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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1952年 『椿姫』 ラジオ放送用録音(4)

1952年の『椿姫』のラジオ放送用録音の音源から、テバルディの登場場面を中心にご紹介してきました。

最終回の第三幕です。

1. ヴェルディ 『椿姫』 第三幕 "Teneste la promessa---Addio, del passato"

 

さて、チェトラのスタジオ録音ですでにご紹介済みの例のアリアです。今回はどう歌っているでしょう?

手紙の朗唱部分の指示は"con voce bassa senza suono ma a tempo"「低めの声で、音は入れず、テンポには合わせる」でした。彼女は立派な声で朗唱しています。チェトラの時は"Alfredo è in stranio suolo…"の行に特徴がありましたが、今回は、"Egli a voi tornerà pel suo perdono..."で特に声を高めています。「彼が戻って来る?そうなのかしら?」という気分を入れたかったのでしょうか。その日の気分やキャストの違いで表現が変えられる方が、当然なのです。"Curatevi..."あたりから暗いトーンが入り、"mertare un avvenir migliore..."は更に暗い。現実は、ジェルモンの言葉と真逆だからです。"È tardi!"が激情的なのはいつもと同じですが、声の破れ具合がそのたびに違います。この日は半ば泣き出しそうな勢いがついています。

"Addio, del passato"に入るまでは、スコアに何の指示もありません。この日は"giungon mai"の"mai"が強めになっていて、"Oh, come son mutata!"のショック度が彼女としては大きいです。"a sperar pure m’ esorta,"の"pure m' esorta"も強勢が置かれています。「それでも、私に言い聞かせるのよ」なので。 "ah! con tal morbo"では、この日は"ah!"が強くてかなり長い。"con tal morbo"は「こんな病気」が憎らしいというように、一語一語、強めに、くっきり発音されています。"ogni speranza è morta!"の"morta"は、この日はかなり長く、ピアノくらいからデクレッシェンドをかけて消え入らせている上、最後の"-ta"を強調して、「死んだ」希望のむなしさに辛い思いのたけをぶつけています。(弱音でもそういうことができるのです。歌い方で。)

で、いよいよ"Addio, del passato"に。"Addio"は"dolente(悲しげに)"でピアニッシモ。"del passato"は"legato e dolce(レガートで、優しく)"。単語の終わりの音にアクセント記号。"(passa-)to" "(sog-)ni" "(ro-)se" "(vol-)to" "(so-)no"にアクセントがある。"ridenti"の"ti"を強めにするのは彼女の癖だったようですね。チェトラの時と同じです。その前のアクセントの付き方は、やはり微妙です。ついているところもあり、ついていないところもある。そこまで細かく歌い分けるとぎくしゃくするという判断だったのでしょうか。

"parenti, l’ amore Alfredo" にくるとクレッシェンドと"con espressione"「表情をつけて」の指示。"perfino mi manca"までもテバルディは強めに歌っています。ここで急に弱くする必要はないですね。「それすらもない」ので、前と一連の気分が続くのですから。"conforto, sostegno"までは静かに歌う。これもテバルディ流だったらしく、チェトラの時と同じです。"dell' anima stanca"は、この日は、一語一語、くっきり区切るように歌われています。実は、"(a-)ni(-ma)""(stan-)ca"にアクセントがついているのです。ですが、テバルディの歌は他の部分にもアクセントがついているかのようです。「もうこの魂は疲れ切っている・・・」と、疲れてよろめいているかのように。

次の"conforto, sostegno"では、指示はないのですが、テバルディは"sostegno"一語でクレッシェンドをかけています。これもテバルディ流だったようです。チェトラの時と違うのは、ここで一旦また音量を下げること。"della traviata...sorridi...al desio,"は全体にクレッシェンドの指示。そして、"al desio"は"con forza"「力を込め」の指示。その通りになっています。"a lei,"はピアニッシモで、また"deh perdona,"までクレッシェンドの指示。ここもチェトラの時と違って、実践しています。その方がアピール力が増す、と経験を積んでわかったのでしょう。"tu accoglila, o Dio!"は"Di"の2点ハ♯から"o"の2点イ音まで跳躍するので必然的に強烈になります。それが、神に必死で訴えているという効果をあげるのに適切です。そういうときはスコアの指示を守って、意表を突くようなことは敢えてしないのがテバルディでした。

"Ah, tutto, tutto, finì,"には特に指示なし。全体で約18秒なので、"Ah!"で一度ブレスを入れれば、テバルディなら、あとは一息で余裕で歌いきれる長さですが、彼女は敢えて、"tutto"を歌うごとに、大きく息をついて、辛そうで、疲れ切っているという気分を入れています。"or tutto, tutto, finì!"は"tutto, tutto"が"morendo"なので弱めていく。チェトラの時はこれができていませんでしたが、今回はピアニッシモのまま延々と最後の手前まで弱音で抑えています。最後の"(fi-)nì!"は、音高が2点イに跳躍しますが、"un fil di voce"「か細い声で」という指示。ここはそうする気がなかったらしいですね。むしろ、締めにかけてクレッシェンドさせています。歌手は、色々な歌い方を試します。当然、テバルディのような力量のある歌手はか細い場合と、クレッシェンドをかけた場合と、聞こえ方がどうが違うか、試したはずです。その結果、消え入らせてしまうより、この方が絶望感を出せる、と判断したのでしょう。それは、間違いではなかったと思います。

2. ヴェルディ 『椿姫』 第三幕 "Signora---Parigi, o cara"

  

アルフレードが本当に来たので、アンニーナは主人が興奮の余り体調を決定的に崩すのを恐れてまだるっこしい質問を。(彼女の思いやりですけどね。)ヴィオレッタの方は「何が言いたいのかしら?」という調子。(テバルディが、ですが。)そして、"gioia"と遠回しに言われただけで彼女はすっかり理解。この辺はまるで指示がありません。テバルディは"Sì, che vuol dirmi?"から死に瀕した結核患者にしては元気すぎる声で歌い始めますが、別に問題はないのです。「オペラ」ですから。

何しろ、スコアからして、次の"Amato Alfreeeeeeeeeedo"はクレッシェンドの指示がついているのですから!最後の"(oh,) gio(-ia)!"にはフェルマータが。呼吸も満足にできない結核患者がフェルマータを歌えますか?「オペラ」に変な「リアリズム」は無用です。二人とも同じ指示なので、同じように歌っています。スコア通りに。それがまっとうでしょう。その後の、二人の再会場面は、この日の場合ちょっとジュリーニの速いテンポにおいて行かれそうになっている(特にプランデッリ。)けれど、失敗というほどあからさまではないと思います。"Parigi, o cara"が始まるまで、アクセント記号がついている箇所がある以外は、特に主な指示はありません。"no, no, no, no, no, mai piu da te!"が特に強いのは、2個目の"no"から2点ロ♯に上がり、"no, no, no, no"にアクセントがついているからです。"più"は2点イ音でフェルマータ。(また!)それで、強く聞こえるのです。わざわざ弱々しく歌わせて偽りの「リアリズム」に徹させることは、作曲家自身が望んでいないのです。

アルフレードの歌を引き継いで歌う"Parigi, o caro, noi lasceremo,"からは、"(noi lasce-)re(-mo)"を頂点にクレッシェンド、デクレシェンドというように細かい山と谷がついています。そして"Sospiro e luce tu mi sarai,"の頭はフォルテ(!)"Tutto il futuro ne arriderà."の"(futu-)ro"でまたフォルテ。(もうすぐ死ぬ場面だということを思い出しながらお聞き下さい。スコアは「リアル」とまるで関係ないのです!)"ne arriderà."はピアニッシモ。(第一、健康そのものの歌手でなければ、急にフォルテからピアニッシモにするなどという声量のコントロールは不可能ですよね。)この日のテバルディは、むしろ"futuro"は弱音のままで、フォルテにしていません。問題の"-ro"は2点イ♭で比較的高音ですが、これを弱音で美しく歌っています。(美声・・・)そのまま、弱音でフレーズを歌いきっています。

デュエットに入ると細かいポルタートやアクセントの指示はありますが、主立った指示はありません。最後の最後、"Deeeeeeee' corsi affanni"は2点イ♭まで上がるし、"corsi affanni"まで一音節ごとにアクセントがついているので、必然的に強まります。ですが、次の"De' corsi affanni compenso avrai"はピアニッシッシモ。更に次の"De' corsi affanni compenso avrai"はピアニッシモ。"la mia salute rifiorirà ancor."にはまた細かい注文。"(sa-)lu(-te)"がフォルテになるまでクレッシェンドしていき、"rifiorirà"になるとピアニッシモです・・・。細かいヴェルディ様。。。

この日のプランデッリとテバルディは、というと、"Deeeee' corsi affanni"はスコア通りですが、次のフレーズは弱音に落とさず、そのまま歌っています。その次の"de' corsi affanni compenso avrai"は弱音。"la mia salute rifiorirà ancor."は"salute"まではスコア通りですが、"rifiorirà"は弱音にせず、むしろ"ancor"を弱音にしています。この場合、スコア通り歌った方が効果的なのかどうかは、微妙です。

3. ヴェルディ 『椿姫』 第三幕 "Ah, non più!"


"Ah, non piu"からしばらくは主な指示はありません。"oooooooora" "son foooooorte" "veeeeeedi"の長く書いた母音にトリルがついていますが、トリルの全く駄目だったテバルディにはこれは歌えていない、というだけです。

とにかく、ヴィオレッタは衰弱の極限にいるのに無理に教会に行こうとするけれど、ドレスを着る余力さえないのに気づいて絶望するのですね。"Ma se tornando"の頭にピアニッシモがついている以外、主な指示はありません。何も指示はありませんが、"È nulla, sai. Gioia improvvisa non entra mai, senza turbarlo, in mesto core."はやはり、恐ろしく息の長い人だったテバルディが、ほとんど一句ごとに息を切らして、辛そうなのを表しているのがわかります。「今行くのはやめた方が・・・」というアルフレードに、頑固に"No, voglio uscire!"というときはかなり強烈です。「嫌よ、どうしても行きたいの!」という感じが十分すぎるほど出ていますが、言葉通りの意味以上のものが、ここには含まれているからですね。「私にはまだ出かける余力があるはず、だからそうしたい」という彼女の精一杯の希望と信念です。

ところが、ドレスも着られない。それで、"Gran Dio! non posso!"が涙混じりの絶望的な調子になる。最後の"posso"に込められた悲しみの色を聞くと、聞いている方も「なんて可哀想な!」となってしまいます。声の強さは問題ではありません。(彼女はここをかなり強く歌っているのです)声のトーンで、ヒロインの絶望が伝わるかどうか、それが問題なのです。

アルフレードはアンニーナに急いで医者を呼びに行ってもらおうとしますから、ヴィオレッタもそれに口添えして、(今までは諦めていたからどうでも良かったけれど)「アルフレードが戻ってきてくれたから、どうしても生きていたいんです、って伝えて!」と必死で呼びかけるのですね。テバルディの調子は、本当に「必死」です。

そして、初めて大きな指示のでる"Ma se tornando..."に来ます。ここは見事に弱音になっている上、音高が下がるのに従って(1点ニまで下がります)、テバルディの声に暗いトーンが入ります。「愛する人の帰還でさえ私を救えないのにお医者に救えるわけがないのよ」という趣旨ですから・・・。しかし・・・暗いトーンが入っていてもこのフレーズ全体がビロードの美声ですし、低音も美声のままずっしり響いています・・・。

この後の歌には細かく強弱の指示が。"Ah"にはフェルマータ。"Dio, morir sì giovine, io"までデクレッシェンド。"(mo-)rir sì presso tergere il"は"-rir"がフォルテで、デクレッシェンドしていく。"lungo pianto"はディミニュエンド。"Ah, dunque fu deli(-rio)"は頭にフォルテで、音節ごとにアクセント。"la credura"はピアニッシッシモ。"ranza, invano di costanza"はクレッシェンドしていき、"-vano"でフォルテにしろと。その後はデクレッシェンドですが、"armato"にきたらフォルティッシモの指示・・・(やたら細かい!!!)

テバルディの歌は?まず、"Ah!"に驚愕。フェルマータしている間にクレッシェンドをかけている上、故意に運命を恨んでいるようなトーンを声に入れているのです。"Dio"はもの凄く強い。デクレッシェンドはそのまま実践。"morir"からのフレーズもスコア通り。"Ah, dunque"のフレーズは見事に頭がフォルテになっていて、"la credura"はまさにピアニッシッシモになっています。スコアと違うのはその後。デクレッシェンドせずに、強いまま歌いきっています。それまでのかなり厄介な指示を守れているだけに、最後だけどうして無視したのかわかりませんが、どちらにせよ"armato"でフォルティッシモで、後にはデクレッシェンドの指示はないので、その前にいちいちデクレシェンドする必要はないと判断したのかもしれません。別に・・・"costanza"だけ弱くする必要は私も感じないのですが。

次のデュエット部分は、実はもっと長いのですが、カットされるのが普通、のように思います。ほとんど音節ごとにアクセントがついているような箇所なので、必然的に強めになります。(ドレスも着られないと言っていても、です。)

今更ジェルモンが到着して後悔する(この人・・・何なんでしょうね?考えに一貫性がないような・・・。)ところから、もうヴィオレッタは生きる希望を失って、恋人に遺言し始めます。このあたりのやりとりに主だった指示はありません。

テバルディの歌は、最初は弱音で通しています。"Grenvil, vedete? fra le braccia io spiro di quanti cari ho al mondo."だけは声を強めています。せめて、この世で愛しいと思う人たちの見守る中で死ねることだけが、彼女に残された唯一の幸せならば、ここを強調するのは当然ですから。

「遺言」のくだりに入るところ。"Più me t'appressa, ascolta, amato Alfredo"では最初のフレーズだけが強くて、"ascolta,"からは弱音で、透明な調子を出しています。この「透明」なトーンが、もう命を失いかけているのを十分表しているのです。明るい色や、暗い色がついていると、何らかの強い情念が入っているように聞こえてきますが、その力すら、この人にはない、ということがこれだけでわかるので、ボソボソつぶやくように歌う必要はないのです。しかも、彼女はまた、"ascolta"と"amato Alfredo"の間で大きく息をついて、辛そうな様子を出しています。

肖像の入ったロケットを渡すくだりは、ほとんど同じ、透明、かつ、時々辛そうに息をつく、という調子で歌っています。唯一、"colei che sì t' amò"は重要なメッセージなので、何の指示もありませんが、音高が2点へ♭に上がる"sì"を長めに歌って、(ただの8分音符です・・・)フォルテあたりから弱音にデクレッシェンドをかけています。更に"t'amò"で入りを強くしこれもデクレッシェンドして、締めは優しい、弱音にしています。テバルディの歌を聞いてくると、音高の高低も彼女にとって無意味ではなかったのがわかります。なぜ作曲家は、この音を高くし、この音を低くしたのか?そこには何か理由があるはず。大抵は、重要なキーワードに高音がついていたり、感情が爆発するところについていたりします。低音は気分が暗いところに、などなど。その場に応じて、音高に与えられた意味も考えながら、テバルディは歌っていたのです。

「将来あなたのお嫁さんになる人が現れたら・・・」のくだり。"sposa ti sia, sposa ti sia, io vo..."には1度目の方にクレッシェンドがついているので、テバルディは相当強く歌っています。"dille che dono ell’ è,"には"crescendo accentato con passione"という指示が。「クレッシェンド、かつ情熱を持って抑揚を付けて」です。テバルディはその通り歌っています。そして、"di chi nel ciel fra gli angeli"はクレッシェンドで"fra"あたりで最強にするように指示があります。確かにクレッシェンドがかかっていますが、"fra"なんて前置詞に強勢を置くようなのは本来、相応しくない。テバルディは"angeli"(2点イ♭)を弱音でこの上なく美しく歌って(テバルディは「天国」が関わる言葉は極力美しく歌う人でした)、こちらの方を目立たせています。こういう遺言をされても微妙なのですけど、(何だか見張られているみたいですよね)彼女はとにかく、「幸せを祈り続ける」ということを言いたいのですね。"prega per lei, per te."はまた弱って、震えた声に戻しています。

次はだんだん重唱に入ります。大きな指示は、こんどは、まさにこの"di chi fra gli angeli"の箇所についています。クレッシェンドして"aaaaaan(-geli)"が最強になるように指示が出ています。(何と、フォルティッシモ!もうすぐ臨終の人ですよ?)テバルディはその通り歌って、最後のメッセージを必死で伝えるヒロインの姿を描き出します。歌い終わると、大きく息をつく。苦しげに。(普段はどこでブレスを入れているのかわからないような人ですから、これは「効果音」なのです。)

最後の最後。"È strano!"には(rianimata)「再び活気づいて」のト書き。"Cessarono gli spasimi..."以下の、音高の同じフレーズには(parlando)「語りで」のト書き。"Ah!, ma io,"はクレッシェンド。 "ah! ma io, ritorno a viver!"にはト書きで(agitatissimo)「非常に興奮して」"Oh gioia!"には何も指示がありません。が、"giooooooooo"が2点ロ♭まで上がり、"-ia"で2点イ♭に一音下がる。高音なので、また必然的に目立つようになっています。その後、すぐ彼女は息を引き取ってしまう、というわけですね。

ここのテバルディも聞き物です。"gli spasimi del dolore"あたりは強めの声で、しかし不安定に声を前に出したり引っ込ませたりしながら半ば語っています。"in me, rinasce, rinasce"は"in me"が弱いけれど、後はほとんど叫びそうな勢い。"m' agita insolito vigor"は"m'agita"が強く、"insolito vigor"で引っ込む。こういうの、どこかで聞きませんでしたか?そう、ミミの死に際です。声の強弱を意図的に強めたり弱めたりして、不安定な調子を出すのです。こうすると、よろよろよろめきながら歩いて、最後ばったり倒れてしまう人の姿を見るような感覚がしてくるのです。テバルディは、歌声で、絵が描ける(それも、色彩付きのアニメーション)ような人だったのです!"Ah!, ma io..."からは、スコアの指示通り。"Oh! gioia!"はもの凄い迫力ですが、最後は急に声が途切れている。絶妙のラスト。

彼女の『椿姫』を、装飾が歌えていないからと言って無視するのは・・・本当に私個人について言えば、馬鹿だったなと。


次回からは、ちょっと大変な冒険を。何が出るかは見てのお楽しみです。

 

 

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追記:今日の午前中の投稿では二番目の動画のタイトルを抜かしてしまうミスがありました。お読みになった皆様も「?」困惑なさったことかと。修正いたしました。お詫び申し上げます。