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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1952年 『椿姫』 ラジオ放送用録音(3)

1952年の『椿姫』のラジオ放送用録音から、テバルディの出演場面を中心にご紹介しています。

今回は第二幕の第二場から。

1. ヴェルディ 『椿姫』 第二幕 第二場 "Alfredo! Voi!"

 

ヴィオレッタと別れて悲しみから嫉妬や怒りで惑乱したアルフレードが、フローラの宴会に顔を出し、一同の驚きを引き起こすシーンから。まずいことにヴィオレッタも招待を受けていて、鉢合わせてしまう上、目下の(仕方なく、なった)愛人であるデュフォール男爵と同伴だったので、穏やかには収まりません。

どちらかというと、男二人が中心のシーンですが、途中でヴィオレッタも傍白を歌いますから、ここを確認します。

最初の入りのあたりには特に指示はありません。ドゥフォール男爵のヌンツィオ・ガッロ・・・。"Germont è qui!"(piano a Violetta)とト書きがあるのに、やたらとデカい声で・・・。テバルディはさすがに大声は出していません。ただ、"Il vedo"は少々大きめです。

男爵がはっきりと不快感を表しているので、来たのを後悔するヴィオレッタ。"Ah, perché venni incauta! pietà, gran Dio, pietà, gran Dio, di me!"は"in(-cauta)"を頂点にクレッシェンドとデクレシェンドで、最後の"gran Dio, pietà, gran Dio"は頭がディミニュエンドで"pietà"になるとピアニッシモ、"di me."の"di"には珍しく、強めのアクセント記号が付いています。テバルディの歌はほぼスコア通りです。ピアニッシモかどうかが微妙なだけです。

しばらく男二人の勝負ですが、その合間にも、アルフレードは当てこすりを言うのを忘れない・・・。「ここで儲けて、その金で、逃げた女とまた田舎暮らしする」とか。それを聞いてヴィオレッタは"Mio Dio!"。攻撃的な態度をむき出しなアルフレードと、どうやら嫉妬深いらしい男爵の間に挟まって困惑の極み。"Frenatevi o vi lascio!"と男爵に警告。この二つは、何も指示がありませんが、聞こえないと何もならないので、テバルディは声が通るように強めに歌っています。

どんどん険悪になりつつ、勝負は続きます。ヴィオレッタとしては、いい加減、やめてもらいたいのですが、二人とも意地になっているのでどうにもなりません。"Che fia? Morir mi sento! Pietà, gran Dio, pietà, gran Dio, di me."は"mi sento"あたりが頂点で、クレッシェンドとデクレシェンドの指示があって、"Dio,"でディミニュエンド、 "pieta, gran Dio di me."は"morendo"です。消え入らせる。テバルディの歌は、ほぼスコア通りですが、ディミニュエンドの"Dio"はむしろ強調して歌っています。「神様!」とすがる思いなのだ、というのを出しているのですね。

こんな二人の勝負などどうでも良い客達は、もっと魅力的な(?)晩餐の間に行ってしまいますが、二人はまだ険悪ににらみ合い。そこでまた、ヴィオレッタ。結局同じ歌詞なのですが・・・。"Che fia? Morir mi sento! Pietà, gran Dio, pietà, gran Dio, di me."ここも、前の歌詞と同じパターンで歌うように指示が出ています。今度は、テバルディの歌はスコア通りです。ただ、彼女はうろたえているトーンを入れています。同じ歌詞を歌っても、全く同じにはならない。彼女は録音のリピートのような歌は、決して歌わない人だったのです。


2. ヴェルディ 『椿姫』 第二幕 第二場 "Invitato a qui seguirmi"


アルフレードと男爵の間が険悪になる一方なのを目の当たりにして、ヴィオレッタは決闘沙汰になるのを避けるため、アルフレードを何とか帰らせようとしますが、かえって酷い侮辱を受けてショックの余り倒れる、という場面なのはご存じ、と思います。

ここは何と、はじめはまるで指示がありません。アルフレードに「どこへでもついてくるか?」と言われて、「それはできない」"Ah, no, giammai!"dで"no"にアクセント記号がつくのが最初の指示なのです。そこまでは、全く歌手の裁量に任されているのです。

テバルディは割合興奮気味に、強めに歌い出します。が、やはり平坦には歌わない。"odio atroce"の"atroce"に強勢を置いて、アルフレードが自分に対して抱いているであろう、「恐ろしい」憎しみを強調するのです。そして、"più di mia voce"の"voce"が2点イ♭に上がるのに合わせて、ここで目一杯声を張ります。ここで弱々しく歌ったら、実はアルフレードと二人で話し合うとどうなるか、不安ながら、それでもどうしても帰らせないと、というヒロインの、複雑でありながら、強い決心を伴った思いが出せないでしょう。

その後のやりとりも、強めの声ですが、彼女としては目一杯とはほど遠い。これが普通の音量・・・。凄いです。そして、ここの肝心な箇所、"Ma s’ ei forse l’ uccisore! ecco l’ unica sventura ch’ io pavento a me fatale."「男爵の方が勝ったらどうするの?それを恐れているのよ」をそれまでより強めて歌っています。何しろ、これが、彼女にとっては最悪の事態なのですから。

"Deh, partite, e sull' istante"も強いですね。「とにかく早く帰らせたい」のが彼女の衷心からの願いですから。自分と男爵が帰れば良いんじゃないの?とお思いですか?でも、本来フローラに招待を受けているのは彼女で、しかも男爵は目下、彼女の「旦那」ですから、彼女の立場では男爵に「帰りましょう」などと言ったら怒られてしまうでしょう。だから、アルフレードの方に帰ってもらうしかないのです。

"Ah, no giammai"は、見事に"no"にアクセントがついています。この後も特に指示のある所といえば、"di fuggirti giuramento sacro io feci"のところで、"(fug-)gir ti""giura""-mento""sacro"ごとにスラーで区切られていて、それぞれの頭にアクセントがついているくらいです。テバルディの歌は、完全にへそを曲げている相手についに業を煮やして"Va, sciagrato!"あたりから声に暗いトーンが入っています。少し、憤慨気味なのですね。彼の思いきりの悪さに手を焼いている。例の、指示のあるフレーズは、見事にその通り区切られていて、頭にアクセントがついています

まさか、「あなたのお父様に言われて誓った」とは口が裂けても言えないので、男爵に言われて、と言ってごまかします。アルフレードに"Fu Douphol?"と言われた後の"Sì"には(con supremo sforzo)というト書きがありますが、テバルディはそうしていません。台本作者の狙いは、「噓でも敢えて強烈に言って、本当らしく聞かせろ」ということなのでしょうが、テバルディはそれが適切だとは思わなかったのでしょう。やはり、噓なので、すこしためらいがちの方が、この、根は率直で善良なヒロインの性格に相応しいという判断だったのではないかと。要は、上手く噓がつける人ではない、というのがテバルディの考えだったのですね。私もそれが正しい解釈だと思います。

"Ebben, l' amo"も"Ebben"がわざわざ入っているくらいですから。それほど開き直って噓がつけるなら、"Ebben"は要りません。"Sì!"で良かったはずです。「(あなたが)そう言うなら・・・愛しているわ」というのと、「そうよ!愛しているのよ!」というのではまるで違う。ですから、前のフレーズのト書きは本来は不自然なのです。さて、こちらのテバルディの歌も"l' amo"は開き直って強めに歌っていますが、"Ebben"は、ためらいがちです。無理矢理ついた「噓」ですから。

しばらく、ヴィオレッタの入りはありません。アルフレードが食堂に移った客達をわざわざ呼び戻して全員の前で何か言おうとしているので、"Ah, taci!"と引き留めるところだけ。ここのテバルディの声には震えが入っています。何を言うつもりかはわからないけれど、どちらにせよ酷いことを言うだろうというのを予想しているからですね。本当に、彼女の解釈には無理がなく、理にかなっているのです。

侮辱されてヴィオレッタが気絶したところで、何と、ジェルモンが現われ(都合良すぎませんかね???それに、結局本当のことは言えない、とか言っているし?何なの、この人、という感じです。)今度は息子にお説教。息子は今までの頑固さは何だったの?といいたくなるほど、あっさり反省。一同はヴィオレッタに精一杯同情。これがしばらく続くのですね。

気がついたところで、やっとヴィオレッタの入り。"Alfredo, Alfredo..."ここには頭に"con voce debolissima e con passione"という厄介な指示が。「弱り切った声で、かつ情熱を込め」です。ですから、テバルディはごく静かに入ります。そのまま指示がなく、レガート、レガートで歌い続け、"del tuo disprezzo"でフォルテ。ところが次の"provato io l' ho"は"ancora pianissimo"「またピアニッシモに戻して」です。注文、多し。テバルディの歌は・・・見事にその通りです。

その後はアンサンブルが入ってきますので、余り弱く歌うと消されます。"Ma verrà tempo, in che il saprai"は"tempo"あたりを頂点にクレッシェンドとデクレシェンド。"come t’ amassi, confesserai..."も"(ammas-)si"を頂点にクレッシェンドとデクレシェンド。 "ti salvi allora! dai rimorsi, dai rimorsi, Dio ti salvi, salvi allor!"は最初の"salvi"あたりからクレッシェンドし、"Dio"の手前あたりが最強になって、その後はデクレッシェンドです。その後、決めぜりふの"ah! io spenta ancora t’ amerò, t’ amerò!"ここは頭の"ah"が最強でデクレッシェンドして、"io"ではもうディミニュエンドの指示です。アンサンブルの中で声を弱めろって・・・。テバルディの歌は・・・スコア通りです。さすがに"t'amarò, t'amerò"は彼女の裁量で少々強めになっていますが。「死んでも愛し続けるわ!」というかなり熱のこもったメッセージを弱々しく歌うのって、どうなんでしょう、と思うくらいですから。

同じような歌詞が続くので、どこだかわかりにくいですが、次の指示は"ah, spenta ancora, spenta ancora, spenta ancora t’ amerò!"に出てきます。ずっとクレッシェンドをかけ続けろ、というのです。ここはさすがに、"spenta ancora"に入るとフォルテの指示も出ています。

次にまた、"ah spenta ancora, spenta ancora, spenta ancora t’ amerò"が出てくるところに指示。こちらは"spenta"あたりからクレッシェンドをかけ、また"spenta ancora"でフォルテに持って行け、と。まずここで区切ります。テバルディの歌は?全部熱唱しているので、オケ、合唱、ソリスト全員が歌いまくっていても彼女の声ははっきり聞き取れます。その上、やはり、"spenta ancora"は目一杯歌われていて、ヴィオレッタの強い思いが伝わってきます。結核患者で、さっき気絶した人にこういう指示が出ているのですから・・・。「リアリズム」にこだわるのが無意味なのはおわかりですね。

最後の2つの塊は同じ歌詞です。最初の"ah! t’ amerò, io spento ancor pur t’ amerò, pur t’ amerò"では"io spento ancor"の頭にピアニッシッシモ。"pur t' amerò"でクレッシェンドし、次の"pur t'amerò"はピアニッシモにしろと。こういうのも・・・クレッシェンドなのですね。。。微妙すぎて実践できるのかどうか?できているのです・・・。最初の"io spento ancor"は音量を落としているので声が前に出ていない。それが正しい。ところがクレッシェンドの"pur t'amerò"は声が前に出てくる。次の"pur t' amerò"はピアニッシモだったかどうかは微妙ながら、先ほどのより弱音にはなっている・・・。

2度目の"ah! t’ amerò, io spento ancor pur t' amerò, pur t’ amerò"は"ah"がフォルティッシモである以外は先ほどと同じパターンです。最後にだめ押しで"pur t' amerò"を歌いますが、ここはクレッシェンドで最後の"(t' ame-)rò"がフォルティッシモの指示です。これだけ音が悪いのに、テバルディの"pur t' amerò"はちゃんと聞こえてきますし、最後の"t'amerò"はスコア通り、"-rò"が最強になっています。ここは、スコアの指示に従うと自然にヒロインの比類なく深い愛が伝わるようになっていますから。これを絶唱されると、聞いている方は、KOされてしまうのです。事実、私は1954年のテバルディのライブ盤で、ここを聞いて、彼女の『椿姫』は実は大変立派な聞き物だと気づかされたのですから。

 

次回は最終回、第三幕です。