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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1952年 『椿姫』 ラジオ放送用録音(2)

スタジオ録音 椿姫

1952年の『椿姫』のラジオ放送用録音の音源から、テバルディの歌唱を中心にご紹介しています。

今回は第二幕 第一場から。むしろ、ここからが、この演目でのテバルディの歌が冴えてくるのですね。

1. ヴェルディ 『椿姫』 第二幕 第一場 

"Madamigella Valéry?---Pura siccome angelo"

 

父ジェルモンに、息子と別れてくれ、と説得される例のシーン。最初は会話調ですが、次のジェルモンの歌詞、「アルフレードの父です」と名乗る歌詞には"con forza"「力を込め」とありますから、オルランディーニは相応に声量を上げています。そして、"Voi?"と返す時のテバルディのリアクションには、明らかに驚いたトーンが入っていますね。サン・フランシスコでテバルディの相方を歌ったロバート・ウィードははっきり言って全然・・・でしたが、イタリアのバリトン歌手は、まぁ、人材豊富だったのですね!今となっては画像も探せない人ですが、このオルランディーニは「年取った親父さん」を歌うならこれでも悪くない、と。

ジェルモンが息子の振る舞いを非難しながら、ヴィオレッタに対しても当てつけがましいことを言うので、テバルディのヴィオレッタはかなり強硬な反応。"Donna son io, signore, ed in mia casa;"何も指示はないですが、例の「威厳」のある声で相手の非礼を遠慮なく指摘します。ヨーロッパでは騎士道精神のようなものが長い間残っていたので、女性に失礼なことを言うのは紳士として失格だったのですね。

ですが、そのまま厳つい態度を取るわけではない。ここがテバルディの詰めの細かさ。何も指示はありませんが、"ch’ io vi lasci assentite, più per voi, che per me."の最後のフレーズはかなり柔らかく歌われています。相手が自分の人格について勘違いしたまま話し合っても不快になるだけ。だから、「私の方が遠慮させていただきます。」と言う。彼女について全く勘違いしているジェルモンは、彼女が思いやりでそう言ったのに、「無礼な女だ」と思ったようですね。

相手がわかっていないと察した彼女は一度立ち去りかけたけれど、戻ってきて、今度ははっきりと、"Tratto in error voi foste!"と言い渡します。ジェルモンは「息子は自分の財産をあなたにつぎ込んでいる」とあけすけにやり返すので、本当のことを、強めに言い渡すのですね。"Non l’ osò finora, Rifiuterei."今の自分は安っぽい女ではないから、そう思われるのは心外なのです。ここで彼女がそのように出ることが、後で生きてくる。テバルディにはちゃんとプランがあるのです。

それでもこだわるジェルモンに、内心業を煮やしたのでしょう。証拠物件を見せるしかない、と彼女は考える。"A tutti è mistero quest’ atto, A voi nol sia."失礼なことを言われても、相手を信頼していなければ、「秘密にしている書類」をあっさり見せませんね。愛している人の父親だし、色々な人間を知っている女性だからこそ、突然訪ねてきた男が信用できるとわかる。最初のフレーズは少し声を弱めて、「秘密なのですよ」という調子を出し、「ですが、あなた様にはそうしません」とはっきり言い渡すので、声を強めています。何の指示もないのに・・・。本当に、細かい鑑賞を必要とするのがテバルディの歌です。

書類を見て、むしろ養われているのは息子の方で、いい加減な女だと思っていたヴィオレッタは全財産を処分していたのを知ったジェルモン。納得のいく解釈を見つけようとして、「過去の生活を後悔しているからか」と尋ねますが、ヴィオレッタは彼の言葉に、"Più non esiste. Or amo Alfredo, e Dio lo cancellò col pentimento mio!"入りには指示はありませんから、テバルディの歌も優しいです。"Or amo Alfredo,"からト書きの通り、(con entusiasmo)ですし、"e Dio lo cance-"までスタッカートとクレッシェンドがついていますから、彼女の歌は強力に盛り上がります。スタッカートは・・・どうも微妙ですね。ここは"(cancel-)lò"で2点イ♭まで上がりますから、結構な高音です。最後、静かに締めていくのは歌詞にも相応しいですし、スコアとも齟齬がありません。

やっとジェルモンに褒められて、"Oh, come dolce mi suona il vostro accento!"ここは"su(-ona)"を山にクレッシェンドとデクレシェンドの指示があります。ここは、実践していませんね・・・。ですが、ほとんど息をのむほど感激している、という調子が出ています。これはこれで、いいのではないかと。

褒められたばかりなのに、今度は「犠牲」の話を持ち出されて、トーンがはっきり変わります。"Ah no... tacete..."からは声のトーンを暗めにして、更に、震わせています。"il previdi...v' attesi..."は更に、悲しげなトーンが入ります。"Era felice troppo"は2点ト音の"Era"の頭からデクレッシェンド。ですが、ここもスコア通りにはしていません。"Era"はむしろ弱音でこの上なく美しく、「幸せだった」今までを歌い、"felice troppo"を強めに歌って、「話がうますぎた」という、大きな落胆を、声に大変悲しげな色付けて表しています。

「2人の子供を持つ父親の宿命なのだ」と言われて、初めてアルフレードには兄弟姉妹の誰かがいることをヴィオレッタは知るのですね。"Di due figli!"は、スコアでは「!」になっていますが、テバルディの歌はむしろ「?」という感じです。アルフレードは妹のことを何も彼女に話していなかったのですね。だから、彼女には意外なことだった、という調子です。

ここから、コンサートのデュエットと同じ部分が始まります。しばらくはジェルモンさんの説明。オルランディーニは、ヴィオレッタと会った直後は声にとげのあるトーンを入れていましたが、ここは優しく歌っています。あの、アメリカのバリトンとは大違いです。人材豊富な時代でした・・・。

さて、それに答えるヴィオレッタ。入りは"animando a poco a poco"でしたね。だんだん感情を強めないといけない。"Ah, comprendo…"から"doloroso fora me…pur…"までです。ここで出色なのは"doloroso"の歌い方です。"do-"に強勢を入れ、かつこの言葉に悲しみのトーンを十分注ぎ込んでいます。さすがです。なのに、「しばらく離れるだけでは十分ではない」と言われて、ショックを受けるのですね。"Cielo! che più cercate, offersi assai"は"acquerellando a poco a poco"で、だんだんテンポを速める場所です。うーん、早まっているという印象は余り受けません。ただ、ショックを受けているのは十分伝わってきます。"Volete che per sempre a lui rinunzi"は"sempre a lui"を山にクレッシェンドとデクレッシェンドの指示ですが、この日はフレーズ全体を強めに歌っています。「そんな・・・あんまりな」という気分が伝わりますね。"Ah, no! giammai! no mai!"には、"giammai!"に"tutta forza"とあるので「ありったけの力を込めて」ですが・・・余りありったけになるとffffffになってしまうから(苦笑)...この日はむしろ"no, mai!"のほうが強いですね。それでもいいのでは。

次の"Non sapete quale affetto"は頭にピアノで、同時に"agitato"の指示。ピアノでも、興奮気味の調子を出す。"vivo immenso"あたりでクレッシェンド、"io non conto"で、またクレッシェンド。"e che Alfredo m’ ha giurato…"は"a piacere"「ご随意に」。"Alfredo…"からデクレッシェンド。次はまた"non sapete…"のパターン。"d’ atro morbo…"でクレッシェンドの指示。ここは、全くスコア通りですが、ピアノの部分ではかすかに声を震わせ、"agitato"な調子を入れています。ショックの余り、気が転倒しているのですね。強めるところでは、「それはあんまりです!」と訴える。第一幕とは人が変わっている。「アルフレードとの愛」がないと、生きていけない人になっているのです。これが・・・「真剣な愛なんて」と嗤っていた人とは到底思えない。それを雄弁に伝えることができているのです。

"Ah, il supplizio è si spietato, il supplizio è si spietato,"は"si spietato"あたりからクレッシェンドで、加えて"Ancor più vivo"「さらに活発に」なので、どんどん強力にしないといけない。"che a morir, a morir preferirò"の繰り返しのあたりは、随所にアクセント。最初の"che"、2度目の"(mo-)rir""fe(-ri-)rò" "si""(mo-)rir""(ri-)rò"。"Ah!"でフォルティッシモ。"morir preferirò, ah, preferirò morir."では最後の"morir"の"mo"にフェルマータ。この辺はスコア通りです。推測に過ぎませんが、あのコンサートの時から、スコア通り歌うところと敢えてそうしないところを考え直したのかも知れません。それに、歌手はいつも全く同じように歌うわけではありません。人間であって、CDのリピートではないのですから、それが当然なのです。ここでは、この歌い方が、「死んだ方がましです!」と訴えるのに相応しいという判断だったのでしょう。確かに、必死、という調子が出ています。「それだけはできません!」と。

次はジェルモンの分別くさいお説教のくだり。答えるヴィオレッタのフレーズには何も指示ありません。"Ah, più non dite, v’intendo…, m’ è impossibile, lui solo amar vogl’ io"ですが、「もうおっしゃらないで」は静かに、「でも、無理なのです」は声を強めて、"lui solo"は、優しく、温かく、甘美に、"amar vogl’ io"は強烈に歌う。これが彼女のパターンでした。パターンとは言っても、公演によって、微妙に色づけの仕方の程度に違いはあります。とにかく、"lui solo"をこういう風に歌われると、このヒロインがどれだけアルフレードを想っているか、それだけで雄弁に伝わってくるのです。ジェルモンの答えを挟んで"Gran Dio!"というところも指示はなし。テバルディは強めに入って、ピアニッシモに落とす。これも、ここの彼女の歌い方の特徴でした。この日は、最後の最後で少し強まって、「何てことでしょう、でも、それが本当かもしれない。」という調子にしています。

さらにジェルモンのお説教は続きます。その間に、ラジオ放送用のスタジオ録音なのに(!)、テバルディの例の「熱血」が入ります。お説教を聞きながら、息をのんで辛そうなリアクション。普段着で吹き込んでいるとは思えません・・・。そして、相手の言うことが身に染みてきたヴィオレッタは" È vero! È vero!"と合いの手を入れるのですね。これは、かすかに声を震わせています。辛すぎる真実に目覚めるからですね。

"Così alla misera…"に始まるヴィオレッタの「一度墜ちた女に立ち直りは認めてもらえない」というくだりは、最初にト書き。(con estremo dolore)「悲しみの極限に落ちて」。ずっとレガート、レガート、レガート、で、他に特に指示はなく、最後の"l’ uomo imprecabile per lei sarà"で、やっと"a piacere con forza"という指示。「ご随意に、でも強く」。このときは、特に"benefico"と"Iddio"「神様」が強烈で、こちらは神の慈悲を強調し、次は"implacabil"と"sì, per lei sarà"が強めで人の頑なさを強調して、対照を作っています。次は"a piacere con forza"のフレーズ。"l’ uomo implecabil"2点ト♭から始まって "per lei sarà"は1点ト♭と、高音域から低音域に下がります。"l’ uomo implecabil"は高音域なので目立って聞こえますが、低音の"per lei sarà"もしっかり響いています。そこが、低音のしっかり出ないソプラノとの差なのです。しかも、フレーズの締めには、「頑なな、許すことを知らない人間たち」に対する恨めしげな思いが、暗いトーンの声に表われている。詰めの甘い歌手にはここまでやれません。同じ歌詞が、ジェルモンの歌の合いの手として入ります。本来は16分音符の機関銃なのですが、巧みに節がついている上、1点ト♭という低音なのに、バリトンに消されずに聞こえてきます。この日の最後の"sarà"は、思い切れない思いが引きずれているように、フェルマータでもついているかのように長めに歌っている上、最後に息をのんでいます。この日のテバルディのヴィオレッタは、別れさせられるのが辛すぎるのですね。

"Ah, dite alla giovine…"からはト書きに(piangendo)「泣きながら」。基本的にレガートかポルタートで歌い続けます。"sventura"が強いのは、そこを山にクレッシェンドとデクレシェンドが付いているからです。"un unico raggio di bene,"の"unico"をテバルディはアクセントでも付いているように強調していますが、スコアはポルタートです。うーん、やっぱりポルタートは歌いにくいのでしょう、どちらかというとスタッカートですね。"che a lei sacrifica"の"che"にはアクセントが付いていますし、ここを山にデクレッシェンドなので、強めています。"(sa-)crifica e che mor-(rà)" はスタッカートかつデクレッシェンドの指示。ちょっとスタッカートと言うにはなめらかすぎる。最後の"e morrà, e morrà."にピアニッシモの指示がありますが、チト大きいですね。二度目の"e"はフェルマータ。最後ははっきり、泣き崩れています。くどいようですが、ラジオのスタジオで、普段着で歌っていたのですよ!しかも、その後のジェルモンの歌の間もさめざめと泣くテバルディの声・・・。ライブの「熱血」ぶりとは少々違いますけれど、これも相当気持ちが入っていて、ラジオ放送用とは到底思えない・・・。

次のヴィオレッタの入り"Dite alla giovine…"はピアノの指示。"ch’ avvi una vittima"はデクレッシェンドしていくので"ch"あたりは強めに、"vittima"はピアノ。なんですが、この日のテバルディはむしろ、ここはクレッシェンドしています。一転して、次の"della sventura"では頭にフォルテ。そしてデクレッシェンド。こちらはその通りです。"cui resta…"が頂点でまたデクレッシェンド。ですが、テバルディはそのままデクレッシェンドしないで"resta"に強勢を置いて強調しています。"unico"はポルタートですが、やはりアクセントを付けるように歌っています。"bene"で次第に盛り上げている。"che a lei sacrifica…"は"che"にアクセントが付いていて、そこからデクレッシェンド。これはその通りです。

最後の方の"a lei sacrifica e morrà"は二回ありますが、"lei"がフォルテで"cri"からはピアニッシモ。これは見事にその通りです。終わり近くの"e che morrà"の繰り返しには、アクセント記号の他は特に強弱の指示はない。テバルディは全部違って歌うのですが、最初は強め、次は弱め、次は若干強め、"ah sì"の入る時はアクセント記号がついているので強めに、最後はごく静かに終えるのでした。これは、音高の違いで自然にそうなります。最初は比較的高めなので強く、次は低くなるので弱く、次からは音高も上がるし、アクセントもつくので強まり、最後は音高も下がり、アクセントもなくなるので自然に静かに締められる。スコア通り歌えば自然にそうなるようになっている。テバルディは特にひねらず、そのまま歌います。

2. ヴェルディ 『椿姫』 第二幕 第一場 "Imponete"

 

ここは"Sostenuto"の指示。丁寧にじっくり歌う必要があります。第一声から、テバルディの声は震えています。別れろ、と言われて、決心したとしても、彼女にとってやはりそれは簡単なことではないのです。どうすればいいかわからず、思わず「指示を下さい」と言ってしまうヴィオレッタですが、ジョルジョは大したことを思いつかない(苦笑)。結局ヴィオレッタ自身が考えることになります。

1度目の"Morrò"に来ると声が強くなりますが、これは、フォルテの指示がある上、各音節にアクセントが付いているからです。ところが、次の"morrò"はピアニッシモにして、"la mia memoria,"までレガートで歌えと。細かいヴェルディ様・・・。"non fia ch' ei maledica,"は"di(-ca)"が山になるようにクレッシェンドとデクレシェンドの指示。次の"se le"にも小さくデクレッシェンドの指示があり、彼女のパートが一旦区切れる"vi sia chi almen gli dica."は"morendo"の指示。消え入るように終えるのですね。テバルディの歌はほぼこの通りになっています。"le mie pene"あたりにアクセントが付いたような歌い方をしている以外は。「私の苦痛」ですから、少々強調したかったのでしょう。あとは、スコア通り歌うのが効果的という判断だったのだと思います。

ジョルジョは「神の報い」とか「あなたの誉れ」とか大層なことを言って慰めますが、当然、ヴィオレッタにとってそれは慰めにはならない。

次の彼女の入り、"Conosca il sacrifizio,..."からは"animando con molto passione"という指示があります。「非常に情熱をこめ、活気をつけつつ」ですね。"(co-)no""sa-(cri)fi(-zio)" と、"ch’ io consumai d’ a(-more),"にはいちいちアクセントが付いています。"che sarà suo fin l’ ultimo,"では、"suo"にフェルマータが付き、ここが頂点でクレッシェンドとデクレシェンドの指示があります。"sospiro del mio cor."には何の指示もありません。テバルディ、強めに歌ってきて、最後の"del mio cor"で静かに締めています。アクセントがその通りかどうかは微妙です。"suo"は最強になっていて、スコア通りです。そして、その通りにするのが、歌詞の内容を考えると無理がありません。ヴィオレッタにとっては別れるとしても、"私は「彼の」ものであり続ける"のですから。

同じ歌詞が繰り返されます。次の"conosca..."には"con passione"「情熱を込めて」の指示。"consumai d' amore"は"amo(-re)"で最強になるよう、クレッシェンドが付いています。今度も"suo"でフェルマータ。その後は、2点音域になる音にいちいちアクセントが付いています。音高が上がるとどちらにせよ声が響きますから、必要だったのかしら???ですが。

"sospiro del cor,"は"(so-)spiro"あたりからクレッシェンドをかけ、"cor"がフォルティッシモの指示。(実際の歌唱は、ここで"ah"と歌っています。音程が 微妙に上下するところで、単語を正確に発声するのは難しい。コロラトゥーラ・アリアを何でも良いから、思い出して下さい。音程が激しく上下するところは大抵、無意味な"ah"の繰り返しです・・・)"del mio cor,"はデクレシェンドで、"è sarà suo fin ultimo"までクレッシェンド。"sospiro"は音節ごとにスタッカートで、"del"がフォルティッシモフェルマータです。(?前置詞と冠詞の融合形ですが・・・。こんなのが最強?)ちょっと最後の指示は妙ではありますが、テバルディの歌はスコア通りといって良いと思います。

とにかくここは、どういう成り行きになろうとも、彼女はジェルモンだけには本当の自分の思いを知っておいて欲しい、それを必死で訴えているのです。だから、テバルディが声を張って、スコアになるべく忠実に歌ったのは適切だったのです。

その後は、アルフレードが帰ってくる気配がして、ヴィオレッタは慌ててジェルモンを帰らせようとします。それでもなお、食い下がる彼女。"Non ci vedrem più forse"は"Adagio"というテンポの指示しかありません。テバルディはまるで、恐ろしいことでも告げるかのようなトーンで歌っていますが、よく考えると、それは無理がないのです。自分の本心を知っているただ一人の人とはもう二度と会うことがないとしたら、誰が彼女を弁護してくれるのでしょう?ですが、その辛い条件を受け入れなければならないのです。自分がこの人とみだりに会っては、全てがぶちこわしになる・・・。このヒロインに与えられた、過酷すぎる使命をこうして、テバルディは、彼女にとっていかに苦しいことか、伝えているのです。"Siate felice"には"dolce"の指示。確かに、なめらかに歌っていますが、彼女の声には悲しみの色が付いています。

「さようなら」と一度言った後で、その、食い下がる場面。また、先ほどと同じ歌詞を繰り返します。"Conosca il sacrifizio ch' io consumai d' amore"入る前に休符にフェルマータが付いていて、"pausa lunga"「長い休止」とあります。ちょっとためらった後で、また念を押すようにジェルモンに本心を伝えずにはいられないのですね。ここには(piangendo)「泣きながら」のト書きがあります。テバルディはその通り、泣き濡れて声を震わせながら歌っています。ラジオのスタジオで普段着で歌っていた・・・。何度書いても信じられないくらい、気持ちが入っているのです・・・。

"che sarà suo fin l' ultimo,"には(il pianto le tronca la parole)のト書き。「涙で言葉を途切らす」です。やっとの思いで"Addio"と言って、"siate felice, addio!"でこの長い、二人の場面は終わります。書き忘れましたが、"suo"にはフェルマータが付いているのです。それでテバルディは長く歌っているのですが、同時にスコアにないクレッシェンドをかけて、ここが強調されるように工夫しています。"「彼の」ものなのです!"を最後の最後まで、伝えたい。涙ぐましいまでのすがり方です。"fin l' ultimo"は敢えて揺らいでいるような調子を出して、ヴィオレッタの極限までの動揺、苦悩を表しています。テバルディの『椿姫』を聞かないのは、やはり、勿体ないことだったのです!


3. ヴェルディ 『椿姫』 第二幕 第一場 "Dammi tu forza, o cielo"

 

ヴィオレッタが手紙を書くシーン。歌い出しから、"Ed or si scriva a lui"まで何も指示はありません。ト書きはありませんが、ドゥフォールあての、心を偽った手紙を書く間、テバルディはかすかに泣いています。"Ed or scriva..."はたっぷりと、悲しみの色がはっきりと入った声で歌っています。

次の"Che gli dirò?"の頭には、テンポの指示(Adagio)だけ。"Chi men darà coraggio?"はスタッカートが付いています。うーん、ここをポンポン切れ切れに歌う意味は?確かにテバルディの歌はレガートの時とは違いますが、派手に切れ切れにしてはいません。とにかく、その後しばらく、別れの手紙を書いている間、テバルディはさめざめと泣いています。「泣け」というト書きはありません。ですが、ここで彼女に泣かれると、聞いている方も辛さが身に染みませんか?

ちょうど書き終わって封印したところにアルフレードが現われます(タイミング良すぎ・・・)。アルフレードを傷つけるに違いない手紙をその場で読ませるわけにはいかないので、動揺しながらヴィオレッタは手紙を隠して読ませません。この辺のやりとりも、歌詞ごとに微妙にトーンを変えているのです!"Nulla"はまだ涙声が混じっていて、"Sì, no..."はまさに動揺した調子で、"A te"は声がしっかりしてきます。"No, per ora"は、強めに、はっきり言い渡しています。"Che fu?"はかなり強く、「一体何があったの?」と知りたい調子を出している。「父親」が出てくると、また動揺して"Lo vedesti?"は声が震えています。これだけ詰めの細かい人が「能面のような歌しか歌えなかったただの美声の歌手?」冗談も大概にして欲しいですね。

アルフレードから、「父親」のことを聞くと、先ほどまでのやりとりが思い出されてまた苦しみにさいなまれるのですから、"Ch' ei qui mi non sorprenda"には(agitata)「興奮して」のト書きがあります。"Ai piedi suoi mi getterò"まではテンポ以外の指示はありません。"divisi ei più non e vorrà"には(male frenando il pianto)「涙を上手く抑えきれず」というト書きが。"sarem felici, sarem felici, perché..."は最初のフレーズが2連続でたたみかけるような調子が出るので、それだけでも激しい動揺が伝わるようになっています。

"tu m' ami, tu m' ami, Alfredo, tu m' ami, non è vero?"は全体にクレッシェンドの指示。この歌詞で、この指示ですから、相当激しい動揺が出せないといけません。テバルディ・・・十分すぎるほど切迫感を出しています。最後は敢えて"non è vero"をクレッシェンドしていません。むしろ、声量を落としています。次もクレッシェンドが入りますので、ずっと声量を上げっぱなしでは単調になりますね。『ラ・ボエーム』でミミの死の場面でもこのような、声の大きさを敢えて揺らすという方法をテバルディはとっていました。それで伝わるのは、「この人の気持ちは乱れている」あるいは「具合が悪い」ということです。そうしたいときは、敢えてスコア通りにはせず、それで、最大の効果が上げられるのです。

一度切れて、"tu m' ami, Alfredo, tu m' ami, Alfredo, non è vero?"も最初の"Alfredo"からクレッシェンドの指示。しかも、このたたみかけるような歌詞の繰り返し。ここは、見事にクレッシェンドしており、最後は涙にむせんでしまいます。本当にラジオ???

"Di lagrime avea d' uopo"には何の指示もありません。その前のアルフレードの歌の間中泣き濡れていたテバルディは、ここも涙声のままです。"or son tranquilla, lo vedi?"にも指示はなし。"ti sorrido... lo vedi? or son tranquilla, ti sorridi..."繰り返されている歌詞によって、彼女が無理をして平気を装おうとしているのがわかるようになっています。実は、興奮状態のままなので、同じことを繰り返してしまうのですね。しかも、全体にクレッシェンドの指示があります。テバルディの歌は、最初の"or son tranquilla"は言葉と裏腹で、「落ち着いている」ようには聞こえません。それが適切です。その後は、強烈な声でクレッシェンドをかけています。

"Sarò là, tra quei fior, presso a te sempre, sempre, sempre presso a te"は最後の"te"(全音符2つ分)にクレッシェンドの指示があるだけです。"sempre"が3度繰り返されることで、ここも切迫感が出るようになっています。テバルディの歌はこの辺に来ると安定してきます。ここは彼に是非とも伝えたい、今後何があろうと、自分は彼を愛しているという本心を告げるところですから、声を揺らす必要などありません。声を張ったまま、次のフレーズに入ります。

"Amami, Alfredo,"は頭に(con passione e forza)「情熱と力をもって」です。強弱記号はありません。"amami quan(-t)'" io t’ amo"は"quan"にアクセント、最後の"amami, Alfredo,"の頭にフォルティッシモ。 "quanto io t' amo, quanto io t' amo, Addio!"最後の"t'amo"で"diminuendo"の指示。ようやく弱めるのですね。テバルディの歌は、その通りです。更に、最後の"Addio"で涙にむせびかける、ということまでやっている。凄すぎる・・・。

テバルディは例の「伝記」によると、ここはソプラノ歌手にとって、『トスカ』のテノールの"Vittoria, Vittoria!"と同じ意味を持っていて、見事に歌えた場合は拍手をもらって当然、という考えを持っていました。ここでは観客がいないけれど絶唱しています。実際、彼女はここでアンコールを要求されて応えた公演もあります。

丁度同じ場面です。


この動画の録音も1952年だそうですが、私の持っている1954年のサン・カルロのライヴでも、どうやらアンコールを歌ったようなのです。が、レコード会社側がカットした形跡があります。(何故わざわざそんなことを!残しておけば良かったのに!)

次回は第二幕 第二場に移ります。