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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

『ファルスタッフ』聞き比べ (2)

さて、テバルディとエリーザベト・シュヴァルツコップフのアリーチェの聞き比べ、第二弾です。

2. ヴェルディ 『ファルスタッフ』 "Gaie comari di Windsor"


極力2人の表現の比較に徹するため、他の歌手の歌う部分やアンサンブルはカットしてあります。今回は、例の「ヤラセ密会」の直前から、その途中までの何カ所かを切り取ってきました。

まず、「逢い引き」の直前にアリーチェが割合長く歌う箇所から。"Gaie comari di Windsor è l' ora"からです。

"Gaie comari di Windsor"はピアニッシモだけれど"mezza voce"「半ばくらいの声で」という指示も。困りますね。こういうの。"Gaie comari"はスタッカート。"L' alta risata che scoppia scherza"は"(ri-)sata che..."から"leggerissimo"「ごく軽く」、"Che sfolgora..."の頭にはフォルテです。

テバルディから。"Gaie comari..."は抑えめに始まる。指示が指示なので。"che scoppia, che scherza"は「ごく軽く」というよりは、完全にスタッカートで歌っています。"Che sforgola"はちゃんとフォルテになっている。

その後の部分。"Gaie comari festosa..."で始まります。ここは"Gaie co(-mari)"までスタッカート。"Sul lieto viso" "Spunti il sorriso" "splenda del riso"は皆最後の語が韻を踏んでいる。それをヴェルディは生かしています。どのフレーズも最初の三音節がスタッカートで、"vi(-so)" "(sor-)ri(-so)""ri(-so)"にアクセント。"(Fa-)villa"はフォルテで、デクレッシェンドして、"favilla incendiaria di gioia"は何とピアニッシッシモ。"nel l'aaaaaaaaaa" はずっとスタッカートで、"-ria"はハイCまで上がる。"Di gioia nel cor"は途中に装飾が一カ所入るだけ、で終わる。

テバルディの歌は、アクセントの箇所できっちりアクセントを付けて、ピアニッシッシモとまではいかなくても、声を落としている。スタッカートもしている。例のスタッカートしながらどんどん音高が上がってハイCになる部分はまさにその通り。

何しろ、「陽気なお仲間達、思いっきり笑う時間よぉーー!」と景気よく宣言する箇所です。しかも"leggerissimo"とか指示も出ている。ここのテバルディは、いつもの重厚さや深刻さは(そういうヒロインを歌うことの方が多かったですから)はかなぐり捨てたように、軽やかで、とにかく明るい。「こんな声が出るの?」というくらい、リリカルで、パーッと光が差しているようです。鑑賞録の方でも書きましたが、大変な美声に唖然呆然。

では、シュヴァルツコップフさん。・・・彼女をいじめるのが私の目的では断じてないのですが、テバルディの後で聞くと、どうしてもアラが目立つのですよ・・・確かに最初はピアニッシモですが、この方の問題は、それを音量ではなく、歌い口を妙にひねって表現しているところ。"Gaie comari di Windsor"の歌い方からして気になる。最後の"Windsor"を最後までしっかり歌いきらず、短めに切り上げるということをしている。「抑えめ」を「控えめ」に、添えるように歌うことで解決する?でも、ここは「さぁー皆、喜劇の始まりよぉーー!」なので、控えめにしてどうするのでしょう。声を抑えれば良いという、素直なことをどうしてしないのでしょう?理解に苦しみます。

そして、"L' ora d' alzar la risata sonora"・・・テバルディの、「お母さん」にしては若い娘のようなすっきりした声と比べると、この方の声が老けて聞こえるのは???あ、年齢のせいですね。テバルディは30歳丁度でした。こちらは録音時41歳です。ですが、テバルディの声は、いつもは実年齢よりずっと臈長けて聞こえるのが普通でした。だから、『蝶々夫人』を15歳らしく歌うなどということはさっさと放棄したのです。スコアの要求に従うなら、それは無理なので。でも、このように、溌剌とした調子を出すときは、声から重々しさを完全に抜き取ることができたのです。シュヴァルツコップフはそもそもリリック・ソプラノだから、もっと若やいだ歌を聞かせることは十分可能だったはずですが、「景気の良い宣言」には聞こえない。テバルディの途方もない美声の後では・・・だみ声に聞こえても仕方ないのです。

次、"L' alta risata che scoppia, che scherza"この方も"che scoppia, che scherza"はスタッカートしていますね。ここの違いは、"scherza"の歌い方。8分の6拍子で、"scheeeeeer-"は付点2分音符と付点4分音符がタイで結ばれています。"-za"は8分音符一つだけ。さらに、それまでの"risata che scoppia che"までが8分音符の連続。なので、テバルディは少々大げさに聞こえるくらい「スケーーーーーーール」とやってから「ツァ」と一瞬だけれどしっかり歌って次のフレーズに移っています。実は、シュヴァルツコップフも最初はピアノを習っていたのです。ですが、テバルディほどはっきり音符の長さの違いを出せていない。指揮のテンポの問題もありますので、彼女だけの責任ではありません。ありませんが・・・「詰めが細かい」?

"Che sforgola"のフォルテは、2人とも1点ホ音の"Che"がほとんど聞こえないのでそれは同じです。フォルテの指示はこちらも守っている。ただ、"scherza"をまた添え物のように早めに切り上げるのは?彼女にとっては、これが「喜劇的な歌」のあり方だったのでしょうか?・・・これじゃあ、劇場では聞き取れないでしょう。細密画的で、オペラティックな歌とは違う。テバルディの方はまさしくライブなので、最後までしっかり歌っています。それが「オペラ」の歌い方だと思いますが・・・。

"Gaie comari, festosa brigata"こちらはほとんど大差ありません。"Sul lieto viso spunti il sorriso, Splenda del riso, l’ acuto fulgor!"のアクセントもきっちりついています。問題はやはりフレーズの締め方。テバルディが「フルゴーール」とくっきり最後まで聞かせているのと違って、そそくさと次に移ってしまう。丁寧な歌唱とは感じないですね・・・。

"Favilla, favilla incendiaria di gioia nell’ aria, di gioia nel cor." 最初の"Favilla"が強くて次からピアニッシッシモ、というのは、シュヴァルツコップフの方が然るべくできていると思います。"nel' aaaaaaaaaaaa"は、とにかくこちらはコロラトゥーラから役らしい役をもらったのですから、当然完璧にスタッカートしながらハイCに持って行っている。むしろ、テバルディにこれができていたことの方が驚きだったのです。最後の"Gioia nel cor"も実はシュヴァルツコップフの方が正しい。「ジョイアーーーーーーー」と歌うべきで、その「イア」の前に前打音の装飾がつく。テバルディは「ジョーーーイアーーーーー」とやってしまっていますので。前打音をやはり「イア」に付けようとして、少々前にゆとりを置きすぎたのです。ただ、"nel cor"のテバルディの声がほとんど笑っているくらい明るく響くのに、シュヴァルツコップフはそのまま。それだけは残念です。

その後のやりとりをカットして、"E mostreremo all' uom che l' allegria" "(al-)l' uom che l' allegria"に飛びます。ここは一音節ごとにポルタートで、最後の"a"に強アクセント。"D' oneste donne..."のフレーズには特に指示はなし。"Fra le femmine quella è la più ria, che fa la gattamorta." は"fe(-mmine)"にアクセント、"quella"に強アクセント、かつ"quella è la più"まで一音節ごとにポルタート。"Che fa la gattamorta"は"ingrossando la voce"「声を膨らませながら(?!)」の指示。

テバルディ。"all' uom che l' allegria"はやはりポルタートというよりはレガートで歌ってしまっている。次の"D' oneste donne d' ogni onestà comporta"は歌詞に相応しく、少々重々しげに歌っています。特に最後の"comporta"がかなり重厚。「まっとうな女のまっとうな振る舞いのありよう、全部」なので。"Fra le..."のアクセントはその通りついている。その後"è la più ria"で声量を落とし、"che fa la gattamorta"は、頭でもぐるっと回しながら歌っているような調子で歌っているのでした。

シュヴァルツコップフ。こちらも"all' uom che l' allegria"はレガートですね。・・・歌でポルタートはやはり無理でしょう。誰かがやっている、明らかにできている、とはっきり思える歌に逢ったことがないという気がするのです。ただ、この場合彼女は"allegria"の最後が強アクセントなのに、むしろ声の響きを薄くして、何だかすくい上げているような調子をつけています。何の意味が???わからないまま次へ。"D' oneste donne d' ogni onestà comporta"テバルディは元々重厚な声を持っていたので、ああいうことができました。こちらはそのままの調子で歌っています。歌詞の意味を十分表現するとしたら、これでは不十分ですね。テバルディを聞いてしまった後で、の話ですが。一番問題なのは、彼女も非イタリア人の歌手によるイタリア語の歌唱に問題を抱えていたことがわかること。"comporta"が「コンポルタ」ではなく「コポルタ」になってしまっています。口が滑っただけかも知れませんが、ここだけではないので・・・。あとで出てきます。

"Fra le femmine quella è la più ria, che fa la gattamorta" こちらも "femmine"と"quella"はしっかり前に出してアクセントがついていることがわかる。そして、"è la più ria"をテバルディが(多分故意に)音量を下げているのに対し、シュヴァルツコップフはくっきりと歌っています。「最悪なのよ」だから、それはそれで理解できる。なぜテバルディがここを引っ込めたのか、かつ、"ria"の"a"がまた非常に明るい。結局、"gattamorta"するのが「最悪」なのだから、でしょう。"gattamorta"な人をイタリア人がどう受け止めるのか、そこまでは辞書の定義だけではわかりません。テバルディはとてもユニークな歌い方をしていました。一方シュヴァルツコップフは字義通り解釈するしかなかったのでしょう。ストレートに歌っていて、特に表現を付けていません。そして、問題は、リリック・ソプラノが抱えやすい難点。低音が綺麗に出ない、ということです。ここは1点二、へ、ホ、二、ハと移行しながら歌う低音域。テバルディはライブでもちゃんと声が入り、特殊な表現を付けるゆとりさえありました。が、シュヴァルツコップフの低音は・・・いただけないですね・・・。

ここで一旦カットを入れて、ファルスタッフの登場後の場面。彼の「あなたを飾り立てたい」という(ケチな彼がそういうことをするはずはないのですが)大仰なお世辞で迫るのをやんわりかわす場面。

"Ogni più bel gioiel mi nuoce e spregio il finto idolo d’ or." "dolcissimo con grazia"ここは「この上なく甘美に、優雅に」の指示。ポルタートはあっても、テバルディはレガートで歌う。とにかく、テバルディは中低音域が他のソプラノよりダントツに美しく、ここの"e spregio il finto idolo d' or"の美しさは・・・何と書いたら良いのか、表現のしようがないくらいです。"Mi basta un vel legato in croce, un fregio al cinto e in testa un fior."の方は前のフレーズより高音域なので強く、キツめに響いていますが、ライブではこのくらい声が出ないと劇場に通らないでしょう。"e in testa un fior"でまたビロードに戻る。この締め方が可愛らしすぎてまた「お母さん」でなくなっているような・・・。

その後はライブだけに、ファルスタッフが邪魔になって、テバルディの合いの手は聞こえにくくなっています。やっと聞こえやすくなるのは"Se tanta avete vulnerabil polpa."何の指示もありませんが、テバルディはからかう調子を出すために、"vulnerabil"の"-bil"の"i"を普通以上にキツ目に目立たせて少々意地悪を。更に"polpa"を弾むように歌って、風船のような太鼓腹を突っついているような調子を出す。まるで、人差し指で腹の真ん中をツンと一押ししているかのように。

シュヴァルツコップフ。"Ogni più bel gioiel mi nuoce e spregio il finto idolo d’ or." "nuoce"を少々たおやかに歌って、誘惑しているような調子をつけています。他は特に・・・。"Mi basta un vel legato in croce, un fregio al cinto e in testa un fior." "un vel"や"un fregio"の響きをわざと薄くしていますね。これも彼女としては誘惑的な効果を狙ったのでしょう。「ヴェール」と「フリーズ」をソフトに歌って、際立たせる。でも、それで気づいてしまったのです。テバルディも同じことをしていたのです!ただ、逆のやり方で。彼女の場合は、響きをむしろ強くして、この2つを前に出している。どちらが素直で、劇場向きだと思いますか?声を引っ込めてしまうと、聞こえない可能性が高くなりますから、出した方がいいのです!その次。"e in testa un fior" の"e in testa un"の「可愛い」ニュアンスの付け方は、少々わざとらしすぎて、やり過ぎ感が。

その後。スタジオだから、やりとりがはっきり聞こえます。それが、あだとなった。"Ebben?"は「エッベーン」という風に発声しなければならない。が、この方は「エベーン」になっています。結局、彼女も非イタリア人歌手が多く抱える「二重子音で詰まれない」という問題を抱えていたのです。"peccato"も「ペッカート」でないといけない。この方は「ペカート」になっている。この方は割合イタリア語に問題が無かったと思っていただけに、意外でした。次。"Se tanta avete vulnerabil polpa."ちょっと"polpa"の最後が切れてしまいました(トラックがここでばっさり切られていたのです。多分、ファルスタッフの歌がほとんど同時に始まってしまったのでしょう。)確かなのは、"vulnerabil"でテバルディのような凝ったことはやれていないし、(むしろ"-bil"は消えています)"polpa"はやはり太鼓腹を彷彿とさせるようなニュアンスを加えていますが、テバルディのようには顕著ではないということです。

むしろ、「詰めが細かい」のはテバルディ・・・ではないでしょうか?

3. ヴェルディ 『ファルスタッフ』 "Quando il rintocco della mezzanotte"

 

次はいきなり飛んで、例の「怪談」を語るシーンから。頭に"voce grossa"「重々しい声で」という指示があり、時々アクセントなどが入るけれど、あとは歌手が工夫しないといけない場面です。

テバルディ。"Quando rintocco della mezzanotte"は歌い出しは弱めに、"mezzanotte"を強めに。次のフレーズは"sparge"と"orror"を強調気味に。"Sorgon gli spiriti..."で、"spirti"の"i"をキツ目に歌ってまた不気味さを出す。"vagabondi"は"-bondi"を若干弱めに、"frotte"では最後の"-te"を震わせる。"E vien nel parco"はまた抑え気味に歌い、"cupo"「暗く」という指示のある "il nero Cacciator"は、"nero"を強めに出した後、また"-tor"を震わせて不気味さを出している。

"Egli cammina, lento, lento, lento"は1点ロ音という低音で、ライブだけれど、発音までくっきり聞こえる。そして暗澹たるトーンを付けているので、不気味さが際立つ。その音高のまま"Nel gran letargo della sepol(-tura)"まで続いて、後は微妙に上下。テバルディの声の強さは同じで。はっきり響いているけれど、中低音に厚みのあったテバルディの声で前に出しても、汚くならない。ただ、「暗く、不気味」な効果は十二分に出ている。テバルディの"S' avanza livido..."はくっきり響いているのに、カルテリの"Oh! che spavento!"はやっと聞こえる程度。まあ、怖いから声を落としたということでしょうが、結局、オケが鳴るとライブでは、それなりに声を前に出さないと、聞こえないのです。

シュヴァルツコップフ。"Quando rintocco della mezzanotte"で"mezzanotte"が強めなのは同じなのですが、今度は怪談にしては歯切れ良く詰まりすぎ。「詰まったり、詰まらなかったり。」では困るのですが・・・。"Cupo si sparge..."で特に工夫といえば"orror"の歌い方。ただし、「オッローール」であって、「オローーール」ではないのですが・・・。こちらはほとんど「オルーーール」に聞こえるくらい、発音を変えています。ただ、この表現、私には「汚く」聞こえただけで、不気味という感じは受けませんでした。"Sorgon gli spiriti..."ではこれも"So"の"o"が故意にか、ミスでか、狭くなっている。別に効果的とは思えません。その後も・・・別に・・・。ただ、また"Cacciator"が妙に歯切れ良く「カッチャトーール」と詰まっている。これ、不気味ですか?歯切れ良すぎると、軽快になってしまうと思うのですが・・・。怪談は、陰気くさく、重々しい表現の方が向いているでしょう。

"Egli cammina, lento, lento, lento"は低音だけに、スタジオなのに、カラヤン先生のオケの轟音の後ろから聞こえる、という感じで、これじゃあライブじゃ、テバルディほど響かなかったでしょうね、と。彼女の方は、はっきり声が前に出ていますから。発音も"lento"がまるで"lenta"に聞こえるのが妙。"Nel gran letargo della sepoltura, s' avanza livido..."こちらもオケの轟音の後ろから聞こえます。そして、ここ全体に言えるのですが、全然、暗さや不気味さが声に付けられていない。つまり、低音で歌い続けるので精一杯で、もっと不気味に聞かせる余裕がなかったのです。それは、やはり、テバルディくらい、ずっしり響く声の厚みが必要で、テバルディはそれを極力生かして、暗ーい声を出している。結局、シュヴァルツコップフはトーンの高いドイツ・リートではそれなりの表現が付けられたのでしょうけれど、こういう、ヴェルディの、アンサンブルが主のオペラでも要求は割合きついレパートリーは満足に歌えなかった、あるいは、もう峠を越えていた(41で?普通はそれはないです。テバルディは、全力疾走でスタートしたままでしたので、その頃ダウンしてしまいましたが)?ので、歌いきれなかったのです。

さて、テバルディ。「ホントに怖くなってきたわ」というメッグの言葉に、「子供向けのおとぎ話なのよぉ!」と軽快に種明かしして、本気にしないで、と安心させる部分。テバルディは見事なまでにガラッとトーンを変えます。ここは"con voce naturale"「自然な声で」と"con brio"「快活に」の指示。"Fandonie che ai bamboli raccontan le nonne, con lunghi preamboli, per farli dormir."本当に絶妙というか・・・もう、感心しすぎて絶句するしかありません。その後、3人が声をそろえて"Vendetta di donne non deve fallir."でスタッカートで歌う。まあ、この息の合い方も絶妙で、キャスティングも最高だったと。

その後、「前の調子に戻って」という指示。怪談の続きだからです。テバルディはまた、不気味な調子に素早くトーンを変える。"S’ avanza livido e il passo converge al tronco ove esalo l’ anima prava."は"tronco ove esa-"に強アクセントが入っていたりしますので、割合強いまま歌うけれど、次のフレーズの入りで不気味に声を抑える。(指示はありません)"Sbucan le Fate." 暗ーい声で怖い話をされている最中に、急に声を薄くされるとなんとなくぞくっとする効果があります。日本でもありますよね。「恨めしや~~~」みたいな。ああいうときは、声を弱々しくしてお化けっぽさを出しますから。 "Sulla fronte egli erge due corna lunghe, lunghe, lunghe..." "Sulla fronte..."からは特に声を抑えないで、"lunge"を暗めの"l"にして「ルーンゲ」「ルーーンゲ」「ルーーーーーーーンゲ」と、段々長ーくしていく。デ・サバタの指揮ぶりも素晴らしい。それをテバルディはちゃんと生かせているから、全体の演奏が素晴らしくなるのです。

フォードがアリーチェの案に気軽に喜びすぎるので、アリーチェは警告。"Bada! tu pur ti meriti qualche castigatoia!" Bada!の後は、"con calma"「穏やかに」という指示があるけれども、テバルディは、"Tu pur ti meriti"まではむしろ強い。その後、音量が下がる。彼女としては指示より音高の方に反応しすぎた歌です。前半をあれだけ強くするなら、低音に下がってももっと声を響かせたほうが適切だったと思います。

フォードの反省の返事にまたアリーチェは続ける。「余りにも酷い嫉妬は困るのよ」という趣旨のことを。フォルテの指示があるのは"quella mania feroce"だけれども、テバルディは"Ma guai se ancor ti coglie quella mania feroce"ここもテバルディはスコアとはむしろ逆をやっている。ここもむしろ音高に従いすぎた。ですが、こちらは明らかに声色から、"quella mania feroce"を何だか可愛く、ソフトに歌っているのがわかるので、これは意図があってのことで、音高が下がったから声が消えたのではない。次の滑稽な内容のフレーズと一連の続きを作るため、でした。"Dei cercar dentro il guscio d’ una noce l’ amante di tua moglie."このフレーズはピアニッシモの指示。更に最初の"Di cercar dentro il guscio d' una"までスタッカートで軽く歌う。さっきまで暗ーく歌っていて、フォードの無茶苦茶な嫉妬に警告するときは強靱な声。ここではスコア通り軽やかに、少々滑稽味をこめて「クルミの殻のうらまで探すようなことはやめてね!」と茶化す。その後は懲らしめの段取りの話になるので "Ma il tempo stringe e vuol fantasia lesta."は"recitativo"の指示そのまま、レチタティーヴォらしく歌う。短時間にこれだけの音色の使い分けが(しかも、それがライブでも明らかにはっきり聞き取れるように表れている)できる人・・・。私が音○○敵社と言っている某出版社の雑誌に、日本にわざわざ公演のため来てくれたテバルディの『トスカ』の映像について「大味」と書いてあったのは今も忘れていません。この人を「大味」としか感じられないライターの耳と感性の方に、大きな問題がある。ただ、それだけです。

シュヴァルツコップフ。メッグの言葉に対する返事。"Fandonie che ai bamboli..."この方がこの方にとっては楽だったでしょう。実際、楽そうですが、最後の"dormir"の音色が見当違いに暗め。というか、こういう声しか出せなかったのでしょうね。その後、3人で歌う所は、これだけ声の似た人たちを連れてきたにしては・・・何だか少しばらつきが感じられるような。

その後、怪談の続き。どうなることやら。"S’ avanza livido..." うーん、テンポが遅い割には"il"(聞こえません) や "Al"("A"になっています)がちゃんと入れられていない。どこかを敢えて薄くするなどという余裕はなかったご様子。そのまま"Sulla fronte egli erge due corna lunghe, lunghe, lunghe..."に突入。"l"を暗めにするなどということもしていません。だから、重みがない。この方の「怪談」は軽すぎるのです。そして、途中で声を震わせたり、わざと薄くしたりという工夫がまるで無い。「怪談」としては全く、なってないです。ドイツ語じゃないと、雄弁な表現ができなかった模様ですね。

フォードへの反応。"Bada! tu pur ti meriti qualche castigatoia!" Bada!の後は、"con calma"「穏やかに」という指示があるけれども、こちらも、"Tu pur ti meriti"が強く響いていますね。こちらは2点音域で、その後は1点音域に下がる。高音の方が得意な歌手はどうしてもこうなる。ですが、この方はその上まるで消え入るように歌っている。まるで、自信喪失みたいな歌です・・・。「自信喪失」と「冷静」は違う。それは明らかです。

フォードの反省の返事の後。"quella mania feroce"にフォルテの指示。"Ma guai se ancor ti coglie quella mania feroce" こちらは "coglie"こういう"gli"の「リ」はくっきり発音しなければならないのですが、流れてしまっています。そして、彼女の場合も"Quella mania feroce"はフォルテになっていない。ですが、テバルディが付けているような声色がついていないので、単に下がった音高に対応できなかったように聞こえてしまいます。次。"Dei cercar dentro il guscio d’ una noce l’ amante di tua moglie."ピアニッシモで"Di cercar dentro il guscio d' una"までスタッカートで軽く歌うのはいいのですが、何度聞いても"guscio"の片鱗も聞こえない。どうやら、入れるのを忘れた模様。更に、"moglie"でまた"gli"が出てきますが、こちらの「リ」も流れ気味。しっかり「リ」と発音しようという配慮がない。レチタティーヴォは・・・そのまんまです。とにかく、この場面、ここまで、薄味過ぎて面白くもなんともない。残念ですが。

さて、まるでおまけみたいですが、アリーチェがナンネッタの扮装を描写するところだけ入れました。"Sarai la Fata Regina delle Fate, In bianca vesta chiusa in candido vel, cinta di rose." テバルディは音高が上がるのに従って"Regina"を「女王」に相応しく強調して歌い、まるで花嫁衣装のような装いをこの上なく美しく歌っています。さっきまで怪談を不気味に歌っていた人が・・・。特に"il candido vel, cinta di rose"の美しさは筆舌に尽くしがたい・・・。こう歌われると、「娘」に花嫁のような(実際そうさせる意図があるのですから)装いをさせる母親の愛情まで感じられる。

ではシュヴァルツコップフ。彼女なりに美しく歌っていますよ、ですが、カラヤン先生のテンポに問題があるのでしょうが、あっさり歌いすぎて、感慨が感じられない。"Regina"を強く、などという考えはなかったようです。単に「こういう衣装を着なさいね」だけ、に聞こえてしまう。後に入ってくるモッフォの声が臈長けて聞こえすぎ、「娘」に聞こえません・・・。カラヤン先生はその時々で「お気に入り」の歌手がガラッと変わった模様ですが、この頃の「お気に入り」を、音色が同じでアンサンブルでそろいやすいという考えからか、同じような声質の歌手を集めてしまいました。それで、3人のキャラクターや年齢の差が出にくくなるということまではお考えにならなかったらしい。私はこの指揮者が、正直、「過大評価」されていると思っていますから、これからも書くことになります。この人が手がけたテバルディの『アイーダ』と『オテッロ』は、彼女の代表盤などでは決してない、と。カラヤン先生とウィーン・フィルを聞くためのセットですから。テバルディの歌を味わうには、エレーデ盤を聞いた方が絶対に、絶対にいいのです!


と、いうことで・・・。残念ながら、「リートの女王」だそうですが、ここでは詰めが細かいと感じさせてくれるところは特になかったし、むしろ的外れな表現が多かったように思いました。実は、アリーチェはリリック・ソプラノよりもう少し豊かな声量を持つ歌手が歌った方がしかるべく歌えるのでしょう。後年のテバルディがここまでやれているかどうかは、またじっくり聞き直さないとわかりません。彼女は年々声が劣化しましたから、これ程の出来は繰り返せなかったように思いますが・・・またその時、聞き込もうと思います。

さて、次回からはスタジオ録音の『アイーダ』。カラヤン盤などより、絶対素晴らしいモノラル盤の『アイーダ』です!