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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1951年 『蝶々夫人』 スタジオ録音(3)

スタジオ録音 蝶々夫人

1951年のスタジオ録音『蝶々夫人』から、テバルディの出演部分を主にご紹介しています。

1. プッチーニ 『蝶々夫人』 第二幕 第一部 "Ora a noi"


邪魔がやっといなくなって、シャープレスが本題に入れるところです。

入りには特に指示はありません。テバルディは極力弱音で、優しい愛情を込めて歌い出していますね。"Dice proprio così?"にも指示はありませんが、テバルディの声は弾んでいます。自分が褒めて書かれているとわかったのに、ここを無感動に歌う歌手がいたら・・・。能力ゼロですね。"Taccio taccio, più nulla."も指示なし。叱られた子供のように小さくなっているのがわかります。やはり詰めの細かいテバルディ。しかも、自然で、わざとらしく可愛い娘ぶっているという感じがない。そこが重要なのです。

「いちいち遮るな」と言われたのに、ピンカートンも別れてからの年月を知っていたとわかって、思わず"Anche lui ha contati."これも指示がありません。テバルディは控えめにですが、感激のトーンを混ぜています。

そこから、手紙の風向きが変わります。「もう彼女も僕を覚えていないでしょう」つまり、ピンカートンが年月を数えていたのは、「そろそろなかったことにしてもいい頃だろう」という考えからだったのです。「時効」ということですね。蝶々夫人の思いとはかけ離れていたのです。

そこまで深読みできたとは思えませんが、彼女はショックを受けます。"Non lo rammento? Suzuki dillo tu! "Non mi rammenta più"..."ここも指示なし。覚えていないなんて、彼女にとってはあり得ないことですから、意外な言葉に傷ついたのを表すため、テバルディは涙声に。ト書きにもありますしね。

「もしまだ愛しているなら・・・」(ピンカートンの本心としては、「それほど勘の悪い女なら」、もう戻るつもりはないのだから、はっきりそれを悟らせておいて下さい、とシャープレスに頼んでいるのですね。)なのに、まるで勘違いしてその言葉を受け取る蝶々夫人。"Oh le dolci palore, tu, benedetta!"ここも指示はありませんが、テバルディは声量を上げ、感激しているのを隠そうともしない様子を出しています。

「準備させておいて欲しい」というのを、「自分の所に戻ってくるから」と解釈した(・・・人の話は最後まで聞きましょうよ)蝶々夫人は、"Ritorna? Quando? Presto, presto!"と、催促。ここも指示はありませんが、テバルディのトーンは、本当に早く知りたい、という期待と願望に溢れています。

まるでわかっていない相手に困惑しきったシャープレス、多分もっと残酷なことが書かれている手紙の残りを読むのをやめてしまいます。そして、はっきり言います。「もし、ピンカートンが戻ってこなかったら、どうなさるつもりですかな」と。

"Due cose, potrei far, tornar"までは特に指示はありませんが、ト書きにあるとおり、彼女にもついに真実の一端が見え始めるのですね。「死の打撃を受けたように」ですし、ここをプッチーニは休符を置いて切れ切れに歌わせるようにしていますから、テバルディはその通り歌い、かつ、ショックを受けて弱った声で何とか言うことを言っている、という調子です。

"a divertir la gente col cantar"は"la gen-"を頂点にクレッシェンドとデクレシェンドの指示があります。テバルディの歌はその通り。もう一つの選択肢、"oppur, meglio, morire"は特に最後の"morire"が1点ニ音まで下がりますので、低音の出ない歌手には辛いでしょう・・・。テバルディの低音は十分出ています(強めているくらいですね)し、この上なく暗いトーンと涙声が混ぜられています。内容からして当然ですが、指示はないのです。

「ヤマドリの妾になっては」という趣旨のシャープレスの言葉は、彼女にとっては屈辱的で、許しがたい。なので、"Voi, voi signor, mi dite questo, voi"ここも指示がありません。ちょっと最初の"Voi"が弱すぎたかもしれませんが、こんなことを言われるとは思っていなかったので、非常にショックを受けたというのを出すために、弱く入ったのかもしれません。だんだん声を大きくして、相手をとがめる調子になります。

"Qui Suzuki, presto, presto, che Sua Grazie se ne va."は最初強烈に、"se ne va"は意図的に静かに歌っています。その方が、暗い恨みの気持ちが入りますよね・・・。本当に詰めが細かい・・・。次の"Ve ne prego: gia l' insistere non vale"はト書きでは、「蝶々夫人、後悔してすすり泣きながらシャープレスの元に走り寄り」とありますが、テバルディは敢えてこの指示通りにしていません。むしろ声を高めてはっきり歌っています。ここで急に後悔するのは不自然だという判断だったのでしょう。それで正しいと思いますが・・・。

"Oh, mi fate tanto male, tanto male, tanto, tanto!"と続くのですから、尚更です。「ずいぶん、ずいぶんひどいことをおっしゃったのですよ」と涙ながらに責めるのですから。(dolorosamente)とト書きにはありますが、涙声にまでしろとは決して書いてありません。それをテバルディは敢えてやって、ヒロインの受けたショックを雄弁に表現しています。同時に、ここは全体にデクレッシェンドの指示があるので、徐々に弱めているのです。ですが、ただ弱めるのではなく、"tanto"の"tan"に強勢を置いています。「とても」という言葉をなめらかに歌うのは、この場合、効果的ではない。それがテバルディにはよくわかっているからです。

"Niente, niente."や"Ho creduto morir..."にも指示はありません。テバルディは静かに、少し悲しげに歌っています。次と対比を付けるためでしょう。

"Ah! m’ ha scordata?"は"con forza"の指示があるので、力を込めなければなりません。しかも"-da-"にアクセントがついています。テバルディの例の「底力」の入った声!その後はオケもかなり鳴る中で"E questo?"を3回歌うのですね。とにかく、圧倒的な声です・・・。これができない人に蝶々夫人を歌われても・・・感激しませんね。ついでに最後の場合、"egli potra pure scordare?"がついてきますが、最後の"-dare"が1点ホ♭まで下がるのです。ちゃんと聞こえてきますからね・・・。

"Chi vide mai..."からは子供が100%日本人ではあり得ないことの説明です。が、ピンカートン譲りの綺麗な金髪を描写するところには誇らしげで愛おしげなトーンを入れています。"No, no, è nato..."からが大きめなのは(con passione)「情熱を込めて」というト書きがあるからです。"Ma voi gli scriverete..."には指示がありません。テバルディは"un figlio senza pari"を強調しています。「比べようもない息子」ですから。"E mi saprete dir..."はフォルテの指示。これも強靱そのものの声。終わり近くで早まるのは、オケに"affrettando"「早めて」の指示があるからです。

次からは、子供に話しかけると見せて、芸者稼業に戻ったらどうなるかをシャープレスに暗に語る部分で、芸者の仕事に関する描写は誤解だらけですが、(あの仕事は立派な芸がないとできない稼業だし、一見さんには芸を披露しない上、自分から芸は売りませんね。)ここは終わりの方を除いて指示がありません。特に私が舌を巻いたのは"Udite, udite, la triste mia canzon."は"gridando-"が先に来るので大きめですが、その後の"A un’ infelice madre la carità, muovetevi a pietà."でテバルディが涙混じりの弱音を駆使していることです。人々のお情けにすがるのですから・・・。「想像による話」として語っているにもかかわらず、本当に人の情けにすがっているようなトーンが出ています。こういうことになるのだ、とシャープレスにも嫌でもわかるように・・・。凄いです。

"Ah, no, no! questo mai!..."からはメゾフォルテの指示。こういう中途半端な指示は却って困るのではないかと。"porta"あたりからクレッシェンドして(見事にその通りにやっています)"Morta, Morta!"はそれぞれ最初の音節に2点イ音と2点ロ音が与えられています。だからここがやたら高く聞こえるのですが、テバルディが高音が苦手という烙印を押されたのは、彼女がこういうときでも薄っぺらいヒラヒラ声でごまかさず、巨声のまま声を張ったからです。声を裏返した方が高い声は出やすい。どうしても書かれた音高を出したければ、ファルセットにすれば良いのですが、テバルディはそういうことをしませんでした。敢えて声を張りましたから、微妙に音が上がりきらなかったとき、それだけ目立ってしまったのです。

"Piuttosto la mia vita troncar!"も相当高音を要求されています。"la mia"がまた2点イで、"-car"がまた2点ロ。フレーズ全体にクレッシェンドもついています。ハイCでこそないけれど、非常にキツい。まさに「イタリア・オペラのイゾルデ」です。とどめの"Ah! morta!"は2点イから急にオクターブ下がります。キツいスコアをテバルディは強靱に歌い抜いている、だけではなくて、ちゃんと、悲しみのトーンを声に入れているのです。

"A te, dà gli la mano"では先ほどまでの興奮が嘘のように消えて、魔法のように静かな歌に。"oggi il mio nome è Dolore"では"Dolore"を強調気味に歌っています。その後、"scrivendogli..."あたりからクレッシェンドで、"(ri)-torno"からフォルテの指示。"Gioia, Gioia, mi chiamerò"もまた、キツい。"Gio-"には2点トと2点イが要求されていて、"(chiame)-rò"がまた2点トです。テバルディはスコア通りの箇所からクレッシェンドして、又しても強靱な"Gioia"を聞かせて、最後まで力を抜きません。こんなに凄い歌手が(単に大きい声が出るだけではない、詰めも細かいことをご説明しました)正当に評価されないのは、どうかしているのです。

2. プッチーニ 『蝶々夫人』 第二幕 第一部 "Vespa!"---Duetto dei fiori


舞い戻って嫌がらせを言いに来たゴローを追い払うシーンから、ピンカートンの船を発見して狂喜し、庭中の花を摘み取って家の中に播く、いわゆる「花の二重唱」の場面までです。

ランキンのイタリア語の滑舌は怪しいですが、何とか役目を果たしているし、女中なのだから、あまりにも立派な声のメゾソプラノは敢えて必要ないと思います。ステレオの時のコッソットは美声ですけれど、どちらかというと硬質な声の人なので、テバルディとデュエットしてもどうも・・・マッチングが良いと思ったことがありません。

さて、最初の鬼門は"Ah! tu menti! menti! menti! Ah! menti!"です。別にフォルテの指示はありません。(con voce selvaggia)「激しい(どう猛な)声で」というト書きだけ。最後の"menti!"はアクセントがついている上、また2点イ音。凄い迫力に思わず息をのみます・・・。オペラはこうでないと。とにかく、それで蝶々夫人がゴローを引き倒して短刀で脅すので、彼はネズミがキーキー言っているような妙な声を上げるのですね。(苦笑)

"Dillo ancora e t' uccido"には"(uc)-ci(-do)"にアクセントがついていて、2点ト音です。「15歳の日本人の少女(このときは3年経ってますが、18です)」という設定に安易にこだわるのがいかに馬鹿げているか、このキツいスコアが示しています。テバルディの歌はまさに"-ci-"が強力で、何の指示もない"Va via!"も「出ていけ!」いう歌詞に相応しい強烈さです。

プッチーニ先生のソプラノいじめは続くのです・・・。"Vedrai piccolo amor"テバルディはむしろ"amor"を優しく歌っていますが、これも2点ト音。"vedrai che il tuo vendicator, ci porterà, lontano, lontan"あたりまで高音域が続きます。"(ven-)di(-cator)"は2点ロ♭。"ci porterà"は2点トで始まってフォルテかつ、各音節にアクセント。"(lon-)ta-no"はまた2点ト音でアクセント付き。最後の最後の"ci porterà!"の"-rà"は2点ト♯です。何とキッツいのでしょう!!!若いテバルディはひるむ様子もなく歌っています。キツいことくらい百も承知だったでしょう。でも、レコーディングのために一度歌うくらいなら構わない、という判断だったのだと思います。レパートリーにしてしまうと、確実に声を痛めそうなスコアです・・・。

やっと少しおとなしくなる、ピンカートンの船の発見場面。ここはスコアも機関銃。16分音譜と32分音譜で同じ音高で歌うようなフレーズの連続です。テバルディは単語に強勢を置いて、極力単調になるのを避けています。"VEssillo" "ameriCANO" "STElle" "OR" "GOverna" "ancoRARE"のようにして。

次、また試練が。"Abramo Lincoln!"フォルテで、"Ab-"は2点イ♯、"Li-"は2点ト♯です。ずっと高音域ですが、"sol io sapevo, sol io che l' amo"の"io"でまた2点イです。「私」だけが真実を知っていたのですから、全く妥当なスコアなのですが・・・。キツい・・・。そこからしばらく高音域のままで、最初の"E giunto!"の"giun-(to)"でまた2点ト音(臨時記号でシャープにはなっていません)。その後はしばらく音高が下がっていきます。「皆が泣いて、絶望しろと言っているときに」という歌詞に相応しく。テバルディは見当違いに明るい声は出していません、ですが、こういう中間の音域でビロードの声が出せるソプラノはそうはいないのです。

次は「愛の勝利」を語るところですから、だんだん盛り上がります。"la mia fe' trionfa intera: ei torna e m' ama!"ここは極めつけです。"trionfa"の"-on-"が2点ヘ♯、"m' ama!"の"m'a-"はフォルテかつアクセントがついて、しかも2点イ♯です。凄いですね・・・。ものすごい声量でかなりの長さ、維持しています。何せ、「彼は戻ってきて、私を愛してくれるのよ!」ですから。これだけの誇らしげな愛の勝利宣言はないでしょう。それが裏切られるから、最後の場面の痛ましさがひとしお、なのです。

その後花の二重唱の前置きが始まると、さっとトーンが変わって、穏やかになります。これがまた凄い。"Scuoti quella fronda di ciliegio..."ただ、"No, rido, rido..."はピアノの指示ですが、少々声が大きいですね。

"come la notte è di faville"の恍惚としたような、ビロードの声!迫力一本の歌には味わいがないことは今更申し上げるまでもないかと。ここからしばらく、指示は特にありません。"diedi il pianto alla zolla, essa i suoi fior mi dà."には頭にピアノと"espressivo"「表情豊かに」の指示が。「涙をつちくれに捧げて、いまそれが花を私にくれるのよ」というところです。この柔らかな歌いぶり・・・。テバルディがヒロインの心情を十分に理解していなければ、こういう歌は歌えないはずです。「表情豊かに」と言われても抽象的すぎて、一体どんな表現が適切なのか、日頃から人の細やかな心の起伏が理解できない歌手には解決できない問題でしょう。テバルディはそれができた人でした。

だんだん、二人が交互に歌いながら、二重唱に入ります。最後の蝶々夫人の"seminiamo april!"の"-ril"がクレッシェンドという以外に指示はありません。"Gettiamo"はそろってフォルテ。"piene"ではもうピアノに落とせ、と(!)"corolle di verbene"あたりからは更に、ピアニッシモにしろという指示です。

しばらくオケを聞かせた後で、また二人が歌います。今度はピアノの指示。"Corolle di verbene, petalli d' ogni fior!"ここは、又してもソプラノは"d' ogni"で1点ロ♭からポルタメントして2点ロ♭にオクターブ上げるということをしなければなりません。テバルディのこのポルタメントは非常ーーーーーに美しく決まっています。そして、むしろ主張の強すぎないランキンの方がコッソットとの時より、静かに、しみじみ歌えているように思います。

二重唱が終わると、ピンカートンを迎えるために身支度をする場面。"Non son più quella!"(tristamente)「非常に悲しげに」とあるここは、これ以上悲しく歌えるか?というくらい悲哀感がこもっています。"Dammi sul viso un tocco di carminio..."のくだりには"dolcemente"の指示が。ちょっと"viso"が強かったかな、と思いますが、テバルディの場合、自然に歌えば"dolcemente"になりますから・・・。変にひねらないほうがいいのですね。"ed anche a te, piccino"には少し微笑しているようなトーンを入れています。男の子に紅を差す、という考えがちょっと可笑しい、という表現ですね。「夜遅くまで寝ないで待っていると青白くて見栄えがわるくなるといけない」という考えからですが、本当に詰めが細かい!

"Che ne diranno.."からはピアノなのですが、それほど声を抑えてはいません。テバルディは、この辺は言葉の角を立てるようにして、自分を見捨てた人たちへの怒りを表しています。ト書きはむしろ面白がってというように、(sorridendo a questo pensiero)とありますから、「この考えに微笑しつつ」ですが、テバルディはそうしませんでした。勿論意図があってのことでしょう。ここでにこやかな声を出すのは不自然だと。それが正解だったと思います。ヤマドリのくだりは・・・。最後の豪快な笑いだけが余計ですよ・・・。

"L' obi che vesti..."からは甘美な調子になります。それに相応しい内容ですからね。ここは何とあの、"a piacere"「ご随意に」なのです!しかも8分音譜と16分音譜の機関銃。テバルディは明らかにそれより長く、たっぷり歌っています。ここを素っ気なく歌うなんて・・・あり得ないですよね。"Vo' che mi veda indosso il vel di primo dì"頭がフォルテでは"primo"からデクレッシェンド。ちょっとフォルテにはなりきっていないです。デクレッシェンドは絶妙なまでに美しい・・・。

この後は、日本人にも奇っ怪な、障子に穴を開けてそこからじっとして覗いていましょう、という場面です。日本人って、相当妙な人種だと思われていたようですね・・・(苦笑)。この辺には指示はありません。テバルディは極力無邪気に歌っています。珍しく"come topolini"の"come"が「ゴーメ」に。弘法も筆の誤り?


次回は『蝶々夫人』の最終回、ピンカートンとついに再会することなく、彼女が自害するまでです。