読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1953年 フィレンツェ テアトロ・コムナーレでの『運命の力』(2)

1953年、テアトロ・コムナーレでの『運命の力』のライブ録音から、テバルディの登場シーンをご紹介しています。

今回は第二幕から。

さて、このオペラは、駆け落ちに失敗した上、不幸な事故を起こしてしまった恋人同士がが別れ別れにそれぞれの道を進みつつ、最後には結局同じ修道院のある場所に行き着くという設定ですが、別れ別れの間は別々に物語が進行します。それで、第二幕にはアルヴァーロは登場せず、逆に第三幕にはレオノーラが登場しません。どちらの役を歌う歌手にとっても、緊張感の維持が難しかったのではないか、と。

1. ヴェルディ 『運命の力』 第二幕 "Padre eterno Signor"

 

居酒屋兼宿屋で、レオノーラと、父の死の原因を作った怪しからん妹、と思い、彼女を殺そうとしている実の兄(!)が偶然居合わせる場面ですが、レオノーラは男装して少年を装っており、なるべく部屋に隠れて出てきませんから、兄に気づかれずに済む。その代わり、ここでは、ほとんど出番らしい出番はありません。

唯一、この、巡礼の一行が訪れて、全員で神への祈りを捧げる場面で彼女は目立たないように後ろの方で皆と唱和するとき出てきます。兄が来ているのは知っているので、彼女の祈りは、「兄の手から私をお助けください!」という趣旨に。

最初はレオノーラのパートにはほとんど指示がありません。後ろの方から目立たないようにしつつ、声は聞かせるという矛盾したことを解決しなければならない、それが問題なだけです。

ただ、このときの皆さんの歌を聞いていると・・・ピアノやピアニッシモはほとんど無視、と言って良いので、(何しろ、ピアニッシモは○○デシベルまで落とせ、という決まりはないですし・・・)テバルディも目一杯歌わざるを得なかっただろうと。幸い、高音が当てられている箇所が多いので、そこでは全員が声を張っていても聞かせることは可能です、ただ、高音を維持するのはキツいだけ。

このアンサンブルではプレツィオシッラ役のフェドーラ・バルビエーリも歌っていますので紛らわしいですが(彼女はシミオナートのライバル格ですが、テバルディともしょっちゅう組んでいました。シミオナートほど知名度はないですが、実力のある人だったと思いますし、美声でした。)最初の聞かせどころは、皆が"dal infernal malo(-re)"まで歌ったところで"saaaaaaaaaaalvami, salvami"と入るところ。2点ロを出してからどんどん音程を滑るように落としていく。最初が高音なので目立てるけれど、キツいでしょう。高音だけに、テバルディの声ははっきり聞こえます。次の"saaaalvami dal fratello"は2点トなので前ほどの高音ではないですが、これも聞こえる。さすがに音程が下がってくると、皆さん遠慮無く歌いまくっているので、さしものテバルディの声も聞き取りにくいですね。

次のポイントは"che anela il sangue miiiiiiiioooo,"で最高2点イを出して高音域で歌い続けるところ。ここも高音が聞こえてきます。どちらにせよ、隠れるようにしているのに、前に出すぎるのも問題ですから。しかし・・・皆さん全く遠慮無く歌いまくっていますね・・・。メゾフォルテのまま、クレッシェンドなどの指示はないのですが。この頃の歌手は「聞かせられなければ失格」だったのでしょう。その後はアンサンブルがばらついて、レオノーラが一人で出てくるように工夫されているので、比較的聞かせやすい。少々"nessun mi salverà"が強烈すぎてキツめに響いているのが難です。

その後はまたアンサンブルの中で歌わなければならない。"nessun mi salvera, aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaah!"ここの維持は2点ヘ♯で4分音符+8分音符のペア3つ分と最後に4分音符+付点4分音符。そのあと、今度は音高が2点ロに上がってまた"aaaaaaaaaaaaaaaaaaah!"こちらは付点2分音符と付点4分音符まで維持してから音程を下げていく。と同時にデクレッシェンドして"con calma senza stringendo"「冷静に、急がず」・・・。まぁ、お祈りの歌ですから・・・。"piatà Signor"に入る前に"dolce"にしてピアニッシモに落とせ、と。 "aaaaaaaaaaaaaaaaah!"はどちらも見事に聞こえています。

後は"pietà, Signor, pietà"の繰り返し。音高が下がるし、ピアノの指示が出ていたりするので、前に出るのは難しい。実際、さほど出ていませんが、別に問題ないかと。出過ぎたら、気づかれてもおかしくない、ということになってしまうので。この演奏の特徴的なのは、最後の最後の"pietà"の歌い方。ピアノで全音符2つ+4分音符一つ分維持しろというスコアですが、皆さんクレッシェンドしてますし、(そんな指示はありません)ピアノじゃない・・・と思いますが・・・。レオノーラの2点へ♯は比較的高いので、テバルディの声も聞こえています。少々うわずり気味かも知れないな、と。ただ、最後に残響が残るほどなのが・・・凄い。

ここでの彼女の出番はこれだけです。むしろ、この後が大変。

2. ヴェルディ 『運命の力』 第二幕 "Son giunta!"


レオノーラはグアルディアーノ神父のいる、目指す修道院にどうにかたどり着きます。着いたところで歌われるシェーナとアリア。

入りにフォルテの指示はありませんが、テバルディは大抵強烈に入るのが常だったと思います。「やっと着いたわ!!!」勿論、ヘトヘトです、という調子で弱々しく入ることもできたはず。ですが、それはしない。前奏がフォルティッシモで、劇的な上、この暗い運命劇を支配しているのはドラマティックなトーンです。祈りの場面などでデリケートなピアニッシモも駆使しなければならないし、プレツィオシッラやメリトーネの出る場面はむしろ賑やかさやコミカルさが入るのですが、レオノーラとアルヴァーロのシーンはむしろ、厳粛で暗い場面が多い。ここは強烈に入ってドラマを引き締める方が適切でしょう。

"grazie o Dio"はスコアの指示はピアノです。ですが、ピアノにしては大きめですね。これでも抑えているのですが、前のアンサンブルでもわかるとおり、この頃の歌手達はとにかく「聞かせる」方向性が優先だったようです。ライブでは、特にそうです。勿論、それを敢えてしなかった歌手の方が今は評価されるのでしょう。結果は、情けない歌の連続、になりますが。

"Estremo asil quest’ è per me…" と続く "son giunta!" に特に指示はなく、割合低音域なのでむしろ声を前に出すのが一般のソプラノには厳しいはずの箇所です。"Io tremo"も。ここで1点ニまで下がりますから。テバルディの声は例によって厚みがあってよく響いており、しかも暗い音色が付いています。それが、「この修道院で受け入れてもらえなかったら・・・どうすれば?」というヒロインの不安を表すのに、これ以上的確な表現はないという音色なのです。

"La mia orrenda storia è nota in quell’ albergo... e mio fratel narrolla!"ここも残念ながら、このときのテバルディの準備不足が覗える場所。オケと合わず、おいていかれそうになっています。かろうじて最後のフレーズで合わせられた。ここも1点ニから少しずつ音高が上がるだけの難しい箇所。オケが相当鳴るので辛い。聞かせようとして丁寧に歌いすぎ、置いて行かれかけた、という印象がします。"mio fratel narrora"は急に2点へ♯に上がり、徐々に下がる。ので、ここはさして苦労なく声を前に出せる。

"Se scoperta avesse? Cielo!"は"Cieeeeeeeelo"で2点ヘ ナチュラルのフォルティッシモになります。ここは見事にフォルティッシモになっています。音高が上がるので、さほどキツくない。これも、ヒロインの不安要因の一つだったのですね。「兄に捕まらないで、無事に着けるかしら?」不安と焦燥に駆られながらここまで、胸をどきどきさせながら来たに違いない。テバルディがこういう風に歌っているから、それが伝わるのです。どうやら、それは解消したけれど、肝心のここで拒絶されたらどうしようもない。このヒロインにとって非常に苦しい場面です。

次は1点ホ♯の機関銃。最後の一音だけ1点ハ♯まで下がる。上がったり下がったりが極端で、それがこの役の難しさでもあるのです。"Ei disse naviga vers’ occaso don Alvaro!"テバルディの声は強いまま、ちゃんと響いています。"Né morto cadde quella notte in cui io, io del sangue di mio padre intrisa, l’ ho seguito e il perdei!"結局、駆け落ちに失敗した後、どういういきさつになったか、ここでわかるようになっている。ここもキツいのです。歌い出しからしばらくは中途半端な音高で、"sangue"「血」という語で2点ト ナチュラルまで上がった後はどんどん音高が下がり、"intrisa"あたりで1点ハ♯まで下がる。最後の"perdei"は1点ニ ナチュラル、1点ハ♯、点のつかないロまで下がる。ジェットコースター?とにかく、悲惨な内容ですから、暗い音色のまま歌う必要もあります。準備不足な点も見受けられますが、このあたりの歌いぶりはさすがに実力を発揮しています。

"Ed or mi lascia, mi lascia, mi fugge! Ah! ohimè!"は今度、突然"oooooor"でまた2点ト ナチュラルに急上昇。本当にジェットコースターなシェーナなのです!"Aaaaaaaaaaaaaaaaaaah!"はフォルテで2点ロを歌えと!それも全音符+複付点2分音符分維持しろと!と、思ったら"ohimè"で1点ロにオクターブ下がれと!・・・。結局、相当力のある、高音から低音までムラのない響きで歌える歌手でないと、この役はこなせない。テバルディは51回、これをステージで歌ったのです!

"non reggo a tant’ ambascia!"は今度はピアノにして、最後は"morendo"「消え入れ」という指示。まあ、また1点ホまで下がりますから、特に声を前に出そうとしなければ、自然に消え入れますが、テバルディはここを単調に歌ってはいません。"reggo"と"tanto"に強勢を付けて、かすかに涙混じりに。「もう耐えられないわ・・・」だからピアノに落ち、ガックリと力が抜けるのですね。そして、辛くてたまらない、というのを相応に強勢をおいて訴える。ただ、ジェットコースターをこなせばこう聞こえるかというと、そうではありません。ちゃんと、暗い音色や、絶望感を声に込めないとこうは聞こえないのです。

アリアに入ると、まず、前奏の上に"come un lamento"「哀歌のように」という指示。強弱記号はついていませんが、テバルディの歌は、これまでの暗い音色が抜けて、「聖母様」に慈悲を乞うのに相応しい音色に変わっています。柔らかく、哀感の満ちた音色。お祈りをするのに、陰気な声を出してどうするのでしょう。「どうか、お助け下さい!」ですから、むしろすがるような感覚が入った方が適切なのです。

"Madre, Madre pietosa Vergine,"はまさにその調子。細かく指摘すれば、クレッシェンドやデクレッシェンドの指示はあるのですが、そこまで細かく実践していません。むしろ"perdona mio peccato!"では実践しています。「罪」を「お許し下さい」は今度は深刻な内容に変わるので、強くアピールするのですね。自分が父親を殺したも同じ、と考えているこのヒロインからしたら、簡単には許されようのない「罪」ですから。"m' aita quell' ingrato"は今度は最初が最強で、デクレッシェンドしろと。「お助けを!あの酷い人を(忘れるために)」ですから。テバルディの"m' aiiiiiiiiiiita"は強烈で、ヒロインの願いの真剣さが嫌でも伝わります。"dal core a cancellar"は今度は逆に終わりに向かってクレッシェンド。"cancel(-lar)"までです。これはその通りになっています。

次。"In questo solitudini, espierò, espierò l' errore... Pietà di me, pietà, Signor, pietà di me, pietà, Signore!"ここは、似たような歌詞の繰り返しで(それは、ヒロインの必死の思いを表すのに必要だからですが)、かつ注文も多い。最初はピアノで入り、"espierò"あたりからクレッシェンドしろ、と。更に、最初の"Pietà di me,"を歌い終えたあたりからまたクレッシェンドしろ、と。うーん、最初のクレッシェンドで十分強めてしまったので、二段階にクレッシェンドしているという感じは受けません。十分強いですから、必死の思いは伝わるとしても。

"deh, non m' abbandonar, pietà, pietà di me Signore,"ここは別にピアニッシモの指示はありません。が、テバルディはかなり弱音に落としてから歌い始めています。実はここには"con passione"の指示があります。「情熱・熱情を込めて」です。そして2度目の"pietà"が最強になるよう、クレッシェンドとデクレッシェンドの指示。ですが、テバルディはむしろ1度目の"pietà"を最強にして、2度目は弱音で歌っています。記憶違いか、その方が相応しいと判断したのか、それはわかりません。

次、また同じような歌詞が来ます。"deh, non m' abbandonar, aaaaaaaaaaaaah! pietà, pietà di me Signor!"ここは"aaaaaaaaaah"を歌っているうちに2点イ♯まで音高を上げるようになっています。ここはもう"m' abbandonar"のうちからクレッシェンドをかけていますね。そして"aaaaaaaaaah"はやはり最強で、その後も比較的強いままで続きます。最後の締めでようやく弱音に戻る。が、"Signor"には微妙に強勢を置いています。ただ、弱くしてしまうのではなく。これで、先ほどの一度目が弱音だったわけがわかりました。ここと同じような歌詞なので、対比を付けたかったのですね。これはこれで、妙味のある歌い方だと思います。何しろ、先ほどの一度目の弱音が美しいので・・・。

今度はオルガンの音と修道僧達の合唱をバックに歌うことになります。"Ah, quei sublimi cantici"は1点へ♯の機関銃。比較的低音ですが、オルガンと遠くからの合唱以外は何も鳴っていないので、それほど頑張らなくても声を前に出せます。こういうとき、テバルディの声はビロードのまま。聞きづらくならないのです。ただ、こういうとき、実は困ったのじゃないかと。オケの方がはっきり聞こえるので、入りのタイミングが合わせやすい。オルガンと、曖昧な合唱の声だけから入りのタイミングをつかむのは、難しいはずなのです。

"dellorgano i concento, che come incenso ascendono...a Dio sui firmamenti..."これは、テバルディが歌った歌詞で、実は台本とは違うのです。"dell' organo i concenti"で、複数形が正しい。この"concento"って、古い言葉らしく、結局、日本で言うと時代劇にしか出てこないような言葉なんですね。「妙なる調和した楽の音」という趣旨です。この単語自体が、「複数の音声による妙なる音色」という意味なので、テバルディは単数形のまま、定冠詞だけ複数にしてしまったのでしょう。勿論ここはイタリア語の文法のブログではないですが、こういう例はないわけではないのです。「共同体」を意味する"comunità"などは単複同形で、冠詞だけ変化させますから。その種の勘違いでしょうかね。どちらにせよ、ここにも記憶不徹底が表れています。

肝心の歌の方ですが、ここは"a Dio"が最強でクレッシェンドとデクレッシェンドの指示。そちらの方は守られている・・・。"firmamenti..."に至っては、本当に歌声が天上に消え入る様を表すかのように、美麗な弱音にして消え入らせています・・・。歌詞を正しく歌えるに越したことはないですが、それと同時に歌唱自体のあり方も重要ですから、少なくとも、歌唱の方は問題ないどころか、理想的な形になっています。

"ispirano, ispirano a quest' alma, fede, conforto e calma!"これまた、大変。細かいことを言うと、"ispirano"は実は現代の用法で、台本は"inspirano"です。ですが、こういう置き換えはよくありますから、間違いとは言えません。何が大変かというと、またジェットコースターだからです。2度目の"inspirano"で2点ホまで上がりますが、"fede"あたりでオクターヴ下がります。そして、最後の"calma"の終わりは点のつかないロ。気づいていただきたいのは、同じ低音でも、この場面の入りの時の低音と音色が違う、ということです。あのときは、不安でいっぱいだったので、陰うつな音色が入っていました。今度は、祈りの声に慰められて、「落ち着いた」から低音になっている。それを理解しているからテバルディは暗い音色を抜いて、普通の低音で歌っているのです。先ほどの"firmamenti"に聞けるような、清らかな音色、それは場面の始まりにはなかったものでした。全盛期のテバルディの美声は、こうした「祈り」に満ちた場面に特に適性があって、他のソプラノには出せない清らかさ、柔らかさが出せたのです。

テンポが上がります。「こうなったら一刻も早く修道院の門を叩きましょう!」と思い始めるからですね。"Al santo asilo accorasi..."です。ですが、やはり躊躇がある。"E l’ oserò a quest’ ora?"まだ夜が明けきらない、朝まだきだからです。「変に思われるんじゃないかしら?」それは困るのですね。もう一つの心配もあります。"Alcun potria sorprendermi!"少年に化けているとはいえ、そんな変装はすぐバレる。女性なら誰でも心配する事柄です。 "Oh, misera Leonora, tremi? Il pio frate accoglierti, no, non ricuserà, no, no." 最初の"Oh, misera Leonora, tremi?"で声を震わせろ、などという指示はありませんが、テバルディは本当におびえているように声を震わせています。"Il pio frate accoglierti, no, non ricuserà, no, no."は部分的に声が引っ込んでいます。これは多分、舞台の後ろを振り返ったか何かしたのでしょう。スコアの指示はフレーズ全体にクレッシェンドで、最初の"no"で最強にするようになっています。こういう所はきちんと暗譜できているんです・・・。最後の"no"はフェルマータ付きなので、長めにしないといけませんが、テバルディは同時に声を落としつつポルタメントしています。次のフレーズのことを考えている。

"Non mi lasciar,"は"con più forza"「より強く」ですから、一度声を落としたのですね。忘れているところもあれば、こうして、配慮が行き届きすぎるくらい行き届いているところもあって・・・。結局はテバルディとしては未完成だったのです。それでも、私のようにチマチマ聞かない方には気づかれない程度の問題にとどめている。だから、全体の印象は「立派」になるのですね。私は、残念ながら、色々発見してしまった以上、そうは言いません。"soccorrimi, pietà, di me, pietà"は最初の"pietà"を最強にするよう、クレッシェンドとデクレッシェンドの指示。ここも実は歌詞を忘れているのです。"di me"ではなく、台本では"Signor"。まあ、とんでもなく願いの趣旨が変わるような歌詞の変え方はしていませんから、忘れたから咄嗟にした対応としては器用です。機転の利かない歌手だと、こうはいかないでしょう。ただ、こういうのは余り良いこととは言えませんが。

"non mi lasciar,...soccorimi,...pietà di me, Signor, pietà!"・・・この辺、同じような歌詞の繰り返しで、さしものテバルディもすっかり五里霧中に入ってしまった模様。台本は"non mi lasciar, pietàaaaaaaaaaaaaa, pietà, Signor, Signor, pietà"です。 そして、最初の"pietaaaaaaaa"を歌っている間にクレッシェンドして、終わる頃にデクレッシェンドの指示があります。同時に最高2点イ♯まで上げる。歌詞を忘れたテバルディは咄嗟に"soccorrimiiiiiiiiii"でそれをやっています。歌詞を忘れても、自信なさそうに声を弱めたりしない。これだけ強力に歌われてしまうと、歌詞を忘れているとは観客は思わないでしょう。内容がかけ離れているとも言えない。台本とにらめっこしている人がいても、歌手の機転に驚くくらいで。良いことだと言っていませんよ。そんな正当化はしません。ですが、最悪の事態を避けるための咄嗟の対応も、歌手には必要で、テバルディにはそれができた、それだけです。

次。"deh, non m’ abbandonaaaaaaaaaar,...non m’ abbandonar, pietà di me, Signor,"まだ五里霧中のテバルディ。ここは正しくは"deh, non m' abbandonaaaaaaar, pietà di me, pietà, Signor"です。歌詞が相当違うのに、音だけは間違えずに歌えているから???とにかくメロディーや強弱などは頭に入っていたようですね。"animando sempre più"「どんどん活気づいて」という指示もあるので、強力ですし。音楽は追えているのに、歌詞だけ忘れた・・・。こういうのを褒めるべきやら、くさすべきやら・・・。驚くのは、お近くの単語を持ってくるにしても、音節の数が合わないと、音符が不足したり、余ったりして、歌詞と合わなくなる、という結果を招くリスクがないわけではない、ということです。この場合、強引ながら、ちゃんと音符と音節が合わせられている。ラッキーでした。

やっと締めがやってきます。"Pietà di me, pietà, Signor. Pietà di me, pietà, Signor."ここでやっと、トンネルから抜け出せたようで・・・。バッチリ合いました。しかも、ピアノの指示を守っており、最後の"pietàaaaaaaaaaaaaa"のフェルマータがちゃんと延ばせています。

結果はお聞きの通り、気がついた観客がいたとしても、圧倒的な拍手で終りました。テバルディ・・・ほっとしたでしょうね。ですが、これで終わりじゃないですから・・・。


長くなりすぎるので、この後のシーンは項を改めて、明日。

*************************

追記:全然違う演目だし、この場合、即興で歌詞を付けるのは無理だったと思うので、引き合いに出すのは少々気の毒なのですが・・・歌詞を忘れた結果、完全に路頭に迷う例もライブではあるのです。

● アントニエッタ・ステッラ ヴェルディ 『オテッロ』 

第四幕 "Ave Maria" 1958年 ブエノス・アイレス テアトロ・コロンでのライブから

 

音が悪いのはIDISだからです。これ以上音量レベルを上げると、高音が割れるので、できませんでした。

それにしても・・・これは相当困ったでしょうね。とにかく、歌唱の質については・・・テバルディの絶品の例を聞き慣れていますので、「退屈」としか思えませんでした、とだけ書いておきます。ただし、誤解の無いように書き添えますが、私のブログはテバルディ以外のソプラノ歌手への攻撃が目的では、全くありません。私の感想を思ったままに書いているだけ、です。その他の歌手の歌の方が良いと思った部分は、そう書いてきました。その通りであって、それ以外の意図はありません。ご了承下さい。