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Voce d' Angelo レナータ・テバルディに捧ぐ

レナータ・テバルディの専門ブログです。情報、動画、鑑賞録など。

1953年 ミラノ・スカラ座での『ラ・ヴァッリー』(4)

今回は第三幕です。

1. カタラーニ 『ラ・ヴァッリー』 第三幕 "Né mai dunque avrò pace?"


いきなりここから入ります。前の、ゲルナーと歩兵のやりとりなどはカットしました。テバルディはこの部分を独立させて1955年のアリア集に吹き込んでいます。一時の屈辱感からハーゲンバッハを殺して、とゲルナーに頼んでしまっていながら(人に頼んで、というのがこのキャラクターに相応しくないと思うのですが・・・これくらい決断力のある人なら、自分でやってしまうかもしれないと思うので・・・。)結局後悔して苦しんでいるのです。

ここには実は長ったらしいト書きがあります。書き写すのが面倒なので(ご免なさいませ)どういった内容なのかを簡潔に。つまり、彼女はベッドの用意をしてから外出着を脱いで(でも寝間着に着替えるという記述はないのです。???)ベッドサイドに跪いてお祈りを始める、となっています。ところが、突然立ち上がって、後悔と苛立ちのため叫ぶ、と。

テバルディは絶叫するときは派手に絶叫する人でしたが、ここではお聞きの通り、何も叫んでいません。なにせ、アリアの入りがピアノなのです!どうして叫んでから急にピアノで歌い出す?ト書きとスコアの指示は時として矛盾する、と前に書きましたが、その一例です。

最初の入りの2フレーズは、音高が一番高くなるところが最強になるようにクレッシェンドとデクレッシェンドの指示の指示が出ていますので、特に神経を使わなくてもそういう効果は出せたかと。"avrò" と "(pen-)sieeeeee(-ri)"が山、です。ピアノを意識したのか、歌詞の内容を重視したのか、テバルディは目立って強弱を付けていませんね。「烈女」にしては沈み込んだ歌いぶり。アフラに金貨を投げつけたときとは別人です。

"Ohimè! solo una celia io fai per lui..."で頭がフォルテに。ここも"fui"の2点トが最強になるよう、更にクレッシェンドとデクレッシェンドの指示も出ています。確かに前までより声が強まっていますが、むしろテバルディは出てくる言葉に強勢を置くことに注意を払った様子。"celia"が特に強い。次のフレーズでは"bacio egli si rise?"全体が強いです。「悪ふざけ」?ここは歌詞自体が矛盾しているのですよね。"celia"が"ardente"なはずはないので。テバルディも困ったでしょう。後ろのフレーズには全く指示がないので、いつもなら強調しそうな"ardente"を敢えて強くしていません。彼が「キスを嗤った」ことの方が恨めしいと強調。それは正しい判断だったと思います。イッリカのミスですから。

"Ebbene, morrai, crudel!"ここには(con accento d' odio)「憎しみのこもった口調で」のト書き。まあ、「それなら、死ねば良い、残酷な男!」ですからね。 テバルディは「憎しみ」というよりはいつもの強烈な声を張っています。「憎しみ」を入れてはいません。声がさほど暗くないですから。強烈に叩きつけることで、今までの「哀歌」のような沈んだ心境からの変化は十分表せますので。

ところが、"Ah! misera me, che l' amo, l' amo"と一転。「死ねば良い!」と思ったものの、まだ「愛しているのよ」だから、「惨め」なのですね。こちらには(con racapriccio prima, poi inconforto)「最初、慄然とし、後に心を乱して」のト書きでスコアはフォルティッシモ。"misera me"にはテヌートかつ"molto stentando"「極力引きずるように」ところが、"l' amo, l' amooooo"は"a tempo"。でも"(a-)mooooooo"はフェルマータ。これだけ指示を覚えろと?私なら「冗談でしょ!」でスコアを投げだして帰りそうです。が、テバルディは帰りません。(苦笑)ほとんどその通り歌っている上、最後のフェルマータが非常ーーーに長い上、最後は消え入らせています。また沈痛な気分に戻るからですね。「惨め」なのです。「憎いのに、愛している」から。

と、思ったら・・・。何?このスコア!"La giovinezza coi suoi sogni ardenti, or crudeli tormenti."ピアノで、ト書きが(singhiozzando)「すすり泣きつつ」スコアは"dolcissimo"。💢 そりゃ、歌詞はどちらかというと感情むき出しだった今までとは変わって内省的になってますけど、アリア一つでこんなに注文が多いの?酷い。と言うわけで、テバルディはピアノで歌っていません。が、さっきより声を抑えているのは明らか。「すすり泣いて」も「いません」。(誰かさんに10回くらい耳元で怒鳴ってあげたいです)透明で、清らかな調子で歌っている。"dolcissimo"は「この上なく甘美に」だけでなく「この上なく優しく」とも解釈できますから、これで正解です。内省的な内容に沿った歌になっています。"crude-li"で声が強くなっているのは2点トに上がっている上、そこを山にクレッシェンドとデクレッシェンドの指示の指示があるからです。

次。"tutta sola mi lascia," ここは"poco stentando"「少々引きずるように」でフレーズの最後はデクレッシェンド。結構あっさり過ぎてしまっていますかね。"e già s'accascia nel triste ricordare la persona" "a tempo"に戻って、"triste ricordare"が最強になるようクレッシェンドとデクレッシェンドの指示。1点音域の中途半端な音程が続いた後、"la persona"はピアニッシモ(!)"(per-)sona"で、1点へまで下がり、"-na"はフェルマータ。テバルディの歌はピアニッシモかどうかは微妙ですが、低音はきちんと前に出ていても、声量は抑えています。フェルマータは長すぎるくらい維持していますね。"triste" と "ricordare"は見事に、一番声が前に出ています。テバルディはいくら厄介なスコアでも放り投げない、非常に辛抱強い人だったのですね。こんな細かいことまで記憶できるとは・・・若いから、とは言っても「凡庸」とはほど遠かった証拠でしょう。それだけではありません。声に悲しみの色が付いていますね。

"e la speranza fugge e m' abbandona!"・・・こっちは・・・書いている方がうんざりしてきました。メゾフォルテです。"animando"「活気を持って」"(spe-)ranza"が最強になるようクレッシェンドとデクレッシェンドの指示。"e la speran(-za)"まで一音節ずつテヌート。 "fugge e m' abban-"までメゾ・スタッカート。"-dona"は前と同じパターンで、1点へ音に下がって、"-naaaa"と、フェルマータ。歌手の記憶力テスト???「希望は逃げ去って私を捨てたの」と言いたいだけなのに?・・・・・。確かにメゾフォルテくらいに声量が上がっています。ただ、強弱の付け方は微妙ですね。フェルマータが今度は短すぎる。ただ、テヌートも守られていて、そのあたりはじっくり歌われています。"animando"は声の強さで表されていますが、音色は暗め。歌詞の内容からして当然です。

次も・・・呆然。いきなり今度はピアニッシモで"dolcissimo e legato stentate"「極優しく、引きずるようなレガートで」で、"In un suo"の"un"にフェルマータ。"bacio v' era la mia vita"は今度は "a tempo"。次の"in un suo bacio la speranza tutta"は"in un suo"がまた"stentate"なので遅めにするのですね。今度は"in"と"suo"がテヌートで"un"には装飾音が。"bacio la speranza tutta"はもう"a tempo"で"la speranza"がメゾ・スタッカート。テバルディとしては声を抑えているのでしょうが、響いてきますね。確かに"in un suo"が2度ともじっくり歌われています。"dolcissimo"なのは言うまでもありません。音がもっと良ければ素晴らしく聞こえたに違いないのに・・・残念です。

次。今度はフォルティッシモ!で"disperatamente"「絶望的に」"e m' ha quel baaaacio laaa vita infraaaanta!" "e m' ha"は1点ロ♭なのに、"quel baaaaacio"は2点ロ♭で1オクターブ上がる。"baaaaa-なのはフェルマータ付きの4分音符だからです。"laaaa vita"で音程が滑るように下降し、"fraa-aaan(-ta)"は最初が2点ニで"aaan"は1点ニに今度はオクターヴ下がる。「絶望」したいのは歌手の方では?ですが、テバルディの"quel baaaaaaacio"はもの凄い響きで決まっていて、最後の"infranta"はしっかり聞こえる上、ひねりが入って、「砕いたのよ!」という苦悶が表れています。これだけ悲痛だと「絶望的」と感じない方が難しい。

やっと最後のフレーズに・・・。今度はピアニッシモにしろと!"Misera me! Ei m' ha la vita,"まずここで切ります。両方、最初の3音節がメゾ・スタッカート。 "ei m' ha la vita con quei bacio infranta,"の頭には(piangendo)「泣きながら」のト書きで(ここも泣いていませんけど)"ei m' ha"がテヌート、"vita"1語だけでクレッシェンドとデクレッシェンドの指示(!)"quei"にアクセント。最後"ohimè"の3連続の間に1点へ♯から2点トまで徐々に音程が上がります。ここで仰天なのは、テバルディの締め方。それまでずっと抑えて歌ってきた彼女は"ohimèeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!"の間にグーーーーッとクレッシェンドをかけ、最後は最強になるほど強めています。音色は悲痛そのもの。やかましい指示より遙かにアピール力のある締め方で、「ああ、悲しいわ!!!!!」と。厄介なスコアにこれを加えることを思いついたのは、テバルディだから、ですね。

4分足らずのアリアのためにこれだけくだくだしく書かないとならなかったのは、指示がやかましいから、という以外の理由はありません。

ただ、その後があるのです。ジュリーニ先生はどうやら「アチラ側」の方だったようなので、拍手をガン無視で振り続けても何の不思議もありません。ので、テバルディは何事もなかったかのように歌い続ける。

次、結局「殺す」のはやめさせよう、と決断するのですね。いくら自分のキスが本気だったのに相手は「賭け」でそうしていたから憎い(結局これは彼女の思い込みだったのですが)、とは思っても、さすがに「殺す」のはあんまりだと考え直す。恥をかかされ、裏切られた一時の激怒からゲルナーにそう言ってしまったのは間違いだった、と。・・・。それが普通の人の感覚だと思いますが・・・。前の幕からこの幕になると、急にこのヒロインはセンチメンタルになり、自暴自棄になるので、聴衆は困っちゃうのですが、(テバルディだって困ったはず。)そういうものだ、と強引に納得するしかありません。

"affannosa"「苦しげに」の指示が出ている"Pur...gli perdono"..."a Gellner voglio dir che pazza fui."までは最後の"fui"だけが2点ホ♭の、ほとんど1点音域の中途半端なフレーズ。休符を置いて、"Che tetra notte" "Come fischia il vento"は最後の"vento"だけが半音上がる、1点ホ♭の機関銃です。まずここまで。

最初の「でも、彼を許すのよ」からはしばらく、拍手のせいで聞こえません。「ゲルナーに言いましょう」のあたりから聞こえてきます。「苦しげ」かどうかは、ちょっと確認できないですね。"Che tetra notte"からは何の指示もないですが、テバルディは声に暗い色を入れています。暗い夜と強風に不吉な予感をかき立てられたかのように。確かに、こういう状況だと、不安になりますよね。彼女の場合、ろくでもない男に殺人を依頼して、今は後悔しているのですから尚更です。ちょっと、"Come fischia"が聞き取りにくいですね。オケのピッコロかフルートが派手に鳴ったので。

"Spento è il lume laggiù!..."からは頭にピアノ。ここは1点ト付近をわずかに上下するだけ。"Giuseppe certo a Sölden è rimasto"は"certo Söl-" だけが1点ロで後はほとんど低音。なので、ここだけ目立つはず。「きっと」を強調して「自分を安心させたい」というヒロインの気持ちを歌い出せ、というスコアの意図でしょう。"per stanotte non ha nulla a temer"もほとんど1点トで始めと終わりの音高が下がっている。"Doman l'avvertirò!"は"l' av-"だけ1点イに上がるけれど、ここもほとんど派手な音高の上下はありません。前のあたりから抑えて歌っているので、特にここからピアノ、という感じはありません。こういう音域もビロードの声で、響くテバルディの声。"certo"の音高が効いていて、このヒロインが強いて安心したがっているのをテバルディはそのまま表しています。声から「不安」を抜いて、ビロードの声で、「とにかく、明日!」と決心した様子を特に興奮なく歌い終える。

アリアの注文がやたらとやかましかったので、その後の単調さに拍子抜けするところですが、いつまでも派手にヒロインの感情が動きまくっていると聞いている方も疲れますから・・・。

2. カタラーニ 『ラ・ヴァッリー』 第三幕 "Buio è il sentier…"


実はヴァッリーに惹かれているハーゲンバッハは謝りに来たところを、(彼のフレーズにはフォルテの指示が付いていますから、これでいいのです・・・。)待ち伏せしていたゲルナーに橋から突き落とされます。(これで生きてたって・・・ちょっと不可解・・・どう考えても首の骨を折って即死、でしょうに・・・。)

彼の叫び声(本当にスコアに音高のない"Ah!"が書かれていて、叫べと指示されているのです。)が、一度は落ち着いたヴァッリーを再び不安に陥れる。(sobbalzando)「ハッとしながら」のト書きのある"È strano! Intorno a me solo lamenti odo stanotte..."テバルディさん、ちょっと落ち着きすぎ?やたら「泣け」というト書きの趣旨には従っていませんから、この程度ではびくびくしない、という解釈をしたかもしれません。

ゲルナーはまんまとライバルを橋から落としてとどめを刺したと信じているので、それをわざわざ報告に。喜ばれるとでも思ったのでしょう。ゲルナーが来たのに気づいて驚くヴァッリー。"Oh Ciel! Chi batte?"はフォルテで2点ト。 "È Gellner. Che vorrà?"は最初が2点トに上がってフォルテ。ところが"Che vorrà?"はピアノ。音高が下がるので、普通に歌えば対応できるでしょう。テバルディの声はこのあたりから「驚き」が入って、鋭くなります。自分の「安心」が安易な考えに過ぎなかったことに気づかされるのですね。

ゲルナーは「うまくやった」と思っていたのに、彼女の心境は変わっていますから、この男には生憎なことに、却ってヴァッリーの怒りを買ってしまう。2回の"No, non è ver!"は2点トでアクセント付き。"Vile!"って・・・。あなたが指示したのでしょう???そして、本当に「襟をつかむ」というト書きがあるのですよ!急に「烈女」に逆戻り。"Vieni con me. Vieni!"「来なさいったら来なさいよ!」ですね。強弱の指示はありません。このあたり、どういう立ち位置だったのかわかりませんが、グエルフィの声は大きく入っているのに、テバルディの方は余りよく聞こえません。収録マイクから遠かった?

とにかく、次の "Vieni! Laggiù...noi due insiem! Là v’ è l’ altare delle nostre nozze."にはフォルテの指示が出ていますが、"Vieni! Lag(-giù)"と"nozze"以外はさほど高いとは言えない音域なので、響かせるのは大変。でも、ここはさすがに強烈な声が響いています。多分マイクの近くにも移動したのでしょう。それにしても強烈です。グエルフィもそれなりに大柄でしたが、ほとんどテバルディと変わらなかった程度だったように記憶していますので、テバルディが引っ張るまねをして彼が自分から引きずられていけば、それなりに見えたのでは?と。こういう歌詞で、男の方が引きずられるのですから、ある意味凄い光景ですね・・・。

「うめき声」らしきものは聞こえませんけれど、とにかく、"Dio! Vive ancor!"が1点ヘ♯に始まって、"Ei vive ancor!"はフォルティッシモの指示。"Ei vive an-"が2点ホ♭のアクセント付き、"(an-)cooooor!"は2点ロ♭に上がります。ここは、前より更に強烈。そりゃ、フォルティッシモですから。スコア通りに歌えば、最初が半信半疑ながら、「生きてる?」になり、次が確信に変わって「生きてるわ!!!」になりますから、テバルディはそのままを出しています。

"A me, a me, a soccorso! A me,"は2回歌われますが、最初の方にだけフォルテの指示。でも、当然次からもそうしなさい、という意図でしょう。この辺からは2点ニ以上の高音域です。但し、どさくさの中で歌われるので、聞き取りにくい。

まだどさくさ中ですが、アフラが「殺されたのよ!」と訴えた後はテバルディの声も強烈に響いてきます。"con forza"の指示のある"Morto non è! No, spera lo riavrai!" "spera lo riavrai"は全てアクセント付きで、"riavraaaaaaaaaai"は2点トですから。「自分のために助ける」のではなくて、「アフラに」「取り戻せるわ!」と言う。完全にハーゲンバッハの本心を勘違いしたままなのですが、それでも深い淵の中を降りていく。私はスイスでこそないですが、ドイツ南部の山岳地帯の吊り橋を歩いたことがあります・・・下を見ると膝がガクガクしました。岩だらけの真ん中を沢が流れていました。「落ちたら確実に死ぬよね・・・」の世界です。こういう所を降りていく「女」って、この時代としては「普通じゃない」のです。

この騒ぎの原因はヴァッリーにあるのですから、"santa"とか言われるのは妙なのですが、(勿論「聖なる」という意味があるのですが、それはいくら何でも・・・なので、字幕のように訳しました。)

"Sì, vive ancor!"はピアノ。"È Dio che te’ l ridona, E tuo lo vuole, per mia man salvato."には"per mia maaaaan"にクレッシェンドが付いている以外は特に指示はありません。"salvato"は2点ヘで、このあたりでは一番高音です。(sempre ad Afra con grande commozione)「ずっと、アフラに向かって、大いに心を動かしつつ」のト書きのある "Così, pur la mia casa e i campi e i prati, Afra, son tuoi."最後はまた「涙で言葉をとぎらす」というト書き。どうして高所恐怖症なら卒倒しかねないところを降りていった人が同時にめそめそ女なのか?男性の考えることはわからない・・・。

テバルディの歌は最初からソフトです。強烈さやいかつさが一切抜けて、透明で、ビロード。このあたりから、このヒロインは自滅的になるのですね。「何もかも全部あげるわ、」とアフラに。・・・。原因を作ったのは自分だという良心の呵責から?わかりません。ともかく、テバルディは鋭さを抜いています。そして、泣いて「いません」。

次の"Addio! Addio!"はフォルテの指示で最高2点ト音まで上がる高音域。オケが相当鳴っているので、テバルディがフォルテで歌っても聞こえにくいです。どういう位置関係だったのか?

その後、かなり休符を置いてから"Allor che gli occhi riaprirà alla luce, gli dirai che il bacio che mi tolse, ora gli ho reso!"。ここは頭にピアノ。ひたすら2点ニ音だけ。"gli dirai"の後から、"tolse, ora"が最強になるよう、クレッシェンドとデクレッシェンドの指示が出ています。でも、頭がピアノですから、微妙ですよね。ここは音符の長さが元々それぞれ微妙に違っていますので、テバルディが苦心しなくてもリズムが付けられます。哀感のこもった響きで、これ程悪い録音条件でも相当の美声で歌われたことが覗えます。クレッシェンドのかけ方はスコア通りとは言えませんね。"ora gli ho"あたりが一番強く聞こえます。とにかく、美しい上に悲痛。涙声にしなくても、十分悲しく響くのです・・・。何と音色の付け方の上手い人だったことか。

嵐のように始まったこの場面はこうして静かに幕を閉じます。次回は最終幕、第四幕です。