読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1953年 ブエノス・アイレス テアトロ・コロンでの『トスカ』(一部)(2)

1953年8月7日、ブエノス・アイレスのテアトロ・コロンでの『トスカ』の音源から、第二幕の抜粋をご紹介します。(というか、これしかこのCDには収録されていません。)

1.  プッチーニ 『トスカ』 第二幕 "Ed or fra noi parliam da buoni amici."


いきなりここから始まるこの録音。"Sgomento alcun non ho."が第一声になっています。(con calma studiata)「平静を装って」ですから、テバルディの声は落ち着き払っています。"Fu sciocca gelogia"は(con simlata indifferenza)「無関心を装って」なので、特に声を強めず、その通り、さりげない歌い方。"No, egli era solo"は今までと違って高音が当てられています。結局、歌手に声を高めさせて、「わざと強く否定させる」のが狙いなのですね。高音になるので、スコアの狙い通り、強力な否定になっています。

まだしつこく同じような質問を繰り返すスカルピア。"Nulla sfugge ai gelosi, solo, solo"には(con insistenza stizzosa)「いらだちつつ、強情に」とありますが、テバルディはここでは苛立ちを声に出さず、むしろ、とぼけたまま。最後の"solo"は弱音にしているほどです。彼女は『トスカ』の場合、かなりスコアより自由な解釈を加えていたのですね。ここで彼女が敢えて抑える意味は次のフレーズにあるのです。

"Davver?"と言われて"Solo sì!"と返す時。これは一つの聞き物だったくらいだと思います。ここでももの凄い声が入っています!ほとんど驚愕ものの。ここで、完全にトスカがキレるのを強調するため、前までじっくり抑えて歌っていたのです。何せ、次のスカルピアの歌い出しが"Quanto fuoco!"ですから。相手のリアクションを考えた上で自分の歌い方も決める、考え抜かれた歌なのです。ただ、スコアに盲目的に従っているだけではこうはいきません。

"Oh, è inutil"には(ridendo)「嗤いながら」ト書き。これもいつも、彼女はやりません。陰惨なドラマで笑い声を入れるような見当違いなことはしない、非常に無理のない表現をする人だったからです。少し、声に明るめの色を入れて、相手を馬鹿にしている様子をするにとどめる。"Dunque per compiacervi..."のところも(lentamente, con sorriso ironico)「ゆっくりと、皮肉な微笑みと共に」のト書き。彼女の声は「平静」を表すのみで、特に嗤っているようなトーンは入れない。

スカルピアが、「本当のことを言った方が苦痛を避けられるのに」と言い出すと、"Un' ora penosa? Che vuol dir?..."にある(sorpresa)「驚いて」の指示は守ります。一転して、彼女の声に驚きと恐怖が入る。声量も上がる。オケも相当鳴り始めますから。この録音ではあまり声が前に出ていません。収録マイクから遠かったのでしょうかね。むしろタッディのスカルピアが強烈で、かつ猛々しい。私は今は、ゴッビのスカルピアより彼の方が気に入っています。「悪声」のゴッビより、聞きやすい上、猛々しさは十分に出せる人だったからです。

"Oh, Dio, che avvien, che avvien, che avvien!"は歌詞自体スリリングなところに、少々ヒステリックな様子を入れ、盛り上げるテバルディ。この録音でも、さしもの彼女でも低音部は消されていますね。最後の"(av-)vien!"だけが2点イ音なので、ヒステリックに響いているのがわかる。オケが凄く鳴るところですから。

スカルピアに恐ろしい拷問が行われているのを知らされると"Non è ver!"は録音が今ひとつでも十分響いてきます。"ver!"がハイCなので。でも、むしろその後の"Sogghigno di demone!"の方が強く入っているのに驚きます。これは、彼女が意図してちゃんと聞かせようと努めたからです。そうでないとこうは聞こえない。1点ホ♭→1点ニに下がりますので。「お前は悪魔だったのね、そしてこんな時に嗤うことができるのね!」と、侮蔑と怒りのありったけをぶつけるのです。

その後、カヴァラドッシの絶叫。これも聞こえにくい。マイクの設置位置がいつも収録に適切とは限らない。近すぎるともあれば、遠すぎるときもある。このときは歌手から遠すぎ、オケに近すぎたのだと思います。"Un gemito! pietà! pietà!"となるところは、入りは(quasi parlato)なので、半ば台詞調で歌って、"pietà!"にはどちらにも、デクレッシェンドがついていますから、"pie-"の方を大きめにする。ただ、これは矛盾していて、"pie"の方が音高が低く、"-tà!"が上がる。ので、あまり大きさは変わらない。テバルディの声は条件が悪くても2度の"pietà"ともはっきり響いています。

"Ebben...ma cessate, cessate!"には何も指示はなし。ここは最初はためらう。本当のことをしゃべって良いかどうかはカヴァラドッシの意向を確かめないと何とも言えないからですね。でも、とにかく「拷問」は「やめて!」と強烈に訴える。彼女の声の強い響きがその思いを十分伝えます。

「さて、では話しますね?」と言われても、一存で答えるわけにはいかないので、"Ch' io lo veda!"会って、彼の意向を確かめたい。でもそれはすげなく拒否される。

その後特に指示はありません。"Mario!"で強く呼びかけ、彼の返事を引き出そうとする一心なのを表す。"Ti straziano ancora?"ここでは"strazian"で歌っていますが、次に母音が続くとき最後の母音をカットするのはイタリア語では日常的にされていることなので間違いではありません。ここは優しく、心配そうな音色。熱愛している恋人が酷い目に遭っているらしい(その現実が見えないのが、一層不安なのですが)のですから、当然です。

結局彼は「黙っていろ」なので、トスカはやむを得ず黙秘を続ける。"Non so nulla"1点ト、ホ、ニの低音域ですが、今度はオケが鳴っていないので、テバルディの声は十分響いてきます。ただ、少々消え入りがちにしているのは、またそれで恋人が酷い目に遭わないかと不安がっているからですね。テバルディの解釈が聴衆に「?」と思わせることはほとんど無い。それが、「聴衆に十分ヒロインの気持ちを伝える最高のあり方」だと私は思います。いちいち複雑に考えないと納得できないような表現をされても、どんどん進行するドラマについて行けなくて困るだけですから。

彼女が答えないと決心したと見て取ったスカルピアがまた拷問を始めろというので、"No! fermate! No, no!"ここは音高も上がります。特に最後の"no"は2点イなので強力に前に出ています。その前は消えていますね。次の"Ah, mostro. Lo strazi, no mostro lo strazi e l' uccidi, ah! l' uccidi!"ここはかなり声を張っています。最初の"Ah, mostro, lo strazzi"は中途半端な2点すれすれの音域なのに、そこからして声が十分前に出ていますから。もっと音高の上がる後のフレーズは、言うまでもないことですが強烈に響いています。「この怪物!彼を苦しめて、殺すのね!」を弱々しく歌って、どうするのでしょう?憎しみと怒りを込めないといけないでしょう。

この録音、その後のタッディの声を聞いていてもわかるのですが、明らかに収録マイクがオケ寄りです。彼も相当強烈に歌っているのに、オケの音の方が大きめに入ってしまっている。困りますね・・・。でも、この頃の歌手はそんな不利な条件でも十分声を聞かせられたのです。"Tu ridi, all' orrida pena?"少々音の上下の多いここも、この録音条件にもかかわらず、テバルディの声はちゃんと入っている。「この化け物はこんな恐ろしいことをしているのに嗤っているのね!」あきれ果てるほどの相手の悪辣さへ彼女の怒りがはっきり出せないと意味がありませんから。ここで、わざとスカルピアはドアを開けさせる。恋人の苦悶の声を聞かされるテバルディのトスカは、「耐えられないわ!」とばかりに"Ah!"とか苦しげにうめく声が入れます。これが、スタジオ録音では聞けない。ライブの醍醐味です。

スカルピアが"Più forte, più forte!"を連発するあたりから、オケも盛り上がり、おどろおどろしさが増す。ここで強烈な声が張れないトスカはまるで聞き応えがない。少々ヒステリックなくらいに声を張ってくれないと。ここは・・・テバルディという歌手の実力に呆然とするばかり。オケの強奏ゆえ、タッディの声は消えてしまっていますが、テバルディの強烈な声はもれなく聞こえてきます。余りにも強烈なので、聞いている方もはらはらする。こうでないと、このオペラを聞いた気がしません。"Aaaaaah, cessate martir"の"Aaaaaaah"は又してもハイC。「テバルディがハイCを出したことなんかない」とか書いているYouTubeの悪質な視聴者がいますが、スコアを見たこともないのがバレバレですよ。そういう自滅行為はやめた方が良いと思いますがね。ここだけでもハイCを出す箇所はいくつもあるのですから。とにかく、テバルディはトスカの心が折れかかって、"ah, non posso più!"にたどり着くまで声を張りっぱなし。(途中のビープ音は消せませんでした。御容赦を。)最後は"più"に強勢を置いて、「もう駄目だわ!」という苦悩の極致を表す。かすかに涙声です。恋人が頑張っていても、彼女は彼を愛しているから、苦しめられているのが耐えがたい・・・。テバルディがここまで歌ってくれないと、トスカの苦しみは十分伝わらないのです。しかも、このときは、歌い終わっても演技中。"Ah!"という彼女の涙混じりの苦しげなうめき声が2度も入っています!これだから、ライブのテバルディは聞いていてもゾクゾクするのです!

その後、恋人の"Ahimè!"を聞いて、ますます耐えがたい思いのトスカ。"Mario, consente ch' io parli?"ここはもはや朗唱になっていて、指定の音高通り歌っていません。もっと高めに、かき口説くように恋人にすがって、「話しても良いって言って頂戴・・・」と必死に懇願。冷静沈着に音高通り歌うより、この方が迫力が増します。特に興奮する必要の無いとき、歌唱の途中で、ある音だけ音程を外すのとは違うのですよ。"Ascolta, non posso più..."はスタジオでは綺麗に歌いすぎていましたが、やはり、そこはライブ。"Ascoooolta,"がすがりつくようで、"non posso più."が暗い音色になっています。「私には耐えられないの!」ですから。「しゃべって良い、って言って頂戴!」と彼女は願っている。これ以上、酷い目に遭って欲しくないから。ところが、恋人から叱られてしまう。"Stolta, che sai? Che puoi dir?"「君が何を知ってるって言うんだ?」実際、トスカの訴えは「知ってます」がバレるようなものなので、叱られてしまったのですね。ここで驚くのは、叱られている間、テバルディが嗚咽する声が入っていること!ここまで、実際にその場にいるヒロインの気持ちに入れる人だったのです!

恐ろしげなタッディの"Ma fatelo tacere!"「さっさと黙らせろ!」"Che v' ho fatto in vita mia?"では緊張に耐えかねて力が抜けるのがテバルディのトスカ。(指示はありません。)"Son io che così torturate!"では"che così"と"torturate"に強勢を入れる。「あなたに何もしていない私をどうしてこんなに苦しめるの?」ですから。「怪物」だろうと、もう情に訴えざるを得ない程追い詰められている。ガックリと力の抜けた声からそれが伝わります。ここまで聞いて、このヒロインに同情できない人は・・・相当神経のず太い方ですね。"Torturate l' anima, sì, l' anima, mi torturate..."にはやっとト書き。(scoppia in singhiozzi strazianti, mormorando)「苦しげなすすり泣きを爆発させ、つぶやきながら」と。テバルディはここではむしろ泣かない。スタジオでは冷静すぎましたが、さすがにライブ。暗澹たるトーンが入っていて、絶望的なまでに打ちのめされている様子を表す。ここで「すすり泣いた」ところで効果はないことくらい、テバルディにはよくわかっていたのですよ。血迷ったある「評論家先生」より遙かに的確に。

その後、カヴァラドッシの絶叫が聞こえます。マイクの設置位置が悪かったようですが、ここはベルゴンツィも目一杯叫んだようで、しっかり声が聞こえてきます。これにはもう、我慢の限界を迎えたテバルディのトスカ。"Nel pozzo...nel giardino..."と白状。暗澹たる思いから一転して、急き込んだように、はっきりと。"Sì"には(soffocato)「窒息したように」というト書きがあるけれど、それもやりません。とにかく、早く恋人を解放してあげたい、それだけなので。他の考えが一切すっ飛んでしまうのです。後年はもっと違うトーンを入れていたりするのですが、これはこれで十分理解できます。

ご満悦のスカルピアはやっとカヴァラドッシへの拷問をやめさせるけれど、彼は気絶してしまう。それを聞いたトスカ、"Assassino! Voglio vederlo."ここの二つの歌い方には大変な違いがあり、それだけでもテバルディの詰めの細かさに感嘆。最初の"Assassino!"には憎しみと怒りの限りがこもっています。次の"Voglio vederlo"は力が抜けて、「とにかく彼に会わせて・・・」と。懇願調。会った結果、恋人がどんな姿をしているか、見るのも恐ろしいながら、会わなければ彼女の気が済まない。そこまでわかる歌いぶりなのです。(指示はなし。)比較的冷静なスタジオでの表現とは違います。ここでこの録音は一旦切れています。恋人と会ったときのテバルディの歌も絶妙なので、そこが入っていないのがつくづく残念です・・・。

2. プッチーニ 『トスカ』 第二幕 "M’ hai tradito!..."


この録音は前の箇所で一旦切れて、突然ここから再開します。

トスカは、白状したことをばらされて、恋人になじられたとき"Mario!"を連発する。「そんな風に言わないで!仕方なかったのに・・・」という必死の気分が入る。

ナポレオンがエルバ島から脱出して復活してしまったという、専制側には悪い知らせが届くと、カヴァラドッシは今まで弱り切っていたのが噓のように元気になって、スカルピア側をののしりまくるのですが、それは大変な結果を招くことはわかりきっているのでトスカは必死で恋人に自制を求めるけれど彼はまるで聞いていない。3人がいろいろなタイミングで違ったことを歌うので、それぞれの表現を聞き取るのは、ライブでは難しい。ですが、テバルディの声はこのごたごたでも聞こえてくることが多いのです。全盛期の彼女の声の強靱さは・・・一般のソプラノより図抜けていました。"Mario, taci pietà di me!"は、はっきり、くっきり聞こえてくる。何としても、黙ってもらいたい。でも、彼は"Carnefice!"とか罵る。ここもスリリングですが、全員が立派な歌い手でないと、そういう感覚は出せません。

ここのやりとりはライブだけに相当ごたごたしていて、台本と微妙にずれているのですが、まあ仕方ないですね。とにかく、テバルディの強烈なハイC"Aaaaaaaaah!"と"Mario, Mario, con te, con te..."ははっきり聞こえます。タッディの"Voi no!"も。

他にどうしようもなくて、「怪物」に懇願する、という無駄な努力をするトスカ。"Salvatelo!"には(come un gemito)「うめき声のように」ト書き。テバルディはうめくようには歌わないのが普通だったと思います。この時もそうしていません。とにかく必死で頼んでしまうのがテバルディ。とにかく、彼女の焦点、全ての発言の動機は「カヴァラドッシへの愛」に源が求められる。これも、彼を愛するが故の必死の懇願なのです。非常に愛情の深いトスカで、彼のためならめそめそしたり、声を詰まらせたりしない。「気丈な」女性と「威圧的な」女性は違います。その違いがわからなかったのが、以前言及したゴッビですが。ともかく、スカルピアは含みを持たせつつ"Io? Voi."と、すげなく受け流す。

その後はしばらくスカルピアの長広舌。"Così accasiata?...Via, mia bella signora, Sedete qui."以降。以前は、私は少し皮肉な笑いの混じったタッディのスカルピアはこの陰惨なドラマに合わないと思っていました。今は、彼のスカルピアはむしろ素晴らしかったのだと思っています。猫なで声や、薄笑いなどと、凶暴な声が混じって、巧みに使い分けられている。ただの「黒い悪質さ」一本槍のゴッビより、聞いていて興味深いのです。ゴッビが下手だったとは言いません。彼は悪役を演じるのが上手かった。けれども、「彼だけ」がしかるべきスカルピアだったという考えは違っていた、と思うようになりました。

わざと呑気に「ワインでもいかがです?」などという相手のトボけ方に業を煮やしたトスカは値段の交渉に入ろうとする。「それどころじゃないでしょう!」半分苛立ちが入るのですね。で、"Quanto?"。このときのテバルディは珍しく、激越です。こういう音色も出せるのです!「どうせあなたはお金が大好きなんでしょう?」という考えが入っているのですね。嫌みたっぷりに。相手にとぼけられて、"Il prezzo!"と返すときはほとんど怒っているように、叩きつける。「この男は何をとぼけているのよ!」とキレる。ト書きは(quasi parlato)「語るように」なのですが、"prezzo"の方にアクセント記号もついていますから、テバルディはそちらに力を込めて叩きつける。

スカルピアがまた長広舌を振るって、今度はその中で本心をあらわにしますから、トスカは身震い。"Ah!" "Ah!" "Ah!"の3連続は2点イ♭、次は2点ロ♭、最後は2点ロナチュラルに上がっていく。強烈で、ほとんどヒステリック。当然です。相手が自分を狙っているとわかったら女は恐怖に陥るのが当然なので。

その後の"Piuttosto giù m' avvento!"は全部にアクセントがついているのですが、最初の"Piuttosto giu m'av-"までは1点音域と2点音域のすれすれで、16分音符ですし、(かなり早口で歌わないといけない)オケもかなり鳴りますが、ここがテバルディの凄さ。ライブになると目一杯なので、はっきり聞こえる。勿論、こういう状況になったら、歌詞の通り、「飛び降りた方がまし」です。"Ah! miserabile..."の方もバッチリ響いている。"mercato"あたりは強勢まで付いています。

「王妃様」に嘆願するのは結構、止めないよ、でも恩赦を下さる頃にはカヴァラドッシは死体だろうよ、という趣旨のことを言われた後、またスカルピアは"Come tu m' odii!"と故意に憎々しげに語りかける。ここでのタッディはかなり猛々しい音色。なので、それに反応するテバルディのトスカも"Ah! Dio!"また珍しく、山猫調。かみつきそうな勢いです。「この憎たらしい、嫌らしい男!こんな男に妥協しないといけないの?」はっきり、その気分が聞き取れます。

"Così, così ti voglio!"ははっきり襲おうという意図が見えるので、トスカは激しく拒絶反応を示す。"Non toccarmi, demonio, t' odio, t' odio, t' odio, abbietto, vile!"ここの"t' odio"の3連発の"i"をテバルディが故意に鋭くしていることは既に指摘させて頂きました。後で突き刺すナイフのように、言葉で突きかかって追い払うしか、彼女には手段がない。"Vile!"のときの"i"も鋭い。甘美に歌うときは彼女はこうはしません。一音節の発音さえ、歌唱の表現のために駆使されているのです。

スカルピアが"Mia!"と言いながら襲いかかってくると"Aiuto!"を3連発するのですが、このときは3発目がほとんど本物の叫びになっています。これが、「ライブ」のテバルディ。本人は冷静でも「熱血」さが出せる。何しろ、フォルティッシモの指示がありますし、虫ずの走る男に襲われている女としては自然な反応ですから。

その後、スカルピアにいい加減観念しろとばかりに脅されて、結果として例の有名アリア"Vissi d' arte"を歌うのですが、今回はここで一旦動画を切りました。長すぎると鑑賞するのが大変でしょうし・・・。

3. プッチーニ 『トスカ』 第二幕 "Vissi d' arte"


このときの"Vissi d' arte"は少し声を抑えすぎたかなと。勿論、入りはピアノで"dolcissimo con grande sentimento"「極力甘美に、大いに感情を込めて」という指示が出ていますので、これが正しいのですが。"quante miserie conobbi, aiutai"は"quante miserie co(-nobbi)"にテヌートが付いている上、"con anima"で「活気をもって」なので、弱音から切り替えるべきでしょう。・・・まさにその通りのテバルディの歌・・・。ダテに歌い込んでいません。完全にスコアが自分のものになっている上、スコアのト書きが不適当だと思えば、任意の表現を付けて自分なりのトスカ像を造ることができたのです。

"Sempre con fè sincera"からも頭にピアノで"con grande sentimento"「大いに情感を込め」なので、弱音で、それなりの表現を付けなければならない。このときはちょっと抑えすぎの気もします。"sincera"を若干強めにしています。しばらく指示はなし。ずっと抑えがちに歌っています。"diedi fiori agl' altar"はまた"con anima"で"(al-)tar"が最強になるよう、クレッシェンドとデクレッシェンドの指示が出ています。ので、"diedi"から「底力」のある歌に変わり、クレッシェンドの指示通りテバルディの歌は見事に盛り上がって、消え入る。

"Nell' ora del dolore, perché, perché, Signore, perché me ne rimuneri così?"はまた頭がピアノ。ここは必ずしもスコア通りではありません。"dolore"を無感動に歌わないテバルディですから、ここにかなり強勢が置かれています。「苦悩の(時)」ですから。"perché, perché"も強め。「なぜ、なぜなのですか?」と訴えるのがこの歌の肝なので。

"Diedi gioielli..."からは何も指示がありません。"della Madonna al manto" "e diedi il canto" からまた「底力」が入ってきます。特に「歌を捧げる」のは歌手のトスカにとって大切なので。"agli astri, al ciel, che ne ridean più belli."の"a"は綺麗に開いている上、温かい音色。この歌詞で歌われている事柄が美しいからです。大体、こんなビロードの音色で温かく歌える歌手が他に???

"Nell' ora del dolor"はまた「苦悩」が入ってきますが、こちらは特に強勢を置きません。次の盛り上がりのためのステップで、歌唱を安定させる必要からでしょう。

その次、"Perché, perché, Signooooooooooor!"の絶唱、その後の"Ah!...Ah!"がピアニッシモに落ちていって、延々と続くのは例の通りですが・・・、いつ聞いても美しい・・・。しっかりと力の入った高音が響き渡った後にビロードのピアノ、ピアニッシモが延々と続くのです・・・。こういう歌を歌える歌手はテバルディしかいなかったのです。そして最後の"Perché me ne rimuneri così?"にはト書きにまた(singhiozzando)「すすり泣きながら」と!すすり泣かないのですよ、テバルディは。その代わり、このときは"Perché"を強調して、「不条理な運命」へのやり場のない慨嘆の限りを込めています。「なぜなのです?」と。更に、"rimuneri"を目一杯響かせ(ビロードのままですが)"coooooooooosìiiiiiiiiiii"を延々と伸ばしながら次第に消え入らせています。「このようにお報いになるのは」。このフレーズだけでも大変なアピール力があります。「こんなことが許されるのでしょうか、なぜなのです?」を誠心誠意訴えている。神に訴えるとき、ただ弱音で、弱々しく歌えば祈りになる、わけではないことは既に指摘いたしました。

今回は少々弱音部分が抑え気味すぎましたが、やはりテバルディの"Vissi d' arte"は絶品なのです。心に黒いものの混じりけが無い、純粋な祈りと衷心からの訴えが聞き取れるのです。

この録音では拍手が途中でカットされています。勿論、当時の会場の生のリアクションを聞けるのは貴重ですが、それに引きずられてこちらが歌唱の判断をする必要はありません。「この歌いぶりなら当然」と感じるか、「過剰」と感じるかは私たちの判断次第です。

この後のトスカの歌の部分もカットされているのが残念です・・・。突然、"Sei troppo bella Tosca, e troppo amante."というスカルピアの見当違いな反応から入ります。この男は何を聞いていたんですかね?結局、「純粋な祈りと衷心の訴え」という境地とは縁遠い、真っ黒な人間なのです。

"Cedo"とか言っていますが譲歩とはいえないスカルピアの言いぐさに、トスカは"Va, va, mi fai ribrezzo! Va! va!"と激しく反応。ト書きは(con senso di gran disprezzo)「大いなる軽蔑の感情を込めて」。テバルディは軽蔑以上に、声で追い払うような強烈さを込めるのです。このときも。

アンジェロッティが自殺したという痛ましい知らせの後に、わざと「怪物」はカヴァラドッシを引き合いに出す。このやりとりを聞いていたテバルディのトスカの"Dio m' assisti!"はスタジオでは冷静すぎましたが、これは何しろライブですので、「熱血」。ほとんど涙声になって「どうかお助け下さい!」と。聞いているだけで舞台が見えてくる。このように歌えなければ「表現力に富んだ歌手」とは言えないのですよ。

スカルピアの含みのある"Ebbene?"に不承不承うなずくトスカ。ここも「熱血」。スタジオでは入れない「ウウッ」という抑えた泣き声が入っています・・・。舞台が見えてくる・・・。テバルディのライブの『トスカ』を聞かないのは一生の損です!その後、"Ma libero all' istante lo voglio"は言葉通り、「言うとおりにするんだから、彼はすぐ釈放して!」ですが、このときは気持ちが入りすぎて、まだ涙声から脱出し切れていません。もう少ししっかりしないと・・・。「おおっぴらな恩赦はできないが、上手くごまかす」という相手の言いように"Chi m' assicura?"というところもかすかに涙声。後年はもっとしっかりしているのが彼女のトスカでした。このときはなかなか立ち直れない、という解釈だったのでしょうか。

スカルピアとスポレッタのやりとりに裏の意味があることなど知るよしもないトスカは、恋人は空砲で撃たれるのだと理解。それで、テバルディは"Voglio avvertirlo io stessa!"になるときっぱりとした調子を取り戻す。何としてもカヴァラドッシの無事を自分の目で確認したいから、という趣旨。(指示はありません)

早速彼女の方に向かってくるスカルピアに"Non ancora"とすげなく拒絶するトスカ。"Voglio un salvacondotto, onde fuggir dallo Stato con lui."このときは弱音で抑えて歌っています。指示は"quasi a piacere"「ほぼご随意に」ですから、歌手の裁量に任されている。もう少しはっきり歌っても良かったかと。この日の彼女はかなり気落ちが強いトスカです。"Sì per sempre"は(con accento convinto)のト書き。これは守っています。「確信のある調子で」です。「こんな国、もう沢山よ!」という所でしょうから。スカルピアとしては、都合の悪い証人を追っ払えるのはむしろ歓迎すべきことなので、いそいそと願いを叶える。

"Civitavecchia?"と聞かれたとき、いつもテバルディのトスカは"Sìiiiii"と、考えにふけっているような声で歌うのです。プッチーニの音画ではこの後にナイフを発見するのがわかるのですが、結局、その前に「どうしたら切り抜けられるかしら」と色々考えを巡らせている、という調子を出したかったのでしょう。このままこの男に屈するわけにはいかない、と。

さて、ここからが問題の、スカルピアにとどめを刺すシーン。オケがかなり鳴っているなかで早口で言う決めぜりふですが、テバルディはここでも完全に聞かせています。"Questo è il bacio di Tosca!"

2回の"Ti soffoca il sangue?"と"Ah!"は強烈な調子で刺すように歌う。もう56年の下地は十分できあがっていますね。"E ucciso da una donna" "M' hai assai torturata!"も強烈。特に音色を変えていないので、やはり56年のものが最高だな、と。"Odi tu ancora? Parla! Guardami! Son Tosca, o Scarpia!"の"o"や"a"を明るめに響かせて、嘲弄的にするのはもうスタジオの時からやっていましたから、ここでもやっています。そして、また"Ti soffoca il sangue?"はまた厳しい音色に戻す。そして、"Muori, dannnato! Muori! Muori! Muori!"これはライブだけに強烈。このときもかなり強烈です。56年はもっと重厚感がありますね。でも憎しみはしっかり声に入っています。このときの"È morto!"は彼女にしては長めで、はっきりと、「悪人とはいえ、私は人殺しをしたのだわ」というショックが声に入っている。"Or gli perdono."が言葉通りなのはスタジオの時もそうですが、このときは特に、力を完全に声から抜いて、「許してあげる」という調子を十分出しています。そして生々しい、ナイフの落ちる音。ショックの余り、呆然としたあげく、取り落としたという間の空き方です。音だけで舞台が見えれば、けばけばしい舞台装置など、必要ないのです!

最後の決めぜりふ。"E avanti a lui, tremava tutta Roma!"これは朗々たる声で朗唱されています。これだけでも感嘆。このときは"lui" "tremava tutta Roma"に強勢が置かれています。薄っぺらい声のソプラノには到底出せない、ずっしりと、威厳のある声です。「ローマ中を震えさせていた」悪人のとどめを刺すのに相応しい人は、こういう人なのですよ。


残念ながら、このときの『トスカ』の音源はこれしか残っていません。次回からは、同地で開かれたアリア・リサイタルの模様をご紹介します。

***********************

追記:明日から一週間、私用で多忙ですので、記事の更新は夜になります。申し訳ございません。ご了承下さい。