる、などの工夫がないからです。"Sei tu che me lo doni?"だけ、なぜか強めに歌われている・・・。本当に「マフが欲しい人」なんですよね・・・。

"Tu! Spensierato! Grazie. Ma costerà."のテバルディの歌は意図的に不安定にされていて、最後は苦しげな調子がついている。"Piangi? Sto bene. Pianger così, perché?"。"Pianger così..."はラレンタンド。"così, perché"あたりに、特に苦しそうなトーンが入っています。

ここの、ロス・アンヘレスは・・・。又しても明るくて綺麗です。もうすぐ死ぬんですがね・・・。まるで、嬉しいみたいです。

"Qui, amor...sempre con te! Le mani"までは"con voce debolissima...sempre più affievolendosi"(弱り切った声で...どんどん弱めながら)。 テバルディの場合、ずっと極力「衰弱」を出してきたので、ことさらここでそういうことをしているという感は、ないのでした。最後の"al caldo... e... dormire..."は"molto rallentando"「大変遅くしていきながら」。音譜に「すがりつきながら」死んでいくテバルディのミミ。

ロス・アンヘレスは、何度も書きましたが、決して詰めの甘い歌手ではありませんでした。ですが、テバルディと比べると、悲壮感や、悲哀感が不足した歌に聞こえるのです。むしろ、彼女の方が「綺麗に歌うだけの歌手」に聞こえませんか?音高を律儀に守ったまま、消え入るように死んでいく。一方、テバルディは意図的に強弱をでこぼこさせたり、音の高さを変えたりしてまで、死に際の不安定さを出しているのです!楽譜通り歌うという他に、ヒロインの心に入り込み、彼女がいるその場の情景を描き出すだけの想像力がないと、そこまでできないのです。

ミミは、愛する人のそばで安心して、心楽しく死んだのでしょうか?私はそうは思いません。もっと生きていたかったはずです。愛する人を目の前にしているのに、死ななければならないのがわかっている。その悲しみ・辛さを十二分に表現できた人、それがテバルディだったのです。

テバルディはまさに"Io son l' umile ancella"を実践しただけです。でも、これ程見事に実践することは、ハイレベルな歌手達の中でも、選ばれた人にしかできないことだったのです。「綺麗事の歌を歌う、うわべだけの歌手」という聞き飽きるほどのテバルディへの批判の常套句がいかに悪意に満ちた「デタラメ」でしかないか、この録音を聞いただけでもわかるのです。


次回は、最近手に入ったので、急遽、1946年のスカラ座再開コンサートでのテバルディの歌唱をご紹介します。(出番は少ないんですが・・・)