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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1952年 ミラノ・スカラ座での『ファルスタッフ』 (3)

1952年5月、ミラノ・スカラ座で上演された『ファルスタッフ』の第三幕からの音源のご紹介です。

1. ヴェルディ 『ファルスタッフ』 第三幕 第一場 "Reverenza, La bella Alice"


ファルスタッフがさんざんな目に遭わされたのをぼやいているまさにその時に、クイックリー夫人が第二のお役目でまた出動。今度はその様子を関係者一同が影から覗いている、というわけです。

ここのクローエ・エルモが上手い。立派な声が出ている上、"Povera donna!"という決まり文句の後、(ここはどのメゾソプラノも大げさに歌いますから)"V' ama, Leggete"で声を和らげて、ファルスタッフを巧みに誘導。次のシリーズは『アイーダ』のスタジオ録音の予定ですが、アムネリスのエベ・スティニャーニの貧しい声が残念なだけに・・・。この人が起用されれば良かったのに、と思ってしまいます。

"Amor ama il mistero..."のくだりも歌詞に相応しい歌いぶりです。"Il cacciatore nero s' è impeso ad suo ramo"には"cupo"「暗く」の指示が出ているので、エルモの歌も暗い音色。"V' ha chi crede vederlo ricomparir..."は音高の上がるのに従っておどろおどろしげな調子を出している。こんな立派なメゾソプラノがいたのに、スティニャーニ?なぜデッカは彼女を起用したのか・・・?

その、エルモが「黒い狩人」の物語をファルスタッフに語りながらガーター亭に入っていって、声が聞こえなくなるので、その後を受けてアリーチェがそれを続けます。"Quando rintocco della mezzanotte"からは"voce grossa" 前の幕でファルスタッフ自体が"grosso"と形容されていましたが、この場合、「大声で」ということではないでしょう。「重々しい声で」ということだと思います。現にテバルディはそう歌っています。

ただ、テバルディは「重々しさ」一辺倒で歌っていません。不気味な調子を巧みに作り出している。強弱記号は一切ついていないので、彼女の裁量です。

"Quando rintocco della mezzanotte"は歌い出しは弱めに、"mezzanotte"を強めに。次のフレーズは"sparge"と"orror"を強調気味に。"Sorgon gli spiriti..."のところは絶妙で、"spirti"の"i"をキツ目に歌ってまた不気味さを出す。"vagabondi"は"-bondi"を若干弱めに、"fronte"では最後の"-te"を震わせるという凝りよう。全てが、怖ーい話を聞かせるのに絶大な効果を上げているのです。

"E vien nel parco"はまた抑え気味に歌い、"il nero Cacciator"は、また"-tor"を震わせて不気味さを出している。ここのフレーズには"cupo"「暗く」という指示はありますが、ここまで細かく細部を工夫しろとはまるで書かれていない。テバルディは・・・上手すぎる。

"Egli cammina, lento, lento, lento"は1点ロ音という低音ですが、言葉の発音までくっきり聞こえます。ライブですよ・・・?!そして、そこに暗いトーンを付けているので、不気味さがますます際立ちます。この音高のまま、"Nel gran letargo della sepol(-tura)"まで続いて、後は微妙に上下。テバルディの声の強さは変わりません。はっきり響いています。しかも、「汚い」というのとは違う。「暗く、不気味」なのです。それが、怪談を物語るのにこれ以上効果的なことはなく、「ただの美しい声」には「何も表現できない」とかいう誰かさんの言いぐさが滑稽きわまるものだという証明でもあるのです。

「ホントに怖くなってきたわ」という娘とメッグの言いぐさに「やだぁ、ただの子供向けのおとぎ話だってば!」と言わんばかりにガラッとトーンを変えるテバルディ。「美声の歌手は何も表現できない」?馬鹿げたことは言わない方が身のためなんですがね。ここは"con voce naturale"「自然な声で」と"con brio"「快活に」とありますから、指示に従ったまでではありますが、それでもここまで素早くトーンを変えられて、それが美声のままなのですから、驚愕します。要所にアクセントの指示はありますが、ほとんどスタッカートしているのではないかというくらい弾んだ歌になっています。

でも、本当のスタッカートとは違う。その後、3人が声をそろえて"Vendetta di donne non deve fallir."がスタッカートだからです。明らかに歌い方が違いますね。要するに、前のフレーズは、弾んだ調子を出すためにレガートを避けて、でもスタッカートほど派手にしない、という微妙なことをやっているのです。

その後、「前の調子に戻って」という指示があって、怪談の続きを語るときは、テバルディはまた、不気味な調子に素早くトーンを変えます。"S’ avanza livido e il passo converge al tronco ove esalo l’ anima prava."は"tronco ove esa-"に強アクセントが入っていたりしますので、割合強いまま歌っていますが、次のフレーズの入りで不気味に声を抑える。(指示はありません)"Sbucan le Fate. Sulla fronte egli erge due corna lunghe, lunghe, lunghe..." "Sulla fronte..."からは特に声を抑えませんが、"lunge"の発音も絶妙。イタリア語の"l"は英語と同じ仕組みで発音すれば同じような音が出ます。舌の先を上の歯の歯茎あたりにしっかりと付けたまま、縦に長く伸ばす。すると、舌の両脇に隙間ができます。ここから息を出すことによって発音する。このとき、舌は絶対に歯茎から離してはいけない。これができないので、日本人は"l"らしい"l"が発音できない方が多いのです。このとき、舌を固定する場所を少し上あごの奥の方にする、あるいは、舌を固定している面積を広めにすると、暗めの"l"が出ます。テバルディはこれをやっている。

「寝取られ男には角が生える」というヨーロッパに広く伝わっている伝承のいわれは私にもわかりませんが、それをファルスタッフへの復讐と考えたフォードは妻のアイディアに喜びを隠せない。それに対するアリーチェの返事。"Bada! tu pur ti meriti qualche castigatoia!" Bada!の後は、"con calma"「穏やかに」という指示がありますから、いかにも責めているような調子にはするな、と。ですが、テバルディの歌は、"Tu pur ti meriti"までがむしろ強いです。こちらのフレーズの方が音高が高いので、強く響きすぎたけれど、後ろも強くしなければならないのを忘れたのか、敢えてこうしたのなら、多分、娘を、彼女が愛してもいない男と結婚させようとしている夫に対する罰が待っているのを知られる気遣いはないから、むしろ常軌を逸した嫉妬は私に対する信頼が欠けているんじゃないの?と、テバルディは責める方にしたのかもしれません。ただ、これはスコア通りとは言えません。

フォードの反省の返事にもまたアリーチェは続けるのです。「強すぎる嫉妬は困るのよ」という趣旨のことを。"Ma guai se ancor ti coglie quella mania feroce"ここもテバルディはスコアとはむしろ逆をやっています。最初の"Ma guai se ancor ti coglie"までが強い。実はフォルテの指示があるのは"quella mania feroce"の方なのです。テバルディはむしろこちらに少々滑稽な調子を付けて音量は落として歌っている。前のフレーズは"guai"が入っているので警告です。だからむしろこちらを強くした。そして、「荒っぽい妄想」は次に続けるフレーズにその具体的な内容が出てくるので敢えてこうしたのでしょう。こちらは音高の問題ではなく、明らかに特別な表現が声に入っていますから。"Dei cercar dentro il guscio d’ una noce l’ amante di tua moglie." (人が入れそうもないような隅っこまで)「あなたの妄想の中の私の愛人」を探すようなことをするなら、という趣旨ですから。実際、このフレーズはピアニッシモの指示が出ていて、最初の"Di cercar dentro il guscio d' una"までスタッカートで軽く歌うように指示が出ています。「荒っぽい妄想」は言葉通りの意味なら、それは強烈ですが、むしろ、ここではからかいの対象になっている。だから、テバルディは敢えてフォルテで歌わなかったのでしょう。

"Ma il tempo stringe e vuol fantasia lesta."は"recitativo"の指示が出ているので、テバルディはその通り歌っています。

さて、その後は皆で仮装の相談やら、道具だての用意の注意やら。ですが、仮装についてはアリーチェがリーダーシップを取ります。まず、娘の仮装を指示するところですが・・・これが本来のテバルディ。(スコアの指示はありません)美しすぎる・・・。"Sarai la Fata Regina delle Fate, In bianca vesta chiusa in candido vel, cinta di rose."何しろ、美しい装いなので、こうなるのでしょうが、この歌ほど美しく見えなかったらどうする?というくらい美しい・・・。ここの場面だけでも彼女はどれだけの音色を駆使していることか!「ただの美声」?それこそ、下らない嫉妬でこれ程の歌手を貶める方々の良心に問題があるのですよ!

その後はメッグとクイックリー夫人の衣装について。"Tu la verde sarai Ninfa silvana, E la comare Quickly una befana."メッグの方は少々威厳のあるような、しかしやはり美しいトーンで歌っています。結局、仮装する人に相応しい音色にわざわざ変えているのですね(!)。クイックリー夫人はちょっと可哀想ですが、笑いを取るキャラクターとしては相応しいといえば相応しい。そして、テバルディの歌も笑い混じり。(ここもスコアに指示無し)

そして、ひとしきり歌う場面が。第三幕でファルスタッフは散々突っつかれていじめられますが、そのためにアリーチェは一団を連れてくるというのです。"Avrò con me dei putti che fingeran folletti, E spiritelli, E diavoletti, E pipistrelli, E farfarelli. Su Falstaff camuffato in manto e corni ci scaglieremo tutti." "Su Falstaff caf(-fato)"まではずっとスタッカートで歌わなければなりません。しかも"leggero"「軽やかに」の指示付き。当然です。妖精達が突っつくさまを描いているので。まぁ、見事にその通りになっている。テバルディはスコアの指示が至極適切なときに無視する歌手ではなかったのです。前の方ではやはり彼女自身の裁量で、「この方が良いんじゃないかしら」と思ってスコア通りにしなかった可能性が高い。

"E lo tempesteremo Finch’ abbia confessata la sua perversità."は、"(tempeste-)re(-mo)"にアクセント、"(confes-)sa(-ta)"にもアクセント。最後の"-tà"はポルタメントして次のフレーズに続けろと。字幕は切ってしまいましたが、テバルディは見事にポルタメントしています。

その、次のフレーズはなかなかテバルディの通常のレパートリーでは聞けない面白い箇所。"Poi ci smascherremo e, pria che il ciel raggiorni, "con grazia"なので「優美に」なのですが、音高が上下するので、↘ ↗ ↘ ↗ ↘ ↗ というまるで、ラジオ体操の伴奏のような(あれはしかるべき動作にしかるべき音画を付ける工夫がされていますね。)上下動が入る。やっと、"pria che il ciel raggioni"でなめらかなメロディーラインに。しかし、テバルディはビロードの美声のまま、これをやっている。はっきりと上下動しているので、特殊な感覚に聞こえるのです。"La giuliva brigata"は "La giuliiiii(-va)"で1点ロ音からオクターブ上の2点ロ音まで急上昇。"iii"と伸ばしている間に音高を下げつつ、スタッカート。こういうのは、実はリリコ・スピント向きではありません。レッジェーロなリリック・ソプラノ向き。ですが、この頃のテバルディは実践しています。ただ、"liiiii"で音高を上げると音がキツく響く(イタリア語の"i"は日本語の「い」より鋭いからです)し、歌いにくかったのでしょう。"Laaaaaa"で音高を上げるように、歌詞をずらして歌っています。別に、それで構わないかと。どの歌詞をどの音に当てるかは、オペラでは、割合ガチガチに決められていない模様なので。

"Se ne ritornerà."はソフトに、軽ーく歌われている。「お家に帰る」、ので。重厚な響きを圧倒的な迫力で聞かせることだけが、テバルディの持ち味ではなかったのです。こういう歌も楽しませてくれるだけの実力を持っていた。やはり、こういうビロード&軽妙&あるときは威厳たっぷりのアリーチェはそうはいない、と言って良いと思います。

その後は、皆で別れの挨拶をした後、注意事項を確認。その間、フォードはカイウスに「ちゃんと娘と結婚させるから」と請け合う。それを立ち聞きしたクイックリー夫人は・・・しかるべく先手を打つ用意をするのです。が、ここでこの動画は切りました。


2. ヴェルディ 『ファルスタッフ』 第三幕 第二場 

"Anzi rinnova come fa la luna"


ちょっと、最初のフェントンとナンネッタのデュエットを残したら、ここの二人の声がもともと大きく入っていたので、他と違う調整の仕方はしなかったのですが、音が割れてしまいました。お詫びします。

ここを残したのは、すぐ後にテバルディの入りがあるからです。別に意地悪で遮るのではなくて、早めに準備させるため。フェントンにしかるべき衣装を着せます。

アリーチェの長めのパートは"Il tradimento che Ford ne minaccia tornar deve in suo scorno e in nostro aiuto" ここは"parlante"の指示があるため、語り調です。最後の"(a-)iuto"だけポルタメントするので、歌うように聞こえます。テンポが速めなので、あっという間に過ぎてしまいます。

次。"Ubbidisci presto e muto. L’ occasïone come viene scappa." ここは"L' occasione come"までスタッカート。うーん、全体がスタッカート気味ですね。その後は、クイックリー夫人に確認するだけなので、特にということはないです。

そこへファルスタッフ登場の気配。皆隠れます。ファルスタッフが現れたらしばらくは彼の一人舞台。やがてアリーチェが現れる。テバルディ、明るい声で呼びかけますが、適当にいなしてしまう。今度はあまり時間を取らずに懲らしめにかかる予定だからです。

メッグのことを持ち出しても、ファルスタッフは今度は悪びれもせず、二人とも相手にしようという鉄面皮ぶり。なので、メッグが叫び声を上げて助け船を出す。それを受けて、"Un grido! Ahimè!"これにはト書きで(fingendo spavento)「驚いたふりをして」とあるけれど、"senza misura"「リズム抜きで」の指示もある。テバルディは半ば語りで、"Ahimè!"の方を強くして、「驚いたふり」を演出。こちらは"(Ahi-)mè"だけ4分音符なので、長めでも構わないのです。

その後も困ったふりを続ける。指示のあるのは"Il ciel perdoni al mio peccato"で、最後の"(pec-)cato"を除いて全部スタッカート。「神様お許し下さい」なのにスタッカートでポンポン切るのは・・・。結局、「ふり」だけで、ふざけているからですね。ですが、テバルディは語り調のままで、特にスタッカートで歌うということをしていません。「ふり」でも本当らしく驚いているのを続けるのがこのときのテバルディのアリーチェ。ここで一旦切ります。


3. ヴェルディ 『ファルスタッフ』 第三幕 第二場 "Alto là!"


先ほどの場面の後はナンネッタ扮する「妖精の女王」の独演会なので、カットして(カルテリのファンの方、ごめんなさいませ。ここはテバルディの庭ですので・・・。)バルドルフォが一同に呼びかけていよいよファルスタッフを懲らしめにかかる場面から。

といっても、ここはほとんどアンサンブルなので、テバルディがソロで歌う箇所は余りありません。但し、"pizzica, pizzica..."とやるところの歯切れの良さ(全員)とそろい方、ファルスタッフに反省しろ、と迫る "Domine fallo casto!"以下、"Domine"が入る歌詞の繰り返し部分の重々しさ(これも全員そろっています)の対比。勿論、"domine"は、ファルスタッフの"addomine"「腹」だけは助けてくれ、と韻を踏んでいます。

全員でさんざんな目に遭わせるのですが、バルドルフォを見破ったらすぐ悪口雑言。だから、ファルスタッフが本当に反省しているかどうか?怪しいものです。

ともかく、以前「フォンターナ」と名を偽ってファルスタッフを偵察に来たフォードに助けを求めるけれど、ここで、アリーチェの決めぜりふ。"Sbagliate nel saluto, Questo è Ford, mio marito." 「この人は私の夫。」(残念でした、という気分が入っているのですね。)"Ford"だけが目立つのはここだけ2点ヘ音で、2分音符だからです。"(ma-)riiiiiii(-to)"はテバルディさん苦手のトリル。頑張ってやろうとしているのはわかるけれど、できてないですね。ま、ここは決めぜりふなので、出来映えがどうだろうと、入れないと、と考えました。

直後でカット。この後、そのフォードが、無理矢理ナンネッタをカイウスとめあわそうとした計略の裏をかかれて、ナンネッタとフェントン、カイウスとバルドルフォの2組の「カップル」を祝福してしまい、彼も嗤われて「罰」を受けるけれど、最後はフォードも含めて皆で若い二人を祝福。

フィナーレは有名な "Tutto nel mondo è burla"「この世のことは皆馬鹿騒ぎ」という何やら悟りきったメッセージで終わりますが、これ、何しろヴェルディ最後のオペラですから・・・。

ここはフーガ形式で作曲されているというのも有名ですが、そういうのって、字幕スーパーで切れ目を付けるのが難しいのです。しかも、全員入ってくるので字幕が入れづらい。よって、省略させていただきました。今後もそうなるでしょう。このオペラをきちんと鑑賞なさりたい方は、是非CDをお買い求め下さい。

結局、アリーチェはほとんど、アンサンブルの一員なのです。少々目立ちますが、クイックリー夫人とあまり活躍場面の多さは変わらない。(クイックリー夫人は最初のお使いに行く場面で大活躍して、笑いを取るのですから。)それでも、テバルディは、浮きもせず、しかるべき場所でしかるべき表現をしている。決して手を抜いていなかったのです。自分さえ目立てば良いという悪しきプリマ・ドンナの見本とはまるで違ったのです。そして、駆使されている音色の多彩さ・・・。驚くべきものがあります。


というわけで、またですが、比較動画シリーズを作りました。今度は動画自体は短いです。「非常に詰めが細かい」と思われている、エリーザベト・シュヴァルツコプフとの比較。あちらは、スタジオですから、テバルディの方がハンデがあるのですが。