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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1953年 フィレンツェ テアトロ・コムナーレでの『運命の力』(3)

1953年 フィレンツェ、テアトロ・コムナーレでの『運命の力』のライブ録音から、テバルディの出演場面の音源をご紹介しております。

今回は、第二幕の残りの場面。

3. ヴェルディ 『運命の力』 第二幕 "Chi siete?"---"Siam soli"


さて、前回の場面で一時歌詞が空白になったのを上手くやり過ごせたテバルディですが、試練はまだ続くのです・・・。

ようやく決心して、修道院の呼び鈴を鳴らすレオノーラ。さて、困ったのは応対に出たメリトーネとの会話部分。(会話といってもオペラですから歌ですけど)

"Che carità quest' ora?"と言われて、答えるところで、「!セリフ忘れたわ!!!」のテバルディさん。多分カペッキに合図を送ったのでしょう、彼がレオノーラのセリフを代わりに歌い出しています。慣れている歌手は、一緒に歌う歌手の歌詞も覚えているものです。そうしないと、自分の入りのタイミングをミスってしまうからです。だから、彼が教えてくれたのです。(にしても、もうちょっと控えめに教えてくれた方が良かったような・・・)"Mi man..."まで言ってもらったので思い出せたテバルディ、残りの"Padre Cleto"は自分で歌っています。この日は・・・終演後結構落ち込んだのではないかと。

結局、前のアリアの終わりの部分は同じような歌詞のお祈り部分だし、ここも用件の口上なので、覚えるのを一番後回しにしたのかも知れません。結果、定着しきらなかった。ここから先は、問題はありません。忘れたら大変なので、頑張って急いで覚えたのでしょう。プロンプターも今までうたた寝してたわけでもないでしょうけれど、テバルディが明らかにセリフが入りきっていない様子なのを察したのか、グアルディアーノとのやりとりの時は今までよりはっきり歌い出しのキューを出し始めます。

"Ma s’ ei mi respingesse! Fama pietoso il dice."ここは少々不安になるので、テバルディは悲哀感を声に入れています。しかも、後のフレーズはしっかり声を出している。セリフが覚えられているかどうか100パーセントの自信が無くても、歌をヘナヘナと歌うつもりは彼女にはなかったのです。

"Ei mi proteggerà...Vergin, m’ assisti."ここの"Vergin, m' assisti."も「どうか、お助けを!」という必死の思いが強めの声にしっかり入っている。次の"Vergin m' assiiiiiiiiiiiiiisti"は、維持する場所で2点ヘ♯をピアニッシモで歌えという指示が出ています。見事に弱音を駆使。最後の"Vergin m' assisti, m' assisti."には特別な指示はなし。細かいことを言えばスタッカートやフェルマータは付いていますが。最後は1点ニまで下がる。本当に、高低ムラ無く声が出ないと、歌えない役。フェルマータがしっかり維持されています。私がネチネチ細かいところを指摘しなければ、ほとんどの方が、「何の問題も無い立派な歌唱」と思われても無理のない、歌唱としてはむしろ見事なことが多い公演記録です。

運良くグアルディアーノに出てきてもらえたレオノーラ。「秘密の用件なのです」と伝えて、メリトーネに外してもらいたい、と婉曲に伝える。コミック・リリーフのメリトーネは早速ブツブツ文句を言いますが、グアルディアーノには体裁良く言いつくろって退散。この辺のカペッキのとぼけ方が上手い。

さて、「もう我々だけですから(安心してお言いなさい)」と言われて、早速肝心のことから伝えるレオノーラ。"Una donna son io" 男子修道院に来たのに、自分は女だと。(彼女が少年の変装をしていることをお忘れ無く。)グアルディアーノは当然、驚きます。まだ夜も明けきらないのに、女が一人でうろついているのは危険きわまりなく、非常識だったのでしょう。

次のレオノーラの入りから、アレグロ・アジタートになって、テンポが上がります。ここの裏手の岩屋で隠遁してそのまま死ぬまで暮らすのが彼女の願いですが、受け入れてもらえるかどうかわからない。不安に駆られながら、受け入れて欲しい、と必死で神父に訴えるので、そうなるのですね。

"Infelice, delusa, reietta, dalla terra e dal ciel maledetta,"は"e dal"からクレッシェンドをかけ、"cielで最強にした後デクレッシェンドの指示。歌詞は入りきっていなかったのに、これだけの歌が歌えるのは・・・やはりテバルディが非凡だからです。"Infelice, delusa"は不安と悲しみで声を震わせ、(別に、そうしろという指示はありません)クレッシェンドは見事にかかっています。ただ、急に高速になったテンポに少々ついていききれていないだけ。

"che nel pianto prostratavi al piede, di sottrarla all’ inferno vi chiede."ここは"(pie-)de"を最強に、デクレッシェンドしろ、という指示。ついでに"pian(-to)"と"(pros-)tra(-tavi)"にアクセントが付いていますが、忙しく歌わされている割には、これらの指示はちゃんと守っている上、声に悲痛な不安の色が入っています。前回の祈りの場面の比較的落ち着いた音色と明らかに違う。そういうのをちゃんと聞こうとしない方々が彼女を「味気ない」とかおっしゃる。最初から真剣に聞き込む気が無いのなら、何か言う資格は無いと思いますが?

「クレート神父の口添えで来たのですか?」というグアルディアーノの質問には、しっかりした声で"Sì."とはっきり肯定。それが何を意味するか、このヒロインにはわかっている。その後のグアルディアーノのリアクションで、それが観客にもわかるのです。

"Dunque voi siete Leonora di Vargas!"シエピはスコア通り、休符の所をしっかり区切った上、クレッシェンドを指示通りかけて、神父の驚きを十分表す。この公演はキャスティングも一流で、皆役にはまっている人選なので、更に素晴らしいのです。どちらかというとシエピ自身は「あちらの方」支持派でしたが。レオノーラの"Fremete"は1点ホ♭。低音で、少々暗めにする。テバルディはどん底まで暗くしていません。もっと暗く歌えますので。ただ、「私の恐ろしい事件は知れ渡っているから、あなたも当然ご存じで、私を忌まわしい女とお思いでしょうね」という思いがこの一言に入るのです。

"No...venite fidente alla croce, là del cielo v’ ispiri la voce."のシエピの声には惚れ惚れします。彼が「あちら派」で、テバルディをどう言っていたかは知りませんが、もとが悪声のゴッビとは違って、彼に関しては、私はこの役に相応しい人だったと思います。バスと言っても、柔らかく、甘口の歌も歌えた人なので、暗くて重厚すぎるバスより、この神父の思いやり深さが十分出せる。基本的に、彼は、美声のバスです。今は低音域の歌手が圧倒的に人材不足で、特にこういう声質の人はいない、と言って良いだろうと。ここは"Sostenuto"「音を十分維持して」の指示が出て、テンポも落ちる。それも彼のたっぷりした歌から聞き取れます。

次のレオノーラの入りから、更にテンポが落ちます。"Più tranquilla l’ alma sento dacché premo questa terra:"はピアノの指示。1点音域にとどまっている箇所。中途半端で声が響かせにくい。ピアノだから、前に出す必要も無いですが、声が汚くなったり、完全に引っ込んだりする人がソプラノには多い。テバルディの歌は実際ピアノですが、ビロード。歌詞の内容に相応しく、この場所から安らぎを得た、という調子の歌になっています。

"dei fantasmi lo spavento più non provo farmi guerra."は指示が抜ける。今度は音高が2点音域すれすれあたりで少しずつ上下。前より上がるのです。内容も少し、深刻になりますから。テバルディは前より声を強めて、「ここにいると、恐ろしい幻影と戦う必要も無い(だから、いさせて下さい!)」という趣旨のことを歌うのですね。

"Più non sorge sanguinante di mio padre l’ ombra innante:"ここは2点へ ナチュラルの"sorge"が最強で、デクレッシェンドの指示。"padre"は1点ハまで下がり、ピアニッシモの指示。また、ジェットコースター。音高に合わせれば、自然に強弱は合いますが、低音が消えないようにするのは骨です。見事にその通りのテバルディの歌。しかも、おどろおどろしい内容なので、前より少々声に暗い音色が入っています。

"né terribile l’ ascolto la sua figlia maledir."ここがまたジェットコースター。最初は1点ハ音から少しずつ音程が上がっていき、"(male-)dir"で2点イまで上がると同時に、クレッシェンドの指示。とにかく、強烈な"maledir"の前まで、一切破綻のない、ビロードのままの声で低音から徐々に上がりつつ、スコア通り強力になっています。中低音がしっかり出ないソプラノには不可能な歌。

次も同じ歌詞。"né terribile l’ ascolto la sua figlia maledir."今度は"la sua"あたりからまたクレッシェンドしろと指示があり、"maaaaaaaaaaaaaledir"の維持する音で2点ロまで上がって、フォルテ。そしてフェルマータ。少々強烈すぎるかも知れませんが、フォルテですから。「呪う声」を優しく歌っても仕方ないですし。ただのフェルマータにしても・・・凄い長さ。。。

その後は会話調になります。一転して、グアルディアーノの答えはピアノ。ピアノにしては少々大きいですね。テバルディがもの凄い声を張ったばかりですから・・・。"Perciò tomba qui desio fra le rupi ov’ altra visse." テバルディは"desio"「切望する」に強勢を置いてそこまで強めに歌い、低音に下がるところも("fra le rupi"から1点ホに下がります。最後はまた1点ハ。)ここは、「墓」を求めているのです、なので、テバルディは思い切り暗い音色にしています。

シエピの「知っているのですか!」が驚いているのは当然ですが、何の指示もないレオノーラの"Cleto il disse!"をテバルディは強烈に歌っています。"Daaaaaaaaarmi a Dio"も強烈。暗い音色は抜けています。「自分自身を神様に捧げる覚悟なのです!」なので。それしか、恐ろしい罪のすすぎようがない、と、このヒロインは考えている。「覚悟」を語るのに、ヘナヘナ声ではいけないからです。

対するグアルディアーノは、短慮は慎んだ方が良い、という慎重な戒めを与えるのですね。後で後悔しても遅いから、と。

それを聞いた後もレオノーラは同じことを繰り返す。決心が固いのですね。"Ah, tranquilla l’ alma sento dacché premo questa terra:"ここは何と、最初は点の付かないイから始まります。最高1点ロまでで、また点の付かないロまでオクターヴ下がる。無理矢理声を前に出そうとすれば、出せないテバルディではなかったのですが、ここでは敢えて強烈に歌っていません。「ここでは心が落ち着くのです」というのに、怒鳴っても仕方ないですから。

グアルディアーノの警告の合いの手が入っても、彼女の言うことは変わりません。"dei fantasmi lo spavento più non provo farmi guerra."ここも点の付かないロから始まり、1点音域内で歌って、また点の付かないロまで下がる。今度は、前のフレーズより明らかに声を前に出しています。どん底まで暗い音色にはしていません。ここでは「戦わなくて済む」からです。こういう中低音域をビロードの声のまま歌えて、声を前に出せるのがテバルディの素晴らしさです。

グアルディアーノは相変わらず、慎重に、と警告。「未来を読める者などいないのですよ」ここの彼の歌は"Cantabile"の指示。ヴェルディって不思議なのですが、男性歌手にはカンタービレの指示が出るのに、女性の方には余り出ているという印象がないのです・・・。その代わり、次のレオノーラのフレーズは"dolcissimo"で歌え、と。"dolce"や"dolcissimo"はそういえば、やたらと出てくるのですよ、ソプラノのパートに。歌詞は同じです。"Ah, tranquilla l’ alma sento dacché premo questa terra:"今度は2点音域に上がってきます。テバルディは声は強いですが、歌いぶりは甘口になっています。特に"alma sento"あたりの歌いぶりなど。

"né di mio padre l’ ombra terribile ascolto la sua figlia maledire."これは少々深刻なのでしたね。"né di mio"でクレッシェンドの指示。"paaaaaaadre"は2点イまで上がります。"la sua figlia"あたりにまたクレッシェンドの指示。このあたりもずっと同じような歌詞の繰り返しですが、今度は混乱していませんし、スコアの指示も守っています。ここは重要な場面だし、二重唱なので、優先的にじっくり確認したのかも知れません。自分が失敗すると、相手もガタガタになる危険がありますから。この頃の歌手は、先にカペッキがテバルディにセリフのヒントを出したように、仲が良かろうと悪かろうと、お互い助け合うのが暗黙のご了解になっていました。だとすると、ソロのところで失敗するのは自分の責任で済みますが、重唱で失敗すると他の歌手に迷惑をかけてしまう。そういうことは極力避けたのでしょう。

"Ah, tranquilla l’ alma sento dacché premo questa terra:"またこれ。今度は"dolcissmo"の指示はありません。が、このフレーズは甘口で歌うように徹しているようです。特に前半を。意図は明白です。「魂が慰めを感じる」のは優しく、「この場所に来てから」は強めに、「ここは私にとって、特別な場所なのです」と強調するためですね。わかりやすい歌が「凡庸」だとしたら、珍妙かつ不自然な歌のオンパレードになるのが正しいということになります。そういう歌ばかり聞かされて、ありがたいと思うリスナーは、明らかに無理をしていらっしゃるか、あらかじめ「偏見」に毒されているのですよ。

"né di mio padre l’ ombra terribile ascolto la sua figlia"今度は歌詞は同じですが、強弱の指示は変わっています。まず"né di mio"内でクレッシェンド。"paaaaaadre"が2点イに上がるのは同じ。ですが、今度は"ascolto"あたりからクレッシェンドし、"fiiiiiiiiiiiglia"で2点ロを出しつつ、フォルティッシモに持って行く、というのです。ここは割合テンポが速くて、コンパクトに終っていますね。

その後はたたみかけるように歌わなければならない。"sua figlia maledire,"で1点ホまで下げてから"ah più non odo, ah più non odo"の終わりからクレッシェンドし、"maaaaaaaaaaaaaledir,"はフォルティッシモで2点イを歌い、最後"Aaaaaaaaaah!"で2点ロまで上がって、フェルマータで維持。"no!"で2点ホに下がります。こちらは・・・凄い。強烈です。強烈すぎて、また残響が残っている。シエピも相当頑張っているので、消えていませんが、高音のテバルディの声の方がどうしても目立ちます。2人とも「熱血」。こうでないと、オペラの醍醐味は味わえません。

デュエットが一旦終ると、対話調になります。(急に大人しくなるのがまた・・・今までの凄さを引き立てます)最初はどちらも、それぞれほとんど音高の変わらないフレーズを、語るように歌います。レオノーラのパートはまた1点ホや1点ヘ ナチュラルなどの低音域。テバルディの声ははっきり響いています。オケが静かですしね。

ところが、グアルディアーノがむしろ、「"chiostro"に入っては?」と言い出すと、二人のパートとも音高が上下。この"chiostro"は「修道院」の意味しかないので、少々意図が曖昧です。"convento"とはっきり言われれば、「女子修道院」になるので、「女のあなたが入るなら・・・」という意味に解釈できるのですが、そうは書かれていません。そうすると、「例の庵に入るより、男に化けたまま、修道院の方で過ごしては?」という意味にも取れるかと。でも、それではいずれ、仲間にバレます。ですから、多分"convento"の意味で"chiostro"を使ったのだろうと。そうすると、この後でレオノーラが強烈に拒絶する意味がしっくりするのです。「勿論、女ですから、尼僧院に入るのが道理でしょう、でも、ここでなければ嫌なのです!」と。結局、自分の「罪」を重く受け止めているので、厳しい環境を敢えて選びたいというのですね。「墓」にも似た。前にもそういう女性がいたのなら、私もそこで暮らしたい、と。

"Se voi scacciate..."からはテンポの指示しかありません。ここも低音と高音をオクターヴ、激しく上下する、キツいはずの一連のフレーズ。非常に陰うつな内容が続くので、今までに無くテバルディは暗い音色を付けて歌い始めます。それにしても"aiiiiita"などはまたビロードです・・・。全く強弱の指示はないのですが、テバルディは大体高音で維持する場所を強烈に歌っています。

"Ah, sì, del cielo qui udii la voce: “Salvati all’ ombra di questa croce.”"ここの頭にはメゾフォルテの指示。こういうのは・・・却ってやりにくいのでは?-と。そして、レオノーラが天から聞いた声"Salvati all' ombra..."の箇所には"sottovoce e misteriosamente"「小声で極力神秘的に」と。「神秘的な声」って???どうやって出せば???(苦笑)テバルディは、メゾフォルテのフレーズは割合強く歌い続けていますね。「メゾ」フォルテなのかどうかは・・・何とも言えません。例の「小声で神秘的」は、極力ピアニッシモに落としたまま、いつもの力を抜いて、柔らかな調子で歌って解決。どちらにしろ、「神秘的な声」ってどういうのかわかりませんから(聞いたことがないし)これで十分すぎるかと。

一転して"Voi mi scacciate, Voi!"は「あなたともあろうお方が私を追い返すのですか!」と言わんばかりに責めるような調子が入っています。"declamato"「朗唱」の指示しか出ていませんが。

次からはレオノーラから始まって、またデュエット。"È questo il porto; chi tal conforto mi toglierà, chi tal conforto mi toglierà?"は"(con-)forto mi toglieràaaaaaaaaaaa"がクレッシェンドで最後はフォルテのまま音高を変えていきます。テバルディの声からは暗い音色は消えています。「どなたがこのような慰めをお取り上げになるの?(あなたが?まさか、そうはなさいませんね)」という趣旨だから、半分すがっているのですね。そこで陰気に歌ったら見当違いです。ともかく、フォルテは強烈にアピール「取り上げるのですか?!」と。

今度は「小声で神秘的に」なんていう厄介な指示がないので、そのまま歌えます。ただ、低音も要求されるのに、割合大きいシエピの声に消されないためにはそれなりに前に声を出さないといけません。テバルディの声は見事に前に出ています。

また、"È questo il porto; chi tal conforto mi toglieràaaaaaaaaaaa,"では前と同じことを繰り返さなければなりません。フォルテの指示はないですが。ここも強烈ですね。ですが、段々声が明るめになり、本来のテバルディの美声そのままが出てきます。勿論、ずっと美声で歌われていたのですが、暗い音色や凄みが消える、ということです。

"Chi tal conforto, mi toglierà, mi toglierà, mi toglierà"タイピングしていても嫌になるほど同じ歌詞の繰り返しですが、全部メロディーが違いますから。ただ、ここのミトロプロスのテンポ、とーーーっても遅くなっているんです。何で?という感じで・・・。勿論、"I Tempo"という指示は出ていますが、どこの「テンポに戻る」のか?Andante mosso?それにしても遅すぎる・・・。シエピの"a te sia Gloria"がまるでのっし、のっし、と歩いているように聞こえるくらい遅いのです・・・。これにはさすがに息の長いテバルディもこたえた模様。"Chi tal conforto"はそれこそ、『天使の声』で歌っていますが、その後の"mi toglierà"は彼女にしては珍しいほどブレスが入っています。ただ、この3連続、スラーでくくられていないので、レガートでつなげる必要はないのです。できれば一息でいきたくても少々無理があったので、スラーもないことだし、ブレスを入れるしかなかったのでしょう。最後の"mi toglierà"は音高も下がりますが、ピアノの指示もありますから、静かに歌っていますね。

さて、締めは又しても"chi tal conforto, mi toglierà, mi toglieeeeràaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa"です。この、最後が厄介。"mi"が1点ハ音から始まって、どんどん音高を上げ、"eeeee"で2点イまで上げてから、"-ràaaaaaaaaaaaaaaa"で2点へに落ち着く。プラス、"dolce poco rallentando"「甘美に、若干遅くしながら」(これより遅くって!)で最後は"morendo"「消え入れ」と。ここは、素晴らしく決まっているんです、途中までは。そして、彼女の一息の最高記録、20秒でした。「途中までは」って、何か、というと、最後の"rà"のピッチがちょっと問題だな、と感じたのです。うわずっている。"mi toglieeeee"までが余りに見事で、美しすぎ、これ以上の"dolce"はあり得ないとわかっているので、文句を付けるのは気が進まないながら、他の方のピッチが怪しいと指摘しながら、テバルディだけ見逃す、ということは私はしない主義なのです。

● "mi toglierà"の問題 32.4セントのうわずり 


正しい2点へは698.5ヘルツですが、どうも約711.7ヘルツで歌っているらしい。半音までは上がっていませんが、テバルディにしては珍しい。むしろ「高音が上がりきらない」ことばかり盛んに指摘されていますが。

うわずったり、上がりきらなかったり、ということはそれほど珍しくない。他の歌手だって、容赦なく聞きまくれば見付けられるはずです。実際、そう感じることはよくありますから。時間が無いので、それはできないだけです。ですが、半音上がってしまっている人は・・・余りいないように思います。

4. ヴェルディ 『運命の力』 "E fermo il voto?"---"Sull' alba il piede"

最初は、グアルディアーノがレオノーラの意志を確認するやりとりですので、特にと言うことはありません。2人の立派な美声に惚れ惚れするだけです。

さて、デュエットに入る、今度は先導をシエピが担当。"Sull' alba il piede..."。ここで、また"cantabile"の指示が出ています。どうやらヴェルディの傾向がわかってきました。男性歌手に甘口で朗々と歌わせたいときは"Cantablie"の指示を出し、女性歌手にデリケートな歌を歌わせたいときは"dolce"や"dolcissimo"を出すのです・・・。でも、女性の方だけ"come eco"とか"misteriosamente"とか、どうすれば良いのかわからないような注文を付けるのは・・・何なのでしょうね?

シエピさんも苦労したようで・・・。"ma pria dal pane angelico"でオケとずれて、ミトロプロスの方でずらしてオケにあわさせています・・・。リハーサルの時から全員苦労したという話は第一回目にご紹介済みですが、本番になってもやはり合わせにくかったんですね。

さて、テバルディの入り。(racconsolata)「元気づいて」というト書きがありますが、テバルディの「元気づいて」は飛び跳ねるような調子とはまるで違う。そんな、粗野な「元気」づき方はしないのです。"Tua grazia, o Dio, sorride, alla reietta!"何しろ、「神様」がこの「世間に見放された女」に恩寵深くも微笑んで下さった、という趣旨なのですから、ピアノの指示もないのに、極、デリケートに、『天使の声』で優しく歌い出します。こういうときのテバルディの音色は、他のソプラノには出せないな、と。穏やかな明るさと柔らかさと、温もりがない交ぜになっているのです。このヒロインは、「これで私も救われるだろう、」という希望が見えてきている、今が一番嬉しい時間を迎えたのです。

そのまま、"dolcissimo"の指示でも出ているかのような歌いぶり。何しろ、ここはずっとフレーズごとにレガート。テバルディの持ち味が一番生きるところです。"a nuova vita il cor"というところなどは余りにも美しい。ただ、レガートはここで終って、この後はフォルテがついてきて"Plaudite, o cori angelici, mi perdonò il"まで、一音節ごとにご丁寧にアクセント記号がついている。これは大変。その後 "Signor, ah plaudite che il Signoooooooor,"の"ah"は2点ト♯に上がり、アクセントがついている。レガートの時の柔らかさが抜けて、ひと味違ってきます。力強くなってくる。スコアの指示がそうですから。

"mi perdono, grazie, o Signor, grazie, o Signor"は最初の"grazie"が1点ホから始まって、最初の"Signor"までクレッシェンドで、"graaaaaaazie"で2点ト♯のままフェルマータで一旦維持してから2点ロまで上がる。またジェットコースター・・・。これがまた凄いフィニッシュぶり。強烈な声を張っています。

次のテバルディの入りはまた"Plaudite, o cori angelici, mi confortà il Signor"ここの不思議なのは、台本は"conforta"ではなく"perdonò"です。が、記憶違い?とにかく、今度も音節の数がぴったり合っているのでまるで破綻がないし、自信満々で歌っているとしか思えないので、記憶があやふやで咄嗟に変えたとは全く思えません・・・。とにかくフォルテの指示が出ているので、強い声を張っている。忘れたとか、不安とか、まるでそういう様子を感じさせない歌です・・・。次は"ah, plaudite che il Signor, mi perdonò"がまた来ます。スコアは前に歌ったときと全く同じです。とにかく、美声、かつ強力。

"grazie, o Signor, grazie, o Signor!"こちらも同じパターンでクレッシェンドをかけ、同じ音まで上げるのですが、"graaaazie"にもっと細かい音の高低が付けられています。見事にその通りで、かつ、強烈。

次はテンポが上がります。"mi perdonò, il Signor"が同じパターンで2回繰り返されます。"mi perdonò, mi perdonò,"はピアノから始めて、クレッシェンドしていく。レガートのままです。次の "mi perdonòoooooooooooooo,"は1音ずつ上がっていき、最後の"il Si-gnor"は全音符が一音節ごとに当てられていて、2点ト♯、2点ロ、2点ホと、高音域で維持する。ここが、2人とも歌詞を歌いながら高音を張り続けるのが歌いにくいからか、"il Signor"ではなく、"oooo"のまま2点ト♯まで歌い、後は"ah, sì!"で締めています。とにかく、見事にスコア通りです・・・。

ちなみに、シエピの方の負担がどうなのか。"v' assistera, ah sì"は1点イ、1点ロ、1点ニ♯、まで出してから1点イを維持し、最後の最後で点の付かないホに下げろと。ですが、シエピはホに下げていません。それどころか、1点ヘを出しているのです!どうもスコア通り歌っていない模様。1点ハ♯、1点ハ、点の付かないロ、1点ハ、点の付かないロ、1点ハ、1点ハ♯、1点ハで維持の後いきなり1点へで維持・・・したらしい。これはバスとしてはぎりぎりの高音なので、彼は彼で大サービスしたのです!

5. ヴェルディ 『運命の力』  "La Vergine degli Angeli"


先ほどのデュエットの後、修道士達を集めて、例の岸壁の洞窟に近づいた者は呪われる、とグアルディアーノが厳かに言い渡し、全員でそれを復唱して確認した後、グアルディアーノはレオノーラに注意事項(何かあったら、または死期が迫ったら最期の秘蹟を授けるから洞窟内の鐘を鳴らすように、といったことです)を伝える。そのシーンはカットしました。

そしていきなりこちら。最初は修道士達の合唱から入ります。ピアニッシモで"sottovoce"の指示付きなので、極力抑えて歌われるのが当然。クレッシェンドしてもピアノ程度にとどめろと。非常に繊細な場面です。テバルディが声を痛めた後なぜ、このレパートリーが消えたか。ジェットコースターをこなすのがきつくなったこと以上に、このシーンでデリケートな歌唱を聞かせるのが難しくなったからではないかと。ピアニッシモで美声を聞かせるのは、痛めた声では無理ですから・・・。

修道士の合唱が終った後、レオノーラのソロになりますが、こちらは強弱記号は付いていません。が、ピアニッシモで歌われるのが普通になっています。"e me protegga vigile"あたりでクレッシェンドしてデクレッシェンド。"di Dio Angelo santo"はもうピアニッシモでかつ"morendo"の指示。ここは録音が不思議で、何もエフェクトをかけていないのですが、テバルディの歌い出しの反響が強すぎるのをどうにもできませんでした。極力声量を抑えているのは確かですが。"e me protegga"で一旦強力になった後、"vigile"で巧みに、スッと声が弱音になります。ただ、ここも少々うわずったかも知れないな、と。"morendo"はその通りですね。

その後また合唱が入り、今度は一緒に歌うことになります。強弱の記号はありませんが、余り強く歌われることは普通ありません。次の"e me protegga, me protegga l' Angiol di Dio."はピアノで入って、2度目の"protegga"の2点トが最強になるようにクレッシェンドとデクレッシェンドの指示。"l' Angiol di Dio."はまた"morendo"。このあたりになると音の反響が消えるので聞きやすくなります。クレッシェンドの箇所はその通りですが、テバルディはむしろ"Angiol di Dio"を少々強めてから消え入らせています。

次は"e me"だけがピアニッシモで、"protegga"は今度フォルテ。次の"l' Angiol di Dio"はまたピアニッシモ。ここは、ジェットコースターとは別の意味でキツい。強弱がしっかりコントロールできないと、歌いこなせないのです。"e me"は少々大きいかも知れません。ただ、次の"protegga"が強力なので、対比は十分付いていますね。次は見事にピアニッシモです。

"me protegga"はピアニッシモのまま。次、"e me protegga"は全体をクレッシェンドしていってフォルテに持って行け、と。見事にその通りです。抑えるところは、十分抑える必要はありますが、聞こえないような細々しい声ではこうは聞こえません。テバルディがそもそもビロードの、「温度のある」声なので、抑えてもこうなるのです。

聴衆もこれには完全に征服された(?)ようで、フライングで拍手しようとする人を制止しようとする他の聴衆からの「シーーーッ」という声がはっきり入っています。拍手はテバルディに、というより"Bravi!"と声がかかっているので、「全員お見事!」というところですね。

同じお祈りの歌でも、前回のステッラの"Ave Maria"が退屈になってしまったのがなぜだかおわかりになりますか?彼女の歌は、「不幸の余り呆然としている」まま、歌っているような調子だからです。「救いを求めて祈る」のなら、気持ちを入れ替えて、「心を込めて」祈らないと、聞き入れてもらえない、と思うのが普通でしょう。どうでも良いような祈り方では、じゃあ、救われなくても良いのね、ということになる。歌詞を忘れたか忘れないかということより、歌に十分起伏を付けて、心の清浄さや、あるいは訴える熱意を十分に出すことが重要だったのです。そうでないと、「真剣に祈っている」という感覚が伝わらない。だから、聞いている方にも祈っている人の情感が伝わりにくく、「退屈」になるのです。「祈り」はただ静かならばいいわけではない。やり過ぎにならない程度にしっかり起伏を付ける。そのさじ加減が非常に難しい。これが適切にできる人がテバルディだったと思うのです。


第三幕はレオノーラの出番はありません。ので、次回は第四幕に飛びます。